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新しい様式のための基礎練習 -『インヴェンションとシンフォニア』を聴きながら

新しい様式のための基礎練習 -『インヴェンションとシンフォニア』を聴きながら

CD◎アマデウス・ウェバージンケ(pf)「バッハ:インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801」(ドイツ・シャルプラッテン/キング)
  • 青澤隆明
    2020.04.02
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 きょうは風が強い日だった。例によって仕事場に籠もっていると、どこかからこどもが騒ぐ音が聞こえてきた。窓は閉めていたけれど、たぶん風が近くから運んできたのだろう。おとなもそうだけど、こどもが家に籠もりきりなのはたいへんだよなと思い、まだ元気でいるうちがなにより、と捗らない自分の仕事をなだめるように、どこか寛容な気持ちになっていた。あきらめるわけでは毛頭ないが、むやみに焦ってもしかたがない。

 みんながみんな自宅に籠城するような生活では早晩息が詰まってしまうし、都市も社会も機能が破綻してしまう。ウイルス感染症も、その騒ぎも、できるかぎり早く収まってほしいと切に思うけれど、抑制も対策も難航して、このままかなり長引くようになるのだとしたら、ただ手をこまねいているだけはなくて、こちらも新しい生活様式や思考方法、行動パターンを模索していくしかないだろう。もちろん、ぜんぶがぜんぶではなく、必要な範囲で。

 さて、近所でなにかがたがた音がしていると思ったら、しばらくして電子ピアノの音が聞こえてきた。もしかしたら、こどもが退屈で困っているということで、新たにどこかから運び込んだのかも知れない。こういう時期に、こどもがみんな楽器がうまくなったり、こどもでなくてもなにかふだん手つかずのことができるようになったりするようなことでもないと、ちょっとやっていけないよな。そういう意味では、いまこそ基礎練習の見直しだ、などとと思ったりもする。ぼくもピアノの練習でもしようかと思うけれど、そもそもおまえの楽器はなんだ、という話になると、これがなかなか。むかしトム・ウェイツが言っていた、俺の楽器はヴォキャブラリーだ、というのを思い出すよ。

 とはいえ、近所から電子ピアノの音がしたといっても、乱暴に鍵盤を叩いているだけで、ジャーン、ジャーンという苛立ちが漏れ聞こえてくるばかり。なにか曲を弾きなさい、と言いたいけれど、それがぼくの苦手なもので、しかもあまり上手でないときたら、それはそれでけっこう困る。かといって、一日中ずっとハノンを聴かされる羽目になるときついので、せめてこういうものをと思って、『インヴェンションとシンフォニア』をかけてみた。ぼくの好きな、アマデウス・ウェバージンケのレコーディングである。

 ライプツィヒ時代の弟子によると、J.S.バッハがまず生徒に与えたのが『インヴェンション』という話だ。そうして『フランス組曲』や『イギリス組曲』を経て、仕上げに『平均律クラヴィーア曲集』を学ばせたらしい。

 それにしても、ウェバージンケのバッハはいつ聴いてもいい。こういうところからひとつ始めてみることにするか、と背筋を伸ばす気持ちになる。
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