チャーリーと転石工場 - チャーリー・ワッツへの感謝 (青澤隆明)

チャーリーと転石工場 - チャーリー・ワッツへの感謝 (青澤隆明)

チャーリー・ワッツが亡くなった。悲しい。2021年8月24日、80歳だった。
  • 青澤隆明
    2021.08.27
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 チャーリー・ワッツが亡くなった。みんなさびしくてしかたがないだろう。ぼくもだ。

 この秋のUSツアーには手術後で参加できない、という本人からの告知が先頃あった。親友のスティーヴ・ジョーダンに頼んだ、というメッセージとともに。元気になるのを待つばかりだと勝手に思っていた、その矢先の悲報である。What's up, Charlie? Watts' up?

 ちょうど少しまえに、ローリング・ストーンズのラテン・アメリカ・ツアーの映画をWOWOWでやっていた。初めてキューバで、ストーンズが公演を行うまでの中南米ツアーのドキュメンタリーだ。2016年、ハバナで開催された野外でのフリー・コンサートは、なんとも壮大な光景だった。120万人のオーディエンスが集まったともきく。老若男女を問わず、人という人が自由と希望を詰め込んで駆けつけたのだろう。凄まじい熱量が伝わってきた。

 ハバナは最高だった。ずっと待ち続け、強く求められていた。気が狂いそうなほど熱かった。これだけの人のエネルギーは、そのまま音楽のエネルギーである。これこそがコンサートだ、とぼくは思った。こんな時節が続いて悶々としていたから、よけいに感極まりそうにもなった。それもあって、ここのところずっとストーンズを聴いていた。

 ストーンズは日本に来なくていい、とかつて忌野清志郎が言っていた。ほんとうに観たいやつだけがアメリカに行けばいいって。そのとおりだ、という気がした。彼が言うから、なおさらだ。いつかアメリカにでもヨーロッパにでも行くのがいい、と思っていた。ストーンズを聴きたいやつだけが集まってくる場所に、こちらから行けばいいのだ。
 
 けれど、ぼくが最初に観たのは初来日の東京ドームでのコンサートだった。その後もそこでだけ。清志郎さんの言葉はよくよく覚えていたけれど、アメリカはぼくにはまだ遠かった。バイト代で買ったチケットで行った。たしか1万円したけれど、ストーンズだぜ、高いはずがなかった。

 それは1990年2月、Steel Wheelsのジャパン・ツアーだった。このアルバムが出たときは19歳、ライヴを観たときには20歳になったばかり。高校のときが“Dirty Work”で、大学のときが“Steel Wheels”だ。グリマー・ツインズも危険な関係を修復でき、数年ぶりのツアーが実現したということだった。
 
 もう30年もまえの話である。まるでむかし話みたいだけれど、いまもはっきりと彼らのステージ姿を思い出すんだ。音はだいぶ良くなかったが、東京ドームで音楽を聴くのは初めてだったから、こんなものかと思ったりもした。やけにだだっ広い舞台を、ミック・ジャガーが精いっぱい忙しく駆け回っていた。キース・リチャーズとロン・ウッドも楽しそうにみえた。ベースはこのときまでビル・ワイマンだった。だけど、なんてったってチャーリー・ワッツだった。

 バンドの重心と焦点はそこにあった。ストーンズ・ファンのみんなはとうにわかっていたかもしれないけれど、ぼくは初めて目の前で展開する彼らのステージをみていて実感し、はっきりとそのことを理解した。チャーリー・ワッツこそがローリング・ストーンズだった。
 
 ステージを、グループ全体を静かに支配していたのは、チャーリー・ワッツのタイトなロック・ドラムだった。その後、ビル・ワイマンが脱退して、ダリル・ジョーンズが見事なサポートを聴かせるようになっても、ストーンズのリズムはどこまでもチャーリー・ワッツのものだった。

 ローリング・ストーンズが時代やアルバムごとにさまざまに変わり身をみせても、いつもその根底にはチャーリー・ワッツのドラムがあった。それを言ったら、ミック・ジャガーのヴォーカルもキース・リチャーズのギターもそうだ。けれど、つねにビシッと全体を引き締めていたのはチャーリーのプレイだ。ぼくは早くからライヴを観ることができた年代ではないから実感はないが、きっとそうであるに違いない。誰が欠けても無理な話だが、やはりこの男がいるから巨大なバンドは成り立ってきたのだ。

 ロックでも、ファンクでも、ストーンズがくり出すダンス・ミュージックの前提は、このスタイリッシュなドラマーのビートだった。彼が好きなジャズでもおなじこと。佇まいからして、タフでクールな大人だった。いろいろの騒ぎではなく、音楽だけに集中していた。一徹という感じだった。言葉で語らずとも、たんたんと場を支配していた。それは、音楽はもちろん、物事に対する彼の姿勢そのものであるに違いなかった。
 
 ほんとうにかっこいい男はここにいた。クールにみえることは、この磁場にあっては、それだけで熱いということだ。男のなかの男というふうにみえた。ステージの折々で、当然メンバーはそれぞれに彼のもとに寄ってきた。いつだって頼りになるのはチャーリーと彼が叩き出すスマートなビートだった。

 その人は、舞台のいちばん後ろから、長年の仲間たちがそれぞれに跳ねまわり、歌い、踊り歩くそのすべてのあり様をみていた。くっきりとして揺るぎない大人の目で、強かなバンドの音楽の芯をずっと見守っていたのだ。
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