ポリーニのエチュード (青澤隆明)

ポリーニのエチュード (青澤隆明)

CD◎マウリツィオ・ポリーニ (p)「ショパン:12のエテュード op.10 & op.25」(Deutsche Grammophon,1972)
  • 青澤隆明
    2021.05.12
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 ショパンのエテュードを聴く必要があって、ほんとうに久しぶりにポリーニのレコーディングをかけた。作品10と作品25の24曲。冒頭のハ長調、アレグロのアルペッジョから、時代の音という感じがたちまち鋭く起ち上がってくる。

 新しい時代の到来、というのは、そのとき彼自身も含む多くの人々がマウリツィオ・ポリーニに賭した期待だったに違いない。1972年のミュンヘン録音、ということは、新鋭ピアニストがちょうど30歳になったばかりでもあった。やはり歴史的モニュメントと言っていい。

 鋭敏で明度の高い放射が強烈なのはいま聴いても確かだ。悲劇性を煽るような性急さが耳につくこともまた確かで、だからぼくはこの録音をずっと聴かなかったのだということに気づいた。

 しかし、それはショパンにとってみても、悲壮な覚悟に近い試練のインヴェンションであったはずだ。故国を離れ、ウィーンからパリへと辿り着くなかで書かれていったのが最初の作品10に編まれる作品群。彼自身にとっては「故国を捨てた」という暗い心情も痛切だったのだろう。若いだけでも十分切羽詰まっているのに、しかもあれほどの天才で、あれほどに悲劇的な境遇である。

 そこには、勇壮に表現を切り拓こうとする硬質な意志が強度に漲っている。「練習曲」というのは、やはり精神と創造の意味合いにおいてこそ輝きを放つものだ。1970年代に入り、戦後新時代の先陣を切ったミラノの俊英は、そうしてショパン演奏を刷新した。それはどうあれ闘いの旗色を帯びていた。未来はまだ未来のまま手つかずにあった、ということだ。

 いまから半世紀ほどまえ、ぼくが生まれた頃の話である。1972年のリリース、と言えば、ディープ・パープルなら“Machine Head”でかっ飛ばす年の出来事だ。
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