モンポウの秘密

モンポウの秘密

アリシア・デ・ラローチャとフェデリコ・モンポウのこと。CD◎アリシア・デ・ラローチャ:モンポウ ピアノ作品集(London,1983年録音)、◎Mompou interpeta/plays Mompou (Ensayo,1974年録音)
  • 青澤隆明
    2021.06.02
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 きのうはずっとモンポウを聴いていた。ふだんなら、フェデリコ・モンポウの自作自演盤を聴くけれど、このときはアリシア・デ・ラローチャのアルバムを。

 ぼくが最初にモンポウを聴いたのは、たしかラローチャのアンコールで、『内密な印象』の「秘密」が演奏されたときだ。つまり、ぼくのモンポウへの愛着は、1910年代の最初期作からはじまったことになる。それから歳月が経って、エンサーヨというバルセロナのレーベルに録音されたモンポウ自身の演奏を聴いて、それがぼくにとってのモンポウのスタンダードになった。生まれ故郷のバルセロナで1974年、ということは80歳か81歳でのレコーディングになるから、もっと早くに吹き込まれていたらと思うところもあるけれど、それでも作品の姿が変わるわけではないだろう。

 モンポウの手が大きいのは楽譜をみてもわかるが、かたやラローチャの手はずいぶんと小さい。それだけに工夫された巧さと説得力が備わっている。そして、ラローチャの演奏はやはり彼女のピアニスティックな流儀に沿ったものだ。それはモーツァルトなどでも顕著だし、十八番とされたスペインの作品についてもそうみられる。モンポウに関してもラローチャ一流の磨かれかたをされていることは、モンポウの自作自演を聴いてはっとしたことのひとつだった。

 それでも、両者の録音を改めて続けて聴いてみると、こと「秘密」に関しては、ラローチャのほうが円かで流麗ではあるが、モンポウの豊かなルバートや間と、思ったほど大きく違うわけではなかった。ただ、残響として聴きとられる質がだいぶ違っている。モンポウのレコーディングは訥々として、年齢からだけではないだろう、訥々として震えるように、鐘のうねりのような響きを含んでいる。そこではやはり聞こえないもの、聞こえるもののさきを聞きとろうとする心の動きが促される。モンポウはできあいの美とは違って、ずっとフラジャイルな音楽なのだ。だから静寂に触れる手が震えているのは、曲によってはごく自然なことだと思える。ラローチャのほうは、演奏会のための小品として見事に美しく仕上げられている。

 作曲家のピアノと、ピアニストのピアノの違いはきっとこんなところにある。モンポウは楽譜に記す以前の響きの姿を知っている。あるいは作品が向かう先を凝視している。ラローチャももちろんそれをみつめているのだろうが、人々によく聴かせることがまず自身の仕事としてある。聴き手はそのどちらを通じても、自分の心がその音楽に求める先をみつめて行くしかない。
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