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最後から2番目のソナタ - アンデルシェフスキのベートーヴェン

最後から2番目のソナタ - アンデルシェフスキのベートーヴェン

ベートーヴェンの変イ長調op.110が、彼のピアノ・ソナタのなかで、どうしてこれほど特別に好きなのか、ということを改めてちょっと考えてみた。CD◎ピオトル・アンデルシェフスキ「バッハ、ベートーヴェン、ウェーベルン」(Virgin/ Warner)
  • 青澤隆明
    2020.03.19
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  ベートーヴェンのソナタのなかで、ぼくはこどもの頃から『ワルトシュタイン』がとても好きだった。ハ長調はやはり特別ですしね。では、変イ長調ソナタ op.110が特別に好きなのはなぜか、と改めて考えていたら、もちろんあらゆるところに惹かれるけれど、そうした局面ごとのことよりも、この曲が全体としてやはり際立ったプロセスであるから、というのが大きいのだと思った。

 もちろん、最後の3つのソナタはどれも極めつけの人間の音楽だけれど、変イ長調ソナタはやはり、この終わりの旅の中間にある。だから、あの「嘆きの歌」を経て、フーガが動き出し、また疲れ果てて嘆きつつ歌ったあとで、活気を取り戻して、駆け上がるように終わったあとも、ほんとうはそれが終わりではない。次の始まりだということを、ぼくたちはみな知っているけれど、もしそれを知っても知らなくても、ぼくたちはその続きを生きて行く。

 ベートーヴェンの曲の終わりはすべて始まりだった。とくにこのソナタはベートーヴェンの最後から2番目のソナタであり、ということはその後にまだひとつソナタが続いていくことは確実とされる。もちろん、かのベートーヴェンがそのように見通していたからである。

 そして、この20年ほど、コンサートでいちばんたくさんのop.110を聴かせてくれたのは、ぼくの場合、間違いなくピオトル・アンデルシェフスキになる。世界のいろいろな街で、彼がこのソナタを弾くのを聴いてきた。だから、この曲へのぼくの愛着と理解に関して、いちばん上の層に大きく重なっているのは、おそらく彼の演奏が運んできた共感なのだろう。

 レパートリーに慎重なあまり、プログラムの変化がとてもゆっくりなのがアンデルシェフスキのつねである。だから、コンサートのしめくくりに、この曲を何度となく演奏している。またか、と思うのと同時に、毎回が楽しみで、結果としても、そのたびごとの充実した体験になる。なんというか、いつまでもそこに向き合うことの大切さが、そのときどきで新しく、喜びのように響き出すのだ。

 そうして、アンデルシェフスキはソナタop.110ばかりをくり返し弾き続けている。しかし、その先にあるはずのop.111を演奏してはくれない。変奏曲を弾くとなれば、ディアベッリのワルツ主題による変奏曲op.120を、彼はまず弾く。ベートーヴェンのソロ作品ではもうひとつ、作曲時期も近い晩年の6つのバガテルop.126を採り上げる。ほんとうならば、つまりピアノで演奏できるものならば、「ミサ・ソレムニス」を演奏したいと思っていそうだ。

 そればかりか、彼の弾くベートーヴェンの独奏曲はこの3作しか、ぼくは聴いたことがない。つまり、すべては途上にあるということだ。いかにもアンデルシェフスキらしい態度だとみられる。しかし、それでも決然と、どこかへ向かっている。これは、そういう音楽なのである。

 つづく、
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