旅は道づれ、時につれ - 宮田大と大萩康司のトラヴェローグ

旅は道づれ、時につれ - 宮田大と大萩康司のトラヴェローグ

宮田大(チェロ)&大萩康司(ギター) リサイタル(2021年6月11日、紀尾井ホール)  サティ:ジュ・トゥ・ヴ、ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ、ニャタリ:チェロとギターのためのソナタ、ピアソラ:タンゴの歴史~カフェ1930、タンティ・アンニ・プリマ、ブエノスアイレスの冬、ブエノスアイレスの夏
  • 青澤隆明
    2021.06.29
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 チェロの宮田大とギターの大萩康司のデュオ・アルバム『Travelogue』は、去年の秋から幾度も聴いているけれど、コンサートで味わうのはまたべつの楽しみだ。ふたりのデュオはとても自然に息が合っているし、かなり精彩に変化をつけるので、コンサートで聴いたら毎回の違いが鮮やかに出るに違いない。ということを、自分の部屋でCDを聴いているときも想像していたし、聴くたびにみえてくる景色も違うのだった。それが、こちらの気分や心境のせいなのか、彼らのデュオ演奏の奥行きなのか、対話の余白なのか、作品の多彩さなのか、たぶんそのいずれでもあるのだろう。

 で、コンサートで初めて聴くふたりのデュオは、どの曲のどの局面も新しく、親しさとともに緊張がいつもぴんと張っていた。とくにピアニシモでの精細な歌いかけが多様な表現をひらいて、ほんとうにその場にしかないような息づかいを生むからなおさらなのだった。宮田大の弱音の歌いかけの凄みにしても、ギターとのデュオだからなおさら極まってくるのだろうし、大萩康司のギターも微細な音でもきちんと統制感できりっと構築されている。おたがい互いに他の楽器との、他の奏者とのデュオではなかなか成し得ないような微妙な表現を繊細に引き出していて、随所で息を呑んだ。だから次にどんな風景に出て行くのかもわくわくして見守ることができる、まさしく旅行記の名に偽りはなかった。

 プログラムは、サティ、ラヴェルのパリから、ブラジルのニャタリでさらに新しい響きを聴かせて、アルゼンチンから現れたピアソラへ。今年が生誕100年。ピアソラも小さな声で語られることの凄みみたいなものが、宮田のチェロと大萩のギターだとヴィヴィッドに伝わってくる。タンゴの歴史~カフェ1930で前半をしめくくり、「タンティ・アンニ・プリマ」から「ブエノスアイレスの冬」そして「夏」。アンコールではルグランの「キャラバンの到着」でフランスに帰還したけれど、いろいろな光と影が交差して、だけど全体としてどこか清々しい感興があった。

 こうなると、コンサートそしてアルバムでの「Trevelougue」の続篇はますます楽しみになるし、ふたりがいい関係で、そのときどきの季節を深めていくのも興味をそそる。ピアソラの四季になぞらえれば、まだ3作つくるだけの季節はあるわけだし、やはり季節というものは巡ってこそそのほんとうの価値が身に滲みるものだとも思うわけです。ギタリストの名前に含まれる秋もありますしね。どうぞよろしく。
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