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音楽のはじまり―北村朋幹の『Bagatellen』を聴くうちに

音楽のはじまり―北村朋幹の『Bagatellen』を聴くうちに

CD「Bagatellen」北村朋幹(ピアノ) バルトーク:14のバガテルop.6、ベートーヴェン:6つのバガテルop.126、ブラームス:8つのピアノ小品op.76 [fontec FOCD9823]
  • 青澤隆明
    2019.11.27
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 言葉にしてみれば、そのときにはもう気持ちは違う響きをとっている。それがどうしても違う気がして馴染めないから、また言葉を重ねる。それで、またべつの流れにそれていく。

 そうした違いは、決して避けることができない。多くの場合、ささいなもの、つまらないことだとしても。たとえ微差でも、どこかには必ず、開きがあり、ずれがある。距離が生まれる。なにも言わずにおくならば、なにも言葉にされないままに、保たれるのかも知れない。しかし、距離に気づくことも、苦しむこともない。変わりやすく、移ろいやすく、そのぶん忘れやすいのかもしれない。

 空気に触れた途端、酸化してしまう、というようなイメージにも近い。なにかを伝えようとすれば、そのようにして、なにかが失われる。そのかろうじて失われないほんの少しの部分で、ぼくたちはなにかを伝えあっている。

 インクがまだ乾かないうちに。と、現代の新作を演奏する人たちは、自分が初演する作品を初めて手にするときの興奮を語ったりする。でも、ほんとうはそのときにはもう、インクはすべてでなくとも、そのはしから乾きはじめている。作曲家がペンであれ、マウスであれ、手を動かしたときには、それはもう半ば記号になっている。ぼくたち聴き手にしてもそうだろう。まだ音が聴こえるうちに、消えてしまわないうちに、その響きを空間に聴きとって、時間をなぞるように、音楽としてひとつひとつ繋げていく。

 演奏家はいつも楽譜を通じて、その創作の瞬間に遡る。どこまで遡るかは、その人の志向によるだろう。すべては書かれた後のもの、というように、テクストを扱う人も大勢いる。それしか手がかりがない以上、そこから出発するしかないのは自然なことでもある。それでも、楽譜はいわば酸化した息のようなものだ。あるいは、先がけた息づかいや、それじたいがまたべつの呼吸であるかもしれない。となれば、後ろ姿から遥か先を見とるしか、手立てはない。

 演奏家はだから、自己と作品に誠実であればあるほど、楽譜を通じて作品から受けとっているものと、自らの手でその都度あらわれてくる音楽のありように、その乖離の間にはさまれて苦しむことになる。作品は響くことを求め、音の響きは人の手と空気を介さないと多くに伝わらないのに、それを仲立ちするものは、いつも移送の苦難を負うことになる。それが聴き手には面白さでもあり、弾き手には絶望的な苦しみにもなる。

 さて、北村朋幹である。彼はピアニストとして活動しているが、編曲もするし、たぶん作曲もする。ほんとうは音楽家と呼ばれるほうがいいのだろう。だから、ということでもないかも知れないが、作曲家の音楽思考や、それ以前の想念、まだかたちに定着されないイメージを生きたかたちで捉えたいと、切実に思っている。

 そのことが、彼の新しいアルバム「Bagatellen」を聴くとよくわかる。音楽はまだ作曲家の思考や、従来的な組織のなかでも、まだまだ未完結なままである。だからこそ、そのさきの可能性がいろいろに透けてみえる。まだどこに行くかわからないものを、作曲家はみつめようとするし、音楽のほうはその時点の作品にときに足跡を残し、ときにそこから逃れようとしている。

 バルトークがその初期に、おそらくまだ漠然とした予感のもとに書き留め、そこに苦労して書き込みを入れた『14のバガテル』op.6は、かなりの歳月を経て同じ差出人に配達されるように、その後の彼のピアノ曲へ導きをわたすだろう。
 ベートーヴェンの『6つのバガテル』op.126は、変奏曲やフーガの試みをつき進めた晩年に、美しい旋律をある意味、純粋なかたちのままにとどめている。後期の弦楽四重奏曲で多楽章をとったように、6曲の構成は全体を見渡しながらも。そして、この6つの“ささいな、取るに足らないものたち”が、偉才の最後のピアノ曲となった。
 ブラームスの『8つのピアノ小品』op.76は、彼が久々に手がけたピアノ曲で、ゆたかな歌と色彩に満ちて、小品集への憧憬を滲ませている。その先を知る耳には、晩年の小品連作へ向かう足どりの、まだ若々しい自由の揺らめきも聴こえてくるだろう。

 こわさないように、そっとそれに触れようとする。どのように扱うかも、扱ってよいものかも、まだなにも決めないままに。作曲家がそうならば、演奏者もそのようにする。そのさきにいる聴き手も、きっとそこからはじまる。

 バルトーク、ベートーヴェン、ブラームスがこれらの小品を書いたときに、なにを聴き、なにを聴こうとしていたのか、そこにみえていたものに自らの手をのばそうとする。ピアニストのその手の震えを、ぼくたち聴き手はまだ知らない喜びのように知ることになる。そのようにして、北村朋幹の新しいCD『Bagatellen』を、ぼくはまだ聴きはじめたばかりだ。
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