憂鬱に見合う音楽

憂鬱に見合う音楽

プーランクのクラリネット・ソナタが流れている。CD◎ Ronald Van Spaendonck(cl) & Alexandre Tharaud(pf) "Franch music for clarinet and piano" (harmonia mundi, 1997)
  • 青澤隆明
    2021.05.29
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 梅雨が近づいてきて、じとじとしてるし、奥歯はなにか不穏な痛みを響かせてくるし、なんというかさんざんなのだけれど、それに見合う音楽がない。聴きたくないというのでもなくて、でも歯痛が和らぐ曲などご存知でしたら教えてください、という気分はやっぱり憂鬱のまま。いろいろうまくいかないし、でもたいていはそういうものだし。時や痛みがやり過ごすべきものならば、こうした不調もまたやりすごすしかなく、それはまた過ぎていくという音楽の宿命にも似ているのだけれど、そんなことを綴っているのをお目にかけるのも決していいことはないですよね。

 それで、なんとなく手にとったプーランクを聴いていて。それはクラリネット・ソナタ、ぼくの大好きな曲で、少しだけ浮かび上がったり、もぐったりする気持ちになって、身を、というか、気持ちを委ねていると、そういうときに音楽は悲しげでもどこまでもやさしく感じられる。効用みたいなものを当てにして聴くのはいいことではないとしても、べつに家で好きで聴いている分には文句を言われるようなこともない。こうして下手に書いたりでもしなければ。

 さて、いまロマンツァの2楽章に入って、ロナルド・ファン・スペンドンクのクラリネットが潔くつよく、まだまだ若くて端正な年代のアレクサンドル・タローのピアノとともに歌っている。1996年4月と録音の日付があるけれど、その頃自分がどうしていたのかはほとんど思い出せない。覚えているのは、もしかしたらいま不穏な気配の歯の治療をしたのがその頃だったのかもしれない、という当てこすりのような思いだけで、それも確かなこととは言えないし。意を決して歯科に行けば、経過観察が必要と言われてしまうのが現在のぼく。経過観察と言えば、音楽もその種の体験だったりして。

 そんなとき、つまり憂鬱に見合う音楽なんてあるのかどうかわからないけれど、こうしてプーランクの旋律がクラリネットの柔らかな響きをとって、たゆたうように流れていくのをみていると、その時間は心底美しいものだと感じる。儚くて、切なく、過ぎていってしまうものだと思う。

 オネゲルの墓前に捧げたとか、プーランクの完成した最後作だとか、そういう事情はおいても、この音楽には生きている痛みに抗するなにかを感じる。歯の痛みとはまるで関係がないけれど、ベートーヴェンを聴いて歯ぎしりしてる場合でないのは確か。そうして、プーランクのソナタは第3楽章になって、もうすぐ雨も上がりそう。窓の外をみれば、ただの曇りでも、寂しげな夕暮れでも。それでも。
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