満月の向こう -ラドゥ・ルプーの75歳に
CD◎ Radu Lupu Complete Recordings (Decca)
ラドゥ・ルプーの75歳のお誕生日。満月、ビーバームーン。
もうコンサートをしなくなってしまったので、ずいぶんと長いこと、ラドゥ・ルプーのピアノを聴けていない。それで、ときどき古い録音をとり出して聴くのだけれど、そのたびにあの困ったような顔で、そんなものを聴いてどうするんだ? と窘められている気がする。
しかし、そんなことを言ってもいられないので、それでもぼくは録音を聴く。そして、コンサートでの記憶を重ねたりして、いまこれを弾いていたらどんなふうだろう、と想像してみたりする。生演奏では聴けなかったレパートリーもたくさんあるけれど、それでも自然とそういうふうに考えている。
音楽というのは、山の天気のように、そのときどきでしか起こり得ない魔法のようなものなのだ。生きてその場所に立ち会えなければ、そのまま伝わらない。そのことをこれほどに強く感じさせる音楽家が、ほかならぬラドゥ・ルプーだった。
言葉にすればあたりまえのことだけれど、そうした瞬間が起こるのはほんとうに稀だし、たいていはその手前で空を見上げているようなことになる。それでも、なにかが起こることを待ち望みながら、ぼくたちはそれが聞こえる可能性のある場所に赴く。
人前でピアノを弾かないとき、音楽はどこにいるのか、いないのか。舞台を降りたピアニストに、心やすまる穏やかで楽しい時間がたくさん続いていることを、ぼくは心密かにお祈りする。こんやの月はまあるく満ちて、高く冴え、どこまでも静かだった。
もうコンサートをしなくなってしまったので、ずいぶんと長いこと、ラドゥ・ルプーのピアノを聴けていない。それで、ときどき古い録音をとり出して聴くのだけれど、そのたびにあの困ったような顔で、そんなものを聴いてどうするんだ? と窘められている気がする。
しかし、そんなことを言ってもいられないので、それでもぼくは録音を聴く。そして、コンサートでの記憶を重ねたりして、いまこれを弾いていたらどんなふうだろう、と想像してみたりする。生演奏では聴けなかったレパートリーもたくさんあるけれど、それでも自然とそういうふうに考えている。
音楽というのは、山の天気のように、そのときどきでしか起こり得ない魔法のようなものなのだ。生きてその場所に立ち会えなければ、そのまま伝わらない。そのことをこれほどに強く感じさせる音楽家が、ほかならぬラドゥ・ルプーだった。
言葉にすればあたりまえのことだけれど、そうした瞬間が起こるのはほんとうに稀だし、たいていはその手前で空を見上げているようなことになる。それでも、なにかが起こることを待ち望みながら、ぼくたちはそれが聞こえる可能性のある場所に赴く。
人前でピアノを弾かないとき、音楽はどこにいるのか、いないのか。舞台を降りたピアニストに、心やすまる穏やかで楽しい時間がたくさん続いていることを、ぼくは心密かにお祈りする。こんやの月はまあるく満ちて、高く冴え、どこまでも静かだった。
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