水と器 -ヴィキングル・オラフソンのバッハとグラス
CD◎ ヴィキングル・オラフソン(pf)「バッハ・ワークス&リワークス」「フィリップ・グラス:ピアノ・ワークス」(DG)
アイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソンの弾くJ.S.バッハ、それからフィリップ・グラスを聴きかえしていた。
よく晴れた春の午後である。ときどき工事の音がする。音楽はべつの空間を滔々と流れる。聴き手は、一見したように不在なのではなく、みえない部屋そのものになって、聴いている。
BACHは“WORKS & REWORKS”で、GLASSは“PIANO WORKS”というタイトルの円盤だ。かたや小川であり、かたやグラスである。つまり、水の流れであり、透明な器である。
一瞬も留まることのないものと、それにいったんのかたちを与えるもの、ということか。
おそらくは日々の生活のなかで書き継がれたそれらの音楽の水脈は、精妙に掬いとり巧みに織り重ねるように、はっきりとした手の仕事を感じさせながら、自ずと遥かなものに手をのばしている。
ぼくたちの心のどこかには、こういう静穏で、湧きかえるような場所がある。澄明な光景はあきれるほどまっしろだけれど、光は無色のまま虹色に映えて、まだみえないもののさきを照らそうとしている。
よく晴れた春の午後である。ときどき工事の音がする。音楽はべつの空間を滔々と流れる。聴き手は、一見したように不在なのではなく、みえない部屋そのものになって、聴いている。
BACHは“WORKS & REWORKS”で、GLASSは“PIANO WORKS”というタイトルの円盤だ。かたや小川であり、かたやグラスである。つまり、水の流れであり、透明な器である。
一瞬も留まることのないものと、それにいったんのかたちを与えるもの、ということか。
おそらくは日々の生活のなかで書き継がれたそれらの音楽の水脈は、精妙に掬いとり巧みに織り重ねるように、はっきりとした手の仕事を感じさせながら、自ずと遥かなものに手をのばしている。
ぼくたちの心のどこかには、こういう静穏で、湧きかえるような場所がある。澄明な光景はあきれるほどまっしろだけれど、光は無色のまま虹色に映えて、まだみえないもののさきを照らそうとしている。
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