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ルプーとブラームスとチャイコフスキー

ルプーとブラームスとチャイコフスキー

ブラームスとチャイコフスキーのお誕生日に。ラドゥ・ルプーのことを少し。
  • 青澤隆明
    2022.05.07
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 ラドゥ・ルプーが亡くなって、20日が経った。ひとりひとりがそれぞれの心のなかの、たぶんもっとも大切な場所で、彼の音楽のことを想っただろう。

 ぼくはぼくで、ぼうっとしながら、そのようにして静かな時間を過ごした。歳月はめぐるものだし、みんないつかはいなくなる。それでも誰かは生きて、その誰かの心のなかで思い出されて、ぼくたちの愛する音楽はきっと生きつづける。

 ラドゥ・ルプーの場合、本人がレコーディングをつよく嫌ったから、いまさらそれを聴くことには躊躇いもあるのだけれど、だからと言って聴かないのも、とてももったいない。そこから受けとることができるなにかは、いまも際限なくあるはずだ。そうなのだけれど、そのようにして過去の録音を聴かずとも、いくつもの演奏の光景を、そのときに生きられた音楽を、自分の心のなかで辿ることで、ぼくはルプーが弾き終えたあとの歳月を生きながらえてきた。もちろん他の人の演奏も聴いてはいたけれど、きっとルプーだってそうしていたはずだ。

 きょうブラームスの誕生日がめぐってきて、まっさきに思い出すのは、どうしたってルプーのことだ。ルツェルンに集った人々のまえで、ルプーが最後のアンコールに弾いたのはインテルメッツォ op.118-2。それが、わかれだった。そのときのブラームスを聴けていたら、とそのあと、ぼくは幾度となく思いかえした。

 ぼくが最後にルプーを聴いたのはその2年前、2017年のヨーロッパでのリサイタルで、5月の終わりから6月のはじめにかけてのことだった。ハイドンの「アンダンテと変奏」、シューマンのファンタジーのあと、ルプーが弾き継いでいったのはチャイコフスキーの『四季』。12か月のうち、4月は松雪草で変ロ長調、5月は白夜でト長調。前後をト短調に挟まれているだけに、ルプーの演奏でも、この季節を歌う表情の愛おしさはまた格別だった。

 ブラームスとチャイコフスキーは5月7日、おなじ誕生日で、チャイコフスキーが7歳年下だった。だからというほどのことではないが、ようやくこの音楽日記に、また少し綴ってみるきっかけを、きょうぼくはみつけた(正直に言ってしまうと、やっぱり悲しくて、なんにしてもあまり書く気が起こらなくなっていた)。ルプーが愛したあのインテルメッツォはイ長調で、チャイコフスキーの4月も5月も、いずれにしても長調で書かれている。そのようにして、ぼくたちはこの季節のなかを、ていねいに歩いていくのだ。
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