誕生日前夜のミーツ・ベートーヴェン - 清水和音の弾く4大ピアノ・ソナタ

誕生日前夜のミーツ・ベートーヴェン - 清水和音の弾く4大ピアノ・ソナタ

生誕250周年、ベートーヴェン・イヤーの白眉。男気の4大勝負。◆ミーツ・ベートーヴェン・シリーズ Vol.4 清水和音(2020年12月15日、東京芸術劇場)ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調 op.13「悲愴」 、ハ長調 op.53「ワルトシュタイン」、第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」、第23番 ヘ短調 op.57「熱情」
  • 青澤隆明
    2020.12.30
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 気がつけば師走。ベートーヴェン生誕250周年の記念年も困難に見舞われつつ、日本では「第九」をコンサートで聴くところまでやってきた。世界中で足踏みをしたベートーヴェン・イヤーだが、そういうことともさして関係なく、いくつか記憶に残るコンサートは幸いにもあった。

 まっさきに思い出すのは、最近だからというのでもなく、清水和音が弾いた4曲のピアノ・ソナタだ。ぼくにとっては、今年ベートーヴェン・イヤーの白眉と言ってよい演奏会となった。外来の演奏家が続々来日できていたとしても、おそらく変わることはなかっただろう。

 「悲愴ソナタ」op.13の出だしからズンときた。頑強に激しく打ちこまれ、突然の幕開けから豪気が漲る。その先もずっと、ずしんとした存在感が保たれる。ここに在り、という確固たる現前と、未来を押し拓く強靭な意志が、一貫して緻密に積み上げられていった。弁舌滑らかというのとはまた違って、表現上の葛藤が雄弁を導くことがあるように、清水和音のベートーヴェンは、細部を濃く充たしていくように存分の説得力を克ち得ていた。

 プログラムはわかりやすく「4大ピアノ・ソナタ」をわかりやすくうたい、「悲愴」、「ワルトシュタイン」、「月光」、「熱情」と強面の並びだ。その実、素晴らしい選曲構成で、調性の面からみれば前半がハ短調とハ長調のコントラスト、後半は嬰ハ短調とヘ短調、#4つと♭4つの組み合わせである。前後半ともより早い年代の実験作から始めて、op.53とop.57の両雄作で締めくくる強硬な布陣だが、そこにベートーヴェンの挑戦の流れがしっかりと脈打つ。人気名曲を集めただけにみえて、途轍もない創造の冒険が籠められた狂おしい選曲。それらを数えきれないほど弾いてきたピアニストが、なおも真剣勝負で臨んだのである。

 清水和音の演奏表現は、そうしたベートーヴェンの挑みの覇気を正面で見据え、まざまざと鮮やかに刻印したものだ。傑作の傑作たる所以は、この場合よく出来ているということではなくて、はみ出すように迸る才気と力量に充ちた創造性のほうにある。細部をきちんと描き出しながら、全体として猛猛しいまでの男気と存在感に充ちた演奏が聴けた。折しも天才の誕生日を目前にしての「ミーツ・ベートーヴェン」。題目は叶えられたと言ってよい。

 そうして、アンコールには、さりげなくスクリャービンのポエムで優美な香気を色めかせる。タフな戦いの後に美味しいデザートをいただくような感じで、それがまた清水和音らしい。ここまでのベートーヴェンにはない境で、彼の音の美しさと豊かな色彩の広がりが、夢み心地の魔法のように際立っていた。
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