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クラウス・マケラ、都響とのショスタコーヴィチ7(青澤隆明)

クラウス・マケラ、都響とのショスタコーヴィチ7(青澤隆明)

クラウス・マケラ指揮 東京都交響楽団(2022年6月26日、サントリーホール) サウリ・ジノヴィエフ:バッテリア(日本初演)、ショスタコーヴィチ:交響曲第7番 ハ長調 op.60《レニングラード》
  • 青澤隆明
    2022.07.28
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 コンサートを聴けば聴くほど、驚くことも増えるはずだが、その分驚きにくくなってくることもある。
 しかし、そんなこととは関係なく、霧が晴れるような思いをすることもある。クラウス・マケラの話である。この初夏、4年ぶりに東京都交響楽団を指揮しての、ショスタコーヴィチの交響曲第7番を聴いたときのことだ。

 演奏が始まったとたん、目を見張るほどの解像度で、鮮明な響きが立ちあがる。オーケストラが細胞レベルに目覚めている、としか言いようがない。この素晴らしく明敏な覚醒感は、指揮者天性のものだろう。
 場面場面を開放的に描き出していく手腕の鮮やかさは、クラウス・マケラがこの曲を手の内に収めていることの証だろうが、驚くほどストレートで闊達で、そこにアイロニーのにおいなどはない。しなやかな優美さを伴って、フランス近代を髣髴とさせそうな響きだ。

 ショスタコーヴィチの第7番と言えば、とかく多様な含みや思念を宿してきた作品だろう。クラウス・マケラはしかし伝聞や憶測ではなく、テクストをまっさらにみつめたときに、どんなことが起きているのか、ということを鮮やかに形象化していった。しかも、驚異の解像度である。それゆえ、美麗ともいえる明朗さが全体に優勢になるし、逆に不協和音の純度の高さなどは、頭での意味の理解よりも速く、瞬時に生理的な嫌悪感を引き起こす。

 クラウス・マケラが誰かの含意よりも自らの率直さを身上に導く、瑞々しく伸びやかな響きは、音響体として見事なものだし、活発で闊達な生命感に溢れている。東京都交響楽団が快く、開かれて鳴りきっている様子がまた、指揮者に寄せる期待や信望、そしてなにより演奏の喜びを直に熱く伝えてくる。

 これに先立ったのは、クラウス・マケラと同じくフィンランドの新鋭サウリ・ジノヴィエフの2016年作「バッテリア」の日本初演。これもまた鮮やかな造形だったが、今回が日本初演でもあり、知っているつもりのものが、異なる顔で出てくるときの驚きとは違う。

 20代半ばにして世界を席巻するクラウス・マケラは、この夏のヴェルビエ音楽祭でも大いに活躍しているさなかだ。コンサートの模様はmedici.tv JAPANでもライヴ配信されるし、その音像もクリアなものであるに違いない。しかし、全身を包むように直接感覚に訴えてくるのはやはりライヴならではの興奮だ。この秋、新しい音楽監督としてパリ管弦楽団を率いての来日が、いまから待ち遠しくてならない。
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