ソーシャル・ディスタンス - 物理的な遠さと心理的な近さ Side A: Solo

ソーシャル・ディスタンス - 物理的な遠さと心理的な近さ Side A: Solo

もともと音楽は遠くのことを思う心でもある、とくにロマン派の心情でいうなら。
  • 青澤隆明
    2020.04.09
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 音楽家がひとりで家にいても、やはりつまらないだろう。とくにプレイヤーは。音楽の仲間もいないし、聴き手もいないとなると。

 以前にはいわゆる宅録がたちまち席巻した年代があったけれど、今回の感染症にまつわる事態は社会的な前提がそれとはまったく違っている。つくり手だけではなく、社会全体が在宅化を徹底するべきとされている。ぼくの場合は、比較的そういう仕事の割合がもともと多いとはいえ、ふつうにみればこれはなかなかに苦しく、息も詰まりがちになる。

 人間は社会的な動物である、とよく言われてきたが、もちろんそんなもの、生き物であれば、たいていみなそうだろう。人間なんて、生物としてはべつにえらくない。ただ、通信や伝搬の手段をはるかに遠距離化、間接化して短時間に機能させることができるのは大きな違いとは言える。

 インターネットを当然のように活用して、さまざまな制作や発信の試みが広がっている。この春は、とくにそれがより一般的なレヴェルにも引き寄せられている。カジュアルで、インスタントで、行動のスピードも速く。そうした手づくりのタッチというのは、いつに増して素朴で、飾り気がなく、こちらも家に籠っているぶんだけ、なかなかに親しみがもてて、いい。

 ぼくも家にいて、インターネットを介した試みや取り組みを、ちょっとだけ眺めたりした。個人で自宅から演奏やメッセージを配信している人はそれこそ大勢いるから、まずは友人や知己のものをいくつかみてみた。元気な顔をみてほっとしたのと、こういう部屋で練習しているんだ、というアット・ホームな感じを楽しめたのはよかった。知らない人だとしても、なんというか生活者としての表情が混ざってくるから、ふだんより気どりない一面に接することができる気はする。

 ヨーロッパが都市閉鎖して、最初の頃にぼくがみたのは、イゴール・レヴィットの連日のホーム・コンサートで、曲を弾く前にいろいろと話していたり、実演や録音でまだ聴いたことのないレパートリーが演奏されたりして興味深かった。ソーシャリストとしての発言も活発なピアニストらしい姿勢が強く感じられるし、ここでは音楽を通じて雄弁に語っている。
 正直に明かすと、ふだんからそうしたフォローをしていないぼくに、レヴィットの発信のことを教えてくれたのは、よりによって稀少となっていたコンサートで会った知人だった。あくまでもアナログ先行。

 フランスのmedici.tvでストリーミングされた「ワールド・ピアノ・デイ」もリアルタイムでちょっと覗いていた。3月28日がそんな日だなんて、ぼくはまるで知らなかったのだけれど、お知らせのメールがやってきたのでみてみた。このウェブサイトの本家の話でもあるし。

 ピアニストなど、ひとりでできる演奏家は素早く、こうしたアクションを起こしていたのだと思う。クラシックにかぎらず、とくに弾き語りのできるシンガーなどは、いろいろな人が自分の部屋で歌っている。ノラ・ジョーンズのものをはじめ、ぼくもいくつか観たけれど、とくにファンのひとには温かな気持ちが身近に伝わるだろう。
 そう言えば、そのむかしレナード・コーエンに、『Songs From A Room』という名作があった。
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