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火と氷の国からきたピアノ-ヴィキングル・オラフソンのこと(1)

火と氷の国からきたピアノ-ヴィキングル・オラフソンのこと(1)

昨年に続いて、この12月に来日し、リサイタルとコンチェルトを聴かせるヴィキングル・オラフソン。彼のピアノは独特で、他の誰とも違う、新しい時代の演奏だと思わされる。まずは昨年のコンサートのことを、ざっと思い出しておこう。
  • 青澤隆明
    2019.12.05
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 アイスランドと聞けば、いまだにシュガーキューブズをまっさきに思い浮かべる時代遅れの人間です。彼らはぼくが高校のときにデビューしたんだと思う。そこからビョークが大活躍して、やがてシガー・ロスがやってきて……、そのさきは、ぼくにはまだ霧のなか。
 あと、もっとクラシック寄りで思い出すのは、オーラヴル・アルナルズとヨハン・ヨハンソン。ポスト・クラシカルって言うの? なんだかへんな言いかただ。
 で、ヴィキングル・オラフソンだが、アイスランドは名字がないから、オラフソンはオーラヴルのソン(息子)ということになる……、あれ?                                                                                                    


 アイスランドから颯爽と登場したヴィキングル・オラフソンはまず、フィリップ・グラスのディスクで世界的に注目されたが、ぼくが最初に聴いたのは実演のメンデルスゾーン。
 それから、バッハの選集のCDも出た。日本盤はこれを「カレイドスコープ」と巧みに名づけていた。これらを様々な音楽家の手が加わってさらに多面的な「リワークス」に仕立てたものを合わせて、改めて2枚組の国内盤としてもこの12月初頭にリリースされたばかりだ。

 さて、ヴィキングル・オラフソンの実演を聴くのは、今年12月2日のリサイタルで3度目になる。そのまえにこれまで、というか昨年のコンサートで思ったことを、ざっと記しておこうと思う。
ぼくが初めて彼のピアノを聴いたのは、2018年6月のN響定期で、アシュケナージの指揮で、めずらしい選曲だった。ヴァイオリンの庄司紗矢香とともに、メンデルスゾーン若書きのニ短調協奏曲を演奏したのである。
 舞台に出てきてまず、大きな人だな、と思ったが、ピアノも落ち着いて、どっしりと構えていた。響きの空間をきちんと大きく保って、ピアノが前に立つ性格が強いこの曲を綿密に聴かせていったし、庄司紗矢香とも良い対話感を保っていた。

 それから同じ2018年の10月に紀尾井ホールでリサイタルを聴いた。プログラム前半はバッハのセレクションで、これが抜群によかった。このピアニストの主知的といってもいい合理性と、音楽をしっかりと組織化する演奏技術と統制が、集中力の高い稠密な造型に鮮やかに示されていたからだ。調性の連関を枠としてかたちづくりつつも、そのなかで編曲も交えて、即興的なものも加えつつ、いろいろな面を出そうとしていることがわかる。

 リサイタルの後半は、ベートーヴェンのop.2-1とop.111、ピアノ・ソナタ第1番と第32番ということで楽しみにしていたが、後者が同じハ短調の「悲愴ソナタ」op.13に変更になった。
 最初のソナタのはじまりの音と、最後のソナタの終わりの音でハ音の円環をなすのは、レジェンドめいたところがあってベートーヴェンの神話性を強めるのにはうってつけだろう。とはいえ、それが「悲愴ソナタ」になっても、しまいにハ長調をとるop.111とは、長調と短調の和音の違いこそあれど、主音はハで保たれることは保たれるのだ。もっとも、「悲愴」の第 8番で閉じるのは早いから、もういちどしっかり第32番まできて閉じたのかもしれない。でも、ハ長調のほうがよければ、その前にワルトシュタイン(第21番)でもばっちり閉じるわけだから、こういうことはあまり言いすぎないほうがいいような気もする。
 そのソナタop.111のほうは、今年の来日公演で、まもなく聴ける。12月11日、すみだトリフォニーホールでのプログラムに入っているから、そこで曲目変更がなければ……という話だが、演奏会後半に新日本フィルと共演するモーツァルトがハ短調の協奏曲だから、まず大丈夫だろう。これで、1年越しにベートーヴェンのCのサークルは閉じるわけだ(って、また言ってるし)。

 さて、昨秋のベートーヴェン演奏はと言えば、こちらは作品のできるかぎりの全容を捉えるというよりは、むしろ曲の情緒よりも機能と構造を重視して、精巧な組み立てを試みていく傾向が強かった。ヘ短調ソナタop.2-1に顕著だが、パーツの可視化が全体を連続するという志向で、こう記すとなんだか当然のことにもみえてしまうが、やはり組み上げのほうに彼という演奏者=解釈者の興味の重心はあるようにみえる。「悲愴大ソナタ」op.13では、もちろん感情的な傾斜はどうしたってみられるが、それも内心の吐露というよりは、必要に応じた配分という正当性を保っている。

 というのが、ぼくのこれまでのヴィキンクル・オラフソン体験のあらましである。グラス、それからバッハのレコーディングも、昨秋のリサイタルをまず生で聴いてから、あとでゆっくり聴いた。それを書き始めると、また長くなるので、そろそろおしまいにします。

 ところで、アイスランドが「火と氷の国」って呼ばれてるの、知ってました? 
 氷河と火山が多い風土だから。なるほど……。
 なるほどね。
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