シューマンの水際で 

シューマンの水際で 

ロベルト・シューマンの誕生日に寄せて。CD◎ピオトル・アンデルシェフスキ(pf)『シューマン作品集』(Erato/Warner)
  • 青澤隆明
    2020.06.09
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 きのうはロベルト・シューマンの誕生日だった。ピオトル・アンデルシェフスキのアルバムを聴いていた。べつに誕生日ということにかぎらず、どうしてもシューマンの、しかも「暁の歌」ばかり聴いてしまうのがこのところで、それが点々としてきのうも続いた、というだけの話。

 生きていれば、210歳になる。生きていなくても、シューマンの音楽は響きつづける。そうして、このアンデルシェフスキのCDも、ちょうどいまから10年前の秋、つまり作曲家の生誕200周年にレコーディングされた。

 シューマンがいなければ、人生はどれだけの興味を他所に過ぎていったことだろう。親密さと、遥かな遠さと、それがどちらもおなじところにあるという奇妙なほど当然な感覚と。引き裂かれたものと、結び繋ごうという切実な願いと。その間と、間そのものが存在するいう非在感と。逸脱し離散していくものと、秩序を建てて保持しようとする儚いまでの努力と。あらかじめ失敗を宿命づけられてなお、それを夢中で追い求めなければならない精神の悲痛と。ぼくたちが愛するべきものの多くが、この男の追いかけた幻影の水際に漂泊している。

 アンデルシェフスキのシューマン・アルバムは、フモレスケ op.20からはじまり、カノン形式による6つの作品(ペダルフリューゲルのための練習曲) op.56のなかを透過するようにして、暁の歌 op.133へと漕ぎ着く。20代の終わりから、30代半ば、そして43歳でみた最後の光へと渡っていく。跳躍の動きの多さに激しく分断されながら、ともかくもつよく耐える心が貫かれている。

 極めて揺れ動きの多いフモレスケから、バロックの対位法フォームをもとにした探求を通って、夜明けのコラールへと静かに渡りゆく歩みそのものが、アンデルシェフスキのシューマンへの真率な共感を親密に打ち明けている。いろいろのことを書く気は、いまはしない。澄んだ光が一際美しく射しているこの束の間のうちは。
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