VARじゃ、わからない。[Bagatelle]

VARじゃ、わからない。[Bagatelle]

ラグビーワールドカップ2019は、ほんとうに面白かった。今年の思い出として、くっきりと記憶に残るだろう。さて、ラグビーでは競技の性質上、主審の視界は限定されるので、TMOという映像の活用が大きくそのジャッジを支える。フットボールで言えば、VARなるものが活用されるが、これがなかなかに難物だ。音楽にしても、なんにしても、判断や評価の基準はいつだって難しい。
  • 青澤隆明
    2019.11.28
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 同じ曲を同じ会場で、違う演奏者で聴く、たとえば、10日の間にもそういうことは起こる。もし同じような席で聴けるなら、ちょっと実験めいていて面白いには面白いが、さて、そうなるといちばん問題となってくるのは聴き手のコンディションのほうである。

  ぼくは不確かな、移ろいやすい生きものだが、経験と習慣上、ある程度の重心と定位をもって、演奏会に臨むようにはしている。それでも、10日前の19時のぼくと、10日経った19時のぼくと、似ていることはたしかでも、同じには思えない。同じように思おうとするから、それに性格や生活の惰性などもまずあって、同じようなふりをしているだけの話である。他人を困惑させたり、自分で混乱したりしないように。
 10日前のぼくのことは、もういまのぼくにはあまり思い出せない。そんなにたいへんなことが起こらなくても、ただ眠って起きただけのことでも、ときどき自分のことが思い出せない。そんな不確かさで、ある意味、技術的にものごとを判定することなどできるのだろうか。違うときに、違う場所で起こったことについて。少なくとも現象の物理的比較はやめたほうがいいだろう。

 ところで、ぼくはリヴァプールのサポーターだから、当然プレミア・リーグの試合を中心に観ている。すると、VAR (Video Assistant Referee)なるものが今季から試験的に導入されていて、とくに問題となるのがオフサイドの判定である。言うまでもなく、険しい鬩ぎ合いになればなるほど、オフサイドぎりぎりの駆け引きでないと決定機はつくれない。
 現段階ではプレミア・リーグのVAR活用は補助的なもので、あくまでもレフェリーの必要に応じて活用するという人間主体の運用であり、それは望ましいことだと思うのだが、ゲームは止めずに、後から振り返って検証するから、ときにはゴールまでに至ったプレーのいくつか前におかされたかもしれないハンドが得点の成否を決定する、などということが実際に起きる。
 とはいえ、ハンドは故意か流れかどうかの判断で意思的にジャッジされるが、オフサイドに関してはもっと直線的な把握である。つまりは、心理の問題ではなく、物理的判定である。
これがかえって、ややこしい。
 身体の一部が、たとえば腕の先が、相手チームの誰かの身体の端よりゴール寄りに出ていたら、それはオフサイドになってしまう。わかりやすい、ようにもみえるが、その判定の基準になるのは、きくところによると60分の1秒のコマ送り連写の切り出し映像である。
 60分の1秒なんて、カメラを少しいじったことがある人なら、かなり大きな時間だとわかっている。出し手がボールを蹴った瞬間を近似値で停止し、そのときの腕の振りなどをチェックすることになるが、その根拠となる瞬間の正確な同定はいわば運任せなのである。
 そういう正確を装うしかない曖昧さによって、試合の流れや、最終的には結果までも決定づけられ、多くのフットボール・ファンが一喜一憂するわけだ。精度は高まっても、正確とは知れない。当然のことだ。つまり、根拠の基点とされる瞬間が60分の1秒未満で不確定なのである。ならば、レフェリーの経験にこそ頼ったほうがいいのではないか、と結果的には思うことも多い。

 というような憤りをいつまでも手放せない者が、どうして自らの判断を、あてにはするにしても過信することができるかというと、正直に言って、はなはだ心許ない。いくら定点を保とうとしても、天候は変わりやすく、ぼくらは固定カメラでもなければ、ドローンでもない。
 つまりはバランスの問題である。地形はある程度固定されているようにみえるとしても、空の天気のほうは流動的なもので、その間にこそ、音は響き出すのだろう。地図を緻密に描けるような重心は保ちつつ、しかし雲をみるように移ろう心の柔軟さも保っていたい。なぜなら、人が鉱物の心で音楽を聴くことはまずないからだ。そもそも、ショーという側面をひとまず置けば、音楽はあらゆる意味で競技ではない。

 さて、こういう書きもののコーナーを始めるからなにか好きに書いて――と声をかけられて、すぐに応えようとぼくが思ったのは、その声の元がそういう柔軟さと確かな直観をもつ人だったから、ということに尽きる。だから、もしも願いが響いて、そのような方々に読んで、いろいろ思ってもらえたなら、ぼくはうれしい。
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