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アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ 101

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ 101

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの101年目に。◎ラヴェル:ピアノ協奏曲 エットレ・グラチス指揮 フィルハーモニア管弦楽団(EMI)
  • 青澤隆明
    2021.01.06
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 1月5日はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの誕生日ということで、昨年が100周年だったから、生きていれば今年で101歳を迎えたことになる。新年、正月に生まれた人だときけば、やはりそのような気はする。

 2020年という年は偉才の生誕100周年という時分であるだけでなく、亡くなって25周年でもあった。その機会の仕事も手伝って、レコーディングをたくさん聴いた。CDを聴くにしても、鋭く細い針を落とすときの緊張感があって、聴き終えると、どっと疲れている。こんなふうに生きていくのはどうみてもたいへんだと思うが、ほんとうの芸術家はそうした宿命を引き受けているのだろう。

 ということで、2021年が明けて、ラヴェルのコンチェルトをまた聴いた。1957年3月、アビー・ロードでのスタジオ録音、エットレ・グラチス指揮フィルハーモニア管弦楽団との有名なレコードだ。アダージョ・アッサイの第2楽章を聴いているといつもそうなるように、この時間が永遠に続けばいい、とか思うのだけれど、そういうものではなくて、それほど経たないうちに、必ず終わることはわかっている。現実の時計でみるとほんの10分にも満たないが、この前にも後にも遥かな時は過ぎている。第1楽章や第3楽章という意味ではなくて、それらに縁どられることをおいても、晩年にいたるラヴェルの歳月も含めて、途轍もない時間がかつて流れていて、しかし途方もないほど中空という感じに充たされている。

 それが空白ではなく、優美に充ちているということが、なおのこと、その時間の感情の質を孤立させているように思われる。鞭打ちで唐突に音楽を目覚めさすラヴェルの天才をもってしか、曲のまんなかにはさんで、この澄んだ時間を切りとるように表出することはできなかった、という気がする。それはもちろん、ベネデッティ・ミケランジェリのピアノによって、粛然と奏でられるからこそだ。たんなる感傷ではない時間のリリカルな感情が、それこそ「高雅で感傷的に」映し出されていて、ぼくは途方に暮れる。しかし、曲はそこに安住することなく、掻き立てるように運動を続けていくのだ。この101年というもの、いや、曲が書かれて30年のあいだ、ずっと回り続けるようにして。
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