11月のある日。Q.R.S.T.U.-アレクサンドル・タローの影を追って(3)

11月のある日。Q.R.S.T.U.-アレクサンドル・タローの影を追って(3)

CD「COMPLICES~相棒~アンコール・ピース集」ジャン=ギアン・ケラス(vc)、アレクサンドル・タロー(pf) (Harmonia Mundi)
  • 青澤隆明
    2019.12.16
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 QueyRaS et TharaUd―ジャン=ギアン・ケラスとアレクサンドル・タローのデュオは、まさに「Complices」。新譜の邦題にあやかって言えば「相棒」、という感じがさらに熱く、濃密になってきている。

 11月下旬に来日したふたりは、デュオに、ソロに、コンチェルトに、あるいはケラスは別組のトリオと、多彩な活躍を精力的に展開した。同じ日に両者の意欲的なコンサートが重なったりもして、聴くほうを困らせつつ、彼らはそれぞれに率直な演奏をするだけのことだ。

 そんなある日―つまりふたりともコンサートがない日、あるいはリハーサルの合間を縫える日が、インタヴュー取材などに充てられることになる。彼らは過密なスケジュールを組んでくるから、スケジュールを眺めただけで、「あ、この日くらいしかないだろうな」と想像もつく。

 11月のある日。ぼくは午後すぐに練習スタジオをたずね、ジャン=ギアン・ケラスに会って話を聞き、それから急ぎ足で移動して、レコード会社の応接室でアレクサンドル・タローのインタヴューを続けた。移動の時間は10分もなく、それで間に合う距離なのだが、自分のなかのモードがそんなにすぐには切り替わらない。つまり、ケラスとタローはそれほどに違う個性と人柄で、ぼくがそれぞれと話すときの感じも、だいぶ違っているのだな、ということが戸惑いのような、錯覚のような、ずれのような距離のなかで体感されたのだった。

 そんなこと、いまさらだし、彼らの演奏を聴いていれば、デュオでもソロでも、すぐにわかることだ。それでも、電車を乗り継ぐように別個に会ってみて思うのは、それぞれのもつ人間性も志向も、やはりそうとうにべつべつなのである。誰と話していても、それはそうに違いないのだけれども、その違いが大きれば大きいほど、デュオの世界はうまくすれば大きく、また激しく、貪欲なものになる。

 そのとき演奏している音楽のことだけを考えて、そのなかで遠慮なく自己の表現をぶつけあえる関係は、抜群の相性だけでなく、長い歳月と多種多様な作品を通じて育まれてきたものだ。それぞれにバロックからコンテンポラリーまでの広い視野のなかで、タローは自らに合うものを選び、ケラスはよく書かれている作品ならばたいていのことはやってみせる。

 ケラスとタローが2018年に録音、「Complices」と名づけられた共演盤は、ブラームスのデュオに続いてリリースされる、いわゆるアンコール・ピース集だが、まさしく大人と少年の両方が入り混じった“悪ガキ”めくふたりの自在な遊びと率直な好奇心、不断の挑戦の感覚をよく表している。たんなるアンコール・ピース集ではなく、アルバムとしてのストーリーと流れがあるのは、プログラムに秀逸な感性をみせるケラスとタローなら当然のことだろう。

 ひとりの成熟ということと、ふたりの成熟というのは、大きく重なり合ってはくるが、またべつのものでもある。無敵のふたり、という感じが、なんだかますます強くなってきた。
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