メネセス、カザルス、ヴィラ=ロボス ―エイトル・ヴィラ=ロボスの没後60年に(3)

メネセス、カザルス、ヴィラ=ロボス ―エイトル・ヴィラ=ロボスの没後60年に(3)

「アントニオ・メネセスとチェロの名手たち」アントニオ・メネセス、山崎伸子、中木健二、向山佳絵子、遠藤真理、辻本 玲、伊東 裕、佐藤晴真(チェロ)田村 響(ピアノ)秦 茂子(ソプラノ)/ バッハ:チェロ・ソナタ第3番ト短調 BWV1029 、ヴィラ=ロボス:チェロ・ソナタ第2番、バシアーナス・ブラジレイラス(ブラジル風バッハ)第1番、バッハ/ヴィラ=ロボス:プレリュード BWV867、フーガ BWV850、ヴィラ=ロボス:バシアーナス・ブラジレイラス(2019年11月28日、紀尾井ホール)
  • 青澤隆明
    2019.12.29
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 泣いてしまってはしかたがないから、涙をためてがまんしている。けれど、涙を流さなくてははじまらないことも、たぶんある。ぼくにとってヴィラ=ロボスの音楽は、そういうふうに、ほんとうに深く感情を揺さぶるものだ。

 だから、ヴィラ=ロボス没後60年の記念に、ブラジルの誇る名手アントニオ・メネセスを中心として、お弟子の中木健二をはじめ、日本のすぐれたチェリストたちが集ってコンサートをするときけば、どんなに忙しくても出かけないわけにはいかない。
 コンサートのプログラムは、ヴィラ=ロボス~バシアーナス・ブラジレイラス~バッハというもの。親交したヴィラ=ロボスが「バシアーナス・ブラジレイラス」第1番を献呈したことを思い出さなくとも、その後ろにはパウ・カザルスの姿が頼もしく透けてみえそうだ。

 それに、ぼくがメネセスを聴き出してしばらくした頃、彼は一時期、カザルスの弾いたゴフリラーのチェロを携えて、バッハの無伴奏組曲も演奏していた。楽器のこともあってか少々力みがちだったが、それをカザルスホールで聴いたのはいまや懐かしくそして大切な思い出だ。
 高齢のカザルスが傘をさして、プエルトリコの砂浜を歩いているポスターが、カザルスホールのロビーにはあって、まだ20代だったぼくは、よくその近くで数々の演奏会の休憩時間を過ごした。
 ここの舞台では、メネセス、今井信子、トーマス・ツェートマイヤー、堀米ゆず子による実験的なカザルスホール・クァルテットも活躍していた。当時ぐんぐん注目を集めていった向山佳絵子のシリーズもあったし、カザルスに捧げるチェロ連続リサイタルでは山崎伸子も常連だった。

 というような思い出話になるときりがないので、さっと時間を戻すと、メネセスはもう白髪まじりである。バッハのト短調ソナタBWV1029、ヴィラ=ロボスのチェロ・ソナタ第2番op.66を弾いて、いまのメネセスは逞しくとも力みはなく、とても自然な流れで、健やかに実のある音楽を謳った。メネセスのチェロには、無理がなく、ロマンティックに歌いこんでも、どこか晴れ間があった。実直で、伸びやかで、タフだ。 田村響のピアノは透明感があって端正で、フランスふうの和声も鏤め、それもヴィラ=ロボスのパリ風味の甘美さを出していてよかった。

 後半には、いよいよヴィラ=ロボスが愛した“チェロ・オーケストラ”が特別編成で組まれたが、これが豪華な顔ぶれだった。メネセスと、お弟子の中木健二の同級生や同窓生、その門下生の繋がりということだが、山崎伸子、向山佳絵子、遠藤真理、辻本玲、伊東裕、佐藤晴真という各世代の名手たちが今回のアンサンブルで結集した。

 さて、「バシアーナス・ブラジレイラス(ブラジル風バッハ)」第1番である。序奏「エンボラータ」の活気から生命感に富み、プレリュードは抒情的な「モジーニャ」で、旋律の哀切さと和声感が際立つ。第3曲フーガは「コンヴェルサ」と題された対話の音楽だが、これも快活だ。野趣というよりも、きちんとアンサンブルを組み立てていこうという意志が全体の傾向として強いのは、ベテランと若手が混ざり、そこに師弟や同窓の関係が色濃く出たこともあるだろう。ちょっと道場ぽい感じもあった。

 同じ編成にヴィラ=ロボスが編曲したバッハのプレリュード(平均律クラヴィーア第1巻第22番BWV867から)とフーガ(同第2巻第5番BWV874から)をはさんで、「バシアーナス・ブラジレイラス」第5番では、ソプラノ独奏で加わった秦茂子が逞しい生命感を籠めて歌い上げた。アンサンブルはやはり、ていねいで真面目な顔を崩さなかった。一期一会の合わせ、ということはもちろんあるのだろうが、おそらくそれがこの作品の「バシアーナス」な性質について、奏者たちが抱いた敬意でもあったのだろう。「ブラジレイラス」の性格のほうは、作品そのものの旋律やリズムの歌いかけに自ずと色濃く表れているということで、彼ら8人が全体としてとくに強く追い求めることはしなかったのかもしれない。

 野趣に富んで荒々しい魅力が籠ったむかしのレコードの記憶はいつまでも消えないが、こうして後の演奏家たちが集まってコンサートで聴かせてくれる機会が増えていったらありがたい、と改めて思った。ヴィラ=ロボスの音楽には、地域のことも、民族のことも、時代のことも含めて、ほんとうにいろいろな要素がぎっしり詰め込まれているからだ。さまざま手が、さまざまに手探りで、そのいろいろを歌い起こしてくれるといい。
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