《クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団》来日直前特集!!へ
元日のバッハ

元日のバッハ

CD◎ジャン=ギアン・ケラス (vc)『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲』(harmonia mundi 2007 / HMC-901970)
  • 青澤隆明
    2023.01.03
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 元日には元日らしく、バッハを聴く。そんなふうに決めたつもりはなくて、成り行きでそういうことになっただけだが、それでもバッハはバッハである。いつもなら自然と手が伸びるのは鍵盤なのだが、2023年はチェロの無伴奏組曲で始まった。

 新年なのだから、ベーシックなものがよいのではないか。そんな気がしなくはなかったし、とすれば第一にカザルスなのだろうが、そんなことにこだわっている場合ではない。昨年12月半ばに王子ホールで聴いた、ジャン=ギアン・ケラスの全曲演奏会が素晴らしかったからだ。 

 それで、ケラスが弾くバッハのCDをひさしぶりに手にとった。むかし聴いたときは、と言ってもたかだか2007年の話なのだが、ケラスのチェロが器用さを超えて、逞しく晴朗に歌っているように思った。ジョフレド・カッパのチェロを新しく弾きはじめて、その充実が組曲への挑戦に繋がったようにさえ感じた。それだけ、この楽器でバッハを弾くこと自体に、喜ばしい伸びやかさが広がっていたのである。

 年月を隔ててレコーディングとコンサートを比較してどうするのだ、という気もつよくするのだが、ひとつ思ったのは15年前の録音では、カッパがケラスの演奏領域をしっかりと拓いていたと感じた(なんだか河童が鴉の、みたいな音感である)。ほんとうは、楽器のほうにしてもすぐれて現在的な名手によって表現を拡張していたはずだが、そちらのほうは想像にすぎない。

 ところが、先だってのコンサートでは、ケラスがカッパに新しい世界をみせていた、と思ったのだ。おそらく、それはヴィオラ・ダ・ガンバの響きや身振りへと遡行したケラスの想像力によって拡充されたものではないか、と感じた。と言っても、ジョフレド・カッパのそのチェロは1696年製だというから、だとすればマラン・マレ40歳の年につくられている。その時代の空気のなかで、新しい期待を負って出てきた新興楽器ということになるから、このチェロにとってはそう遠くない響きであったはずだ。同時代のなかでは過去の方角に属する質感だったとしても。だが、そうした出自はおいても、バロックから同時代まで旅するのはもちろんのこと、民族音楽や即興演奏も含めて、時代的にも地理的にも自在に越境を続けるケラスの旺盛な冒険につき合うことで、カッパの楽器も未知の光景にたくさん立ち会ってきたに違いない。

 昨年の夏には、ちょうど先祖返りをするように、マレのヴィオール作品を旅した後だから、そちらの方角に響きの感性や質感が目覚めているのも自然なことだ。聴いていてすぐ、そんなふうに思い立ったが、物事はきっとそんなに単純なものではないのだろうな。

 それでも、ぜんぶがいつかは繋がっていく。よく生きていれば、きっとそうなるはずなのだ。
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