アルド・チッコリーニへの祈り

アルド・チッコリーニへの祈り

ナポリに生まれたフランスの名ピアニスト、アルド・チッコリーニが亡くなって5年がめぐった。
  • 青澤隆明
    2020.02.02
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 アルド・チッコリーニは2015年2月1日に亡くなられた。その年にも90歳を祝うツアーで来日公演が計画されていた。もうあれから5年がめぐるのだな、と静かに思い出していた日に、ピーター・サーキンが亡くなった知らせがやってきた。
 
 生きているあいだにしか、音楽はできないし、音楽を聴くこともできないから、たまたま生きる時間が重なったことは、ほんとうに幸せなことだと改めて思った。思い出に生きるのではなくて、先を照らす光のように、それを思い続けることは、やっぱり大切なことなのだろう、と。

 アルド・チッコリーニは1999年のパリで、フランス在住50周年を記念したリサイタルを行って話題になった。日本での演奏活動が精力的に再開するのは21世紀に入ってからのことだ。2003年に手応えを得て、05年、08年、10年、11年、12年、14年と来日を重ねてくれた。そこでぼくたちが耳にしたのは、長年の厳しい鍛錬のさきにひらいた、無垢の自由ともいうべき喜びや輝きだった。さすがにご高齢が重なるうえに、その間には大きな手術も受けて、好不調の波こそあったが、ピアノを弾けば、そこにはつねに生命が熱く脈動した。
 
 往年のチッコリーニを知るひとは、近年の衰えを口にしてみせたし、ぼくだってかつてのレコーディングを聴けば、生来の音の研ぎ澄まされた感覚、清潔な節度ある構築というものを称えたくもなる。しかし、それがなんだというのだ。いま生きてここに謳歌されている自由は、諦観や寛容のさきに訪れた贈り物のようなものではないか、とぼくは思った。

 チッコリーニは若い頃から鈴木大拙への傾倒を示してきたのだと語り、自身を「音楽に仕える僧侶のような存在だ」と言っていた。どれほど深く厭世観を抱こうとも、音楽だけは祈りのようにそのさきを照らしていたのだろう。「音楽することは、光を求めるようなもの」と、チッコリーニは言葉を継いだ。
 
 おじいさんとこどもばかりを喜ぶ文化には、ぼくはいつまでもなじめない。そういうことではないのだ。老境になって、こうして新たに輝かしい自由が拓けるのだということを、鮮やかに体現するアルド・チッコリーニの演奏と、それにひたすら打ち込む生身の姿に、ぼくはいつも満ちてくる祝福をみていた。感謝した。それは、謙虚に生き続けることへの確かな希望だった。
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