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1939年、トスカニーニのボレロ - 酔狂と乱脈のボレロ [Ritornèllo]
トスカニーニの指揮した「ボレロ」、そのなにがラヴェルを怒らせたのか。世界大戦の年、トスカニーニ、1939年の放送録音を聴いて思ったこと。
1930年5月4日、アルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フィルを指揮したパリ・オペラ座でのコンサート。「ボレロ」を聴いたラヴェルが憤慨したという話をこのまえに記した。
そのとき、トスカニーニがパリで聴かせた「ボレロ」は、実際にはどのような演奏だったのだろう? と思いをめぐらせようにも、いまから1930年に飛ぶことはできないので、なにかの録音を手がかりにするほかない。
すると、少し後年にはなるが、1939年にトスカニーニがNBC交響楽団を指揮した放送録音というのがレコードになっている。バレエでの同曲初演から10年と経たないが、この間にも、フランスはもちろん、ヨーロッパやアメリカも世界大戦へと深く傾斜していく。レヴィ=ストロースや、ル・クレジオの母が、「ボレロ」の初演を聴いて感じたように。1939年といえば、その意味で致命的な年でもある。トスカニーニのその年の演奏の録音は、時間にして14分14秒とあって、これは確かに速い。
聴いてみて、びっくりした。こんなにてきとうで、いい加減ともみられる演奏を、かのトスカニーニがしていたとは--。ルバートに関しても、ところどころプレイヤーの都合、というかヘマで伸び縮みするし、指揮者がテンポをもったいぶって落としたり、もちろん勢いを増して加速するくだりも含めて、なんというか全体に、やけっぱちの行進のようである。
これでは、テンポが速いとかいう以前に、ほとんど真面目にやっているようには聴こえない。ラヴェルの一種、非人情の実験からみれば、人間的で享楽的と言えなくもないが、もし作曲家が聴いたパリでのコンサートが、これに類する演奏だとしたら、ラヴェルが苛立ったのは、たんにテンポの操作のことだけではなかっただろう。もしかしたら、批判をよこしたラヴェルへの当てつけのように、後のこの演奏では、わざとだらしなくやっているのか、とも思えるほどの出来である。これでは、酔っぱらってやけを起こしたお祭りパレードみたいだ。
誰の演奏に対してであれそうだが、ことトスカニーニのような人に、まさかこんな口をきくことになるとは、ぼくも思っていなかったが、それにしても、ほとんど悪い冗談のようにしか思えない。アメリカでも、戦争の時代の切迫は確実にあって、そういう背景もきっとどこかにはあるのだろう。
にしても、ラヴェルが聴いたパリでの演奏はどうだったのか。オーケストラも違うし、曲に対する考えかたも、作曲家との関係もその前後でまた違っただろうが、この演奏に聴くかぎり、トスカニーニの行いが、ボレロを音楽的に高めた指揮者の仕事だ、とはどれほど好意的にみてもちょっと言い得ないように思う。これまでとはべつの意味で、トスカニーニに俄かに興味が湧いてきたりもするが、少なくともこのボレロをもういちど聴きたいとは、いまはとても思えない。
そのとき、トスカニーニがパリで聴かせた「ボレロ」は、実際にはどのような演奏だったのだろう? と思いをめぐらせようにも、いまから1930年に飛ぶことはできないので、なにかの録音を手がかりにするほかない。
すると、少し後年にはなるが、1939年にトスカニーニがNBC交響楽団を指揮した放送録音というのがレコードになっている。バレエでの同曲初演から10年と経たないが、この間にも、フランスはもちろん、ヨーロッパやアメリカも世界大戦へと深く傾斜していく。レヴィ=ストロースや、ル・クレジオの母が、「ボレロ」の初演を聴いて感じたように。1939年といえば、その意味で致命的な年でもある。トスカニーニのその年の演奏の録音は、時間にして14分14秒とあって、これは確かに速い。
聴いてみて、びっくりした。こんなにてきとうで、いい加減ともみられる演奏を、かのトスカニーニがしていたとは--。ルバートに関しても、ところどころプレイヤーの都合、というかヘマで伸び縮みするし、指揮者がテンポをもったいぶって落としたり、もちろん勢いを増して加速するくだりも含めて、なんというか全体に、やけっぱちの行進のようである。
これでは、テンポが速いとかいう以前に、ほとんど真面目にやっているようには聴こえない。ラヴェルの一種、非人情の実験からみれば、人間的で享楽的と言えなくもないが、もし作曲家が聴いたパリでのコンサートが、これに類する演奏だとしたら、ラヴェルが苛立ったのは、たんにテンポの操作のことだけではなかっただろう。もしかしたら、批判をよこしたラヴェルへの当てつけのように、後のこの演奏では、わざとだらしなくやっているのか、とも思えるほどの出来である。これでは、酔っぱらってやけを起こしたお祭りパレードみたいだ。
誰の演奏に対してであれそうだが、ことトスカニーニのような人に、まさかこんな口をきくことになるとは、ぼくも思っていなかったが、それにしても、ほとんど悪い冗談のようにしか思えない。アメリカでも、戦争の時代の切迫は確実にあって、そういう背景もきっとどこかにはあるのだろう。
にしても、ラヴェルが聴いたパリでの演奏はどうだったのか。オーケストラも違うし、曲に対する考えかたも、作曲家との関係もその前後でまた違っただろうが、この演奏に聴くかぎり、トスカニーニの行いが、ボレロを音楽的に高めた指揮者の仕事だ、とはどれほど好意的にみてもちょっと言い得ないように思う。これまでとはべつの意味で、トスカニーニに俄かに興味が湧いてきたりもするが、少なくともこのボレロをもういちど聴きたいとは、いまはとても思えない。
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