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花火 ほ - ストラヴィンスキー、ディアギレフ、リムスキー=コルサコフ

花火 ほ - ストラヴィンスキー、ディアギレフ、リムスキー=コルサコフ

季節のうた、花火。ストラヴィンスキーとリムスキー=コルサコフ、そしてディアギレフ。
  • 青澤隆明
    2021.08.30
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 ストラヴィンスキーが「花火」を打ち上げたのは、まだ若く、リムスキー=コルサコフを師と慕っていた時代のことだ。
 ストラヴィンスキーの「花火」は、夢のようなオーケストラ曲である。鮮やかだが、5分にも満たない。この短さが、花火らしくてとても素敵だ。
 つまり、花火大会ではない。お祝いの花火、開幕の花火、といった風情である。それもそのはず、本人の言によれば、それは師リムスキー=コルサコフの愛娘の結婚式のお祝いに贈ろうとした曲なのだ。
 そして、この曲が、ディアギレフとの終生の友情の着火点となった。まさに、20世紀音楽を打ち上げる、鮮やかな花火となったわけである。

 ディアギレフがストラヴィンスキーに注目したのが1909年1月、そして彼のバレエ・リュスがパリ・デビューを敢行するのは同年5月から6月にかけてのこと。シャトレ座における「ロシア・シーズン」の開幕である。この年の12月にディアギレフはストラヴィンスキーに「火の鳥」の作曲依頼をする。これはバレエ・リュス初の完全オリジナル・プロダクションとなった。
 さて、最初にディアギレフが依頼したのはショパンのピアノ曲のオーケストレーションで、この編曲は『レ・シルフィード』のバレエ・リュス版上演のために書き下ろされた。パリのシャトレ座での最初の年、その6月に初演された舞台となった。

 『レ・シルフィード』はミハイル・フォーキンの振り付けで、森の精と詩人が登場するロマンティックな雰囲気をもつ舞台だが、その実はストーリーのない抽象的バレエの先駆けだった。
 ちなみに、バレエ・リュスは「花火」も後の1917年にローマで上演している。指揮はストラヴィンスキー本人が務めた。それはバレエ・リュスのなかでも最も革新的かつ前衛的な作品となった。美術と、明かりと音によるパフォーマンスで、ダンサーもいなければ、台本もない。イタリア未来派のジャコモ・バッラが美術、そしてディアギレフとともに構成を手がけた。舞台美術を照らす複雑な照明は、手作業で調光され、初日にはバッラとディアギレフがふたりで手がけたと言われる。

 ディアギレフは法律を学んだ大学時代にリムスキー=コルサコフに声楽を師事し、1907年にパリで「ロシア芸術祭」を行うときにも説得し、師の指揮者としての渡仏を実現した。初期のバレエ・リュスの音楽的中心をなした「ロシア五人組」のなかでも、とりわけ大きく貢献したのは他ならぬリムスキー=コルサコフでもあった。
 つまり、「花火」のバレエ・リュスでの舞台化は、ストラヴィンスキーとディアギレフにとっては、深い友情で結ばれたふたりが協同で捧げる恩師へのオマージュとみてよいものだったのではないか。未来をまなざす「花火」の舞台初演は、ちょうどリムスキー=コルサコフが亡くなって10年目のできごとだった。
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