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消えたヴェルサイユ―アレクサンドル・タローの影を追って (1)

消えたヴェルサイユ―アレクサンドル・タローの影を追って (1)

アレクサンドル・タローの新しいアルバムは『ヴェルサイユ』。これは、新しいタローの代表作のひとつとなるに違いない。CD “VERSAILLES” Alexandre Tharaud(piano), Sabene Devieilhe(soprano), Justin Taylor(piano) [Warner Classics]
  • 青澤隆明
    2019.12.11
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 アレクサンドル・タローのプログラムについて書くように言われた。「ヴェルサイユ」と名づけられた、トッパンホールでのリサイタルだった。それで、ヴェルサイユについて、あれこれと思いを巡らせた。
 フランスのクラヴサン音楽をモダン・ピアノのレパートリーとして息づかせるのに、タローは彼一流に磨き上げられた奏法と技術をもっている。というよりも、タローのピアノがひときわ脚光を浴びたのがラモーやクープランのクラヴサン作品の演奏で、そこから彼は大きく自由を羽ばたかせていったとみていいだろう。
 
 新しいアルバムも『ヴェルサイユ』というタイトルで準備されていて、11月のリサイタルと多くの曲が重なっているので、一足先にその音を聴いた。「これは、なにかが違う」とぼくは思った。これまでのラモーやクープランのものとは異なり、もっと、なんと言うか、心情の噴出が色濃く迫ってくる。ロワイエのような鬼才の作品もあるから、という曲の性格によるものだけでは決してない。感覚の喜びや即興的な閃きは保ったままだが、パッションを随所で突き上げていくかのような、生々しい魅力が鮮やかに表出されているのだ。

 それで、ぼくはそのことを、コンサートを聴いて確かめたかった。このアルバムが新たなるタローにとっての代表作になるのではないかと強く思うから、なおさらだ。けれど、自分が話をしなくてはいけない夜に重なって、ぼくは結局、そのコンサートを聴くことができなかった。今回のコンサートを聴くための予習めいた準備だけが、熱い期待のまま淋しく残った。

 消えたヴェルサイユを、ぼくは自分で想像するしかなかった。アレクサンドル・タローのプログラムに沿って、その日、その夜だけで、刻々と輝き、続々と消え去っていったはずの、瞬く光輝と哀切の響きを。実際に耳にすることができなかったがゆえに、それはいつまでもやって生の響きとしてはやってこず、だからその必然として、過ぎゆくこともないのだった。
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