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Alone Together-物理的な遠さと心理的な近さ Side B: Ensemble

Alone Together-物理的な遠さと心理的な近さ Side B: Ensemble

離れて、集まること。それぞれで、みんなであること。アンサンブル、音楽。新日本フィル、ルノー・カプソン。EW&F。そして、佐野元春「この道」。
  • 青澤隆明
    2020.04.10
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 ひとりでできることは、ひとりでもできる。
 つぎに考えるのはやはり、誰かと、みんなで、なにかできないか、ということだ。
 オンラインのツールはそのためにもあるのだから。
 
 この前の「音楽日記」では、ソロのアクションについて書き留めたけれど、アンサンブルのものはもっとフェスティヴァルの愉しみが色濃くなってくる。メンバーが個々にパートを重ねて、映像編集で一曲にまとめたり、というのも、いまはインターネット上でたくさん観られる。
 
 そうしたなか、けっこう迅速に動き出していたのは、新日本フィルのメンバーだった。自主的に「シンニチ・テレワーク部」を起ち上げて、「《新日本フィル》テレワークでパプリカやってみた!」といって配信を重ねたYouTube動画で、たちまち話題になっていた。組織ではなく個人の呼びかけから、同志がどんどん参加していくのは、とてもいい感じだ。そこも、やっぱり新日本フィルらしい気がした。

 正直に言うと、ぼくは「なんだよ、『パプリカ』かよ」とつい思ってしまって、ずっと観ずにいたのだが、さっき観てみたら、なにか感じるものがあった。素直なのだ。えらそうに聞こえてしまったらいやだけれど、そこはほんとうのところ、ぼくがこのオーケストラに感じるいちばんの魅力のひとつでもある。それに、映像編集がすごく手づくりで、とにかくなにかやりたい、という一所懸命な熱が籠もっていて、それがなによりよかった。

 オーケストラとして取り組んでいるものもいろいろと広がっていて、フランス国立管弦楽団のボレロとか、いくつか観てみたけれど、だいたい同じパターンのつくりになっている。いろいろな顔が、いろいろな家にいて、いろいろな楽器をべつべつに演奏して、でもひとつの曲をやっている。そして、視聴しているほうも、家で、ひとりか同居人と観ている。

 アンサンブルのものでは、ルノー・カプソンの声がけで華やかなソリストたちが世界中から参加した『動物の謝肉祭』が、いきいきと痛快で楽しかった。映像で順ぐりに顔をみるのがうれしいから、誰が出てくるかはあえて書かないけれど、それぞれプライベートの表情と演奏家の表情と両方が混ざっていて面白い。

 Earth, Wind & Fireのスマートフォン越しのジャム・セッションというのも、とても短いものではあったけれど、よかった。あのベースが聴けるだけで、どこか弾んだ気持ちになってくる。#TogetherApartとしてあった。
 
 なんだか近未来SFで観てきたものよりは、現実の世界はとても出来がわるいようにみえてしまうけれど、それでも旧世紀よりも遠隔で処理できることがはっきりと増えてはいる。できることをする、やりたいことをするのに、みんなが不自由ななかでもそれぞれの方法を見出そうとしているのは心強いし、もっといろいろなスタイルを楽しみたいとも思う。

 それで、昨夜みたのは、佐野元春とコヨーテバンドが非接触方式で完成した新曲の初披露だった。インターネットを介したマルチ・レコーディングでバンド・サウンドを創り上げ、ヴィデオはメンバーの自撮り映像を結集したものだ。曲を書いてから、2週間で動画発表にいたったというスピーディーな“Social Distancing Version”。共感と連帯を長らく主題としてきた稀代のソングライターらしいアティテュードである。

 「この道」という温かな音調の、普遍的なメッセージをもつ曲だ。言葉と音楽がいっしょになってできることを、熟達した手の感触でまとめている。佐野元春は実験的なロック・チューンに抜群の才気を放つだけでなく、こういうくつろいだ雰囲気の歌、良質のポップ・ソングがとても上手で、だからいまはまず、これがいい。聴くひとを穏やかな気持ちにさせる。

 こうした取り組みをみていると、もちろんこのバンドや、どこかのオーケストラのメンバーでもないけれど、自分が大きなチームの一部であるという感覚が自ずともてる。遠くからひっそり聴き手として参加している、という意識だろうか。それは、物理的な距離を超えた、心理的な緊密さがなせる技だ。どれほど隔離されていようとも、ぼくたちはどうあれコミュニティの一員なのである。そのことが、バンドの新曲制作というかたちを通じて、こちら側にもそっと手渡すように、分け与えられる。そんな気がした。
 
 ぼくたちはひとりひとり、大きな世界のメンバーなのである。自覚しようと考えまいと、共感だろうと反抗だろうと、ものごとに楽観的であろうと悲観的であろうと。音楽はきっとそのことを言い続けてきたし、これからもまた直接間接さまざまに歌い続けるのだと思う。
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