花火 と - ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキー

花火 と - ストラヴィンスキーによるストラヴィンスキー

季節のうた、夏。花火。ストラヴィンスキーの自作自演のこと。CD◎Igor Stravinsky The Complete Columbia Album Collection (Sony Classical)
  • 青澤隆明
    2021.08.31
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 と、ここまでストラヴィンスキーのくだりを記すのに、「花火」を3つの演奏で、ぜんぶで8回くらいくり返し聴いた。そのうちふたつはストラヴィンスキーの自作自演盤である。

 まずは、米国コロムビアのシリーズ・プロジェクト『ミート・ザ・コンポーザー』のストラヴィンスキー篇(ほかにどんな作曲家のものがあるのだろう?)の冒頭を飾る演奏で、1946年1月のレコーディング。終戦の年が明けての録音である。指揮はもちろんストラヴィンスキー自身で、オーケストラのクレジットは“with Philharmonic-Symphony Orchestra of New York”、舞台はカーネギーホール。翌年にまず78 rpm盤でリリースされたもので、一連の録音を集めてLPアルバムにまとめられた。いまはCDでSONYのスラヴィンスキー・ボックスに収まっている、その最初期のドキュメントである。

 時代の音という趣だが、音質が滑らかすぎず、少々毛羽立って感じられるのが、むしろ花火のタッチに近い。音で絵を描いている、というふうに感じる。しかも骨っぽい油彩である。身体感覚が生々しくあるからだろう。それで、演奏はドライだし、残響などもからっとしているが、それもなんか花火っぽいし、夏の夜を遠くから思い出す感じもする。

 もうひとつは、それから15年以上が経過して、1962年のトロントで、CBC交響楽団を指揮した録音。“The Spectacular Sound of Stravinsky”というLPにまとめられたもので、「花火」と同年に作曲された「スケルツォ・ファンタスティーク」など、6つの「ショウ・ピース」が収められている。。Sが3つ並ぶアルバム・タイトルが、すっきりとその音楽の本質を表していると思う。

 音はステレオになり、より流麗で、エレガントになっている。トロントでの録音と聞けば、もっと空気が自然に近く澄んだ印象もあって、伸びやかで色彩的にも思える。最初の一枚のほうが劇画っぽいタッチに聞こえるけれど、演奏自体の行きかたや行先が大きく違っているわけではない。曲の中間のレントのところでは、もっと神秘的に火花や残滓が落ちてくる。

 さて、4分にも満たない短い幻想曲のなかで、通して数えてみると、結局、大玉が打ち上げられるのは1発、3発、2発、そして最後に1発。ドンないしドンドン、という強打音で数えると、それだけだ。あとは準備やファンファーレ。いまの花火大会とは違って、やたら数を打つのではなく大事に扱っている。えーと、合計たった7発で、これだけの豊かさという簡潔さ。さすがである。夜空は煙に巻かれず、まだまだきれいだ。

 作曲は1908年の時点のロシアである。フランス印象派のにおいを吸ってはいるけれど、すでにストラヴィンスキー一流の強烈な音楽の炸裂を先駆けている。その意味でもまさに打ち上げ花火だった。
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