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土曜の朝のベートーヴェン

土曜の朝のベートーヴェン

時代もしくは文化の違いについて、寝ぼけた頭で思ったこと。
  • 青澤隆明
    2020.04.04
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 仕事の必要があって、金曜の夜からずれこんで、ベートーヴェンのピアノ・コンチェルトを今朝も聴いている。

 愛すべき音楽だとは確かに思うけれど、土曜の午前中からベートーヴェンのコンチェルトは、ちょっと意識を離して眺めてみると、なかなかに異様な光景である。朝起きてすぐ時代劇や戦争映画をみるような、もっと近いのはシェイクスピアの史劇を観るような感じだろうか。テレビをつけたらいきなりやっていた、というのではなくて、しかもそれを自分でステレオにくべるわけだ。まったく、どうかしている。少なくともぼくの起き抜けには、不釣り合いで、かなり距離の遠い行為だ。

 義務教育の時代には、音楽室の肖像画をみるたび、なんでこの人たち、鬘を被っているのだろう、なんでこんなこてこての油彩なんだろう、と思っていたけれど、これは確かに、そういう人たちがそういう時代と社会、文化のなかでくり出した音楽なのである。人と人の物理的距離が近い社会の賜物である、という厳然たる事実が、昨今の災禍と接触性の濃厚な生活文化との相関性を思うと、なおさらはっきりと突きつけられてくる気がする。なにごとも一長一短で、それぞれに理があり、利もある。
 
 かといって、聴いているぼくはといえばスウェットで、髭も剃っていない。聴いている心が、重たい鬘をびしっと決めるわけでもない。いや、ベートーヴェンは鬘なしで、髪をワイルドに乱して、いっそう暑苦しくみえた。なのに、いちおう顔は洗ったけれど、ぼくはいまだ朧げだ。こういうことではいけないのではないか、とも思いつつ、時代の向こうを睨んでいる、いま。
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