トスカニーニ、ラヴェルを怒らす - アッチェランドするボレロ [Ritornèllo]

トスカニーニ、ラヴェルを怒らす - アッチェランドするボレロ [Ritornèllo]

1930年5月4日、アルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フィルを指揮したパリ・オペラ座でのコンサート。そこで自作の「ボレロ」を聴いたラヴェルはその指揮に怒りを表した、と伝えられる。
  • 青澤隆明
    2020.01.16
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 さて、トスカニーニである。

 エシュノーズの小説も採っているように、トスカニーニがラヴェルのボレロを速いテンポで振って、もの別れになった、というエピソードは有名だ。それは1930年5月4日、ニューヨーク・フィルを指揮したパリ・オペラ座での出来事だった。

 トスカニーニは実のところ、作曲者のラヴェルにも先んじて、「ボレロ」のコンサートでの演奏を行った。1929年5月4日のことだが、アメリカ初演になっただけでなく、これが世界初演にあたるという。独占演奏の権利を保有しているイダ・ルビンシテインと話をつけて、その許可のもとにヨーロッパ外での初演を先にやってのけたというわけである。しかも、ラヴェルは、アメリカでの初演をクーセヴィツキーに託そうと心づもりしていたそうだ。

 さて、パリでのコンサートを聴いたラヴェルは、速いテンポをとり、終局に向けてアッチェランドしたトスカニーニに立腹した。これは私の書いたテンポじゃない、と終演後に告げた作曲家に対して、あなたはご自分の音楽がわかってらっしゃらない、とトスカニーニは言い返したのだという--このように演奏しないと音楽になりはしません! 

 ほんとうだとすると、すごい言葉である。そして、これが音楽でない、というのはその実、ラヴェルの企てたことでもあった。だとすれば、トスカニーニの演奏解釈はあからさまな曲解、ということになる。カンタービレ云々、という話ではおそらくない。速めて演奏するなら、曲が陽気で俗っぽくなってしまう、とラヴェルは感じたようだ。そうなれば、確かにこの曲のもつ一種の冷厳ともいえる明敏さは失われてしまう。

 それに、工場や機械を思わせる非人情の刻みも、おわりのカタストロフも、残酷に迫ってはこない。なにかを律されている感じ、運命でもなんでもなにか抗い難いものに支配され、統制されている歩みの怖さが、あたかも人間的な感情の熱狂や陶酔のほうへと解消されてしまう。単純なリズムの、だからこそ抵抗できない不気味さと、まとわりつくような旋律との、異なる要素のとり合わせが、どうしたって活かされずに流されるように思う。それはやはり、中庸なテンポの保持を通じてこそ、存分の効果を上げるものだろう。でないと、特別の実験にはならないし、そもそもラヴェルの「ボレロ」ではない。
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