ヴィラ=ロボス、おまえもか。―エイトル・ヴィラ=ロボスの没後60年に (1)

ヴィラ=ロボス、おまえもか。―エイトル・ヴィラ=ロボスの没後60年に (1)

ブラジル生まれの大家エイトル・ヴィラ=ロボス(1887~1959)が亡くなって60年。彼がバッハとチェロをこよなく愛したおかげで、前世紀に豊かな作品が残されていったのは幸いだ。パブロ・カザルスもそう思っていたことだろう。
  • 青澤隆明
    2019.12.19
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 私の作品は返事を期せずに書いた、後世の人たちへの手紙だ。エイトル・ヴィラ=ロボスはそう言ったが、美しい言葉だと思う。
 もちろん、ぼくたちはもう、返事を書くこともできない。いや、いくら書いたとしても、先達の目に触れ、心を動かすことは、どうしても期待できない。
 そう、ぼくたちはその意味で、決定的に出遅れているのである。そして、彼のような先駆的な作曲家は、言いかえると、いつも先走っているのである。そしてなにかを後世に託す。
 でも、やっぱり演奏家は生きている間になにをするかだ。聴き手はもっとそうだろう。というより、ほとんどの人間はそうしたものではないだろうか。

 ヴィラ=ロボスはこどものとき、お父さんからチェロを習った。これは決定的な意味をもった、と後世の人たちは思うわけだ。だからこそ、ヴィラ=ロボスは、この楽器を用いて、他の誰にもできないような仕事をした。仕事という言葉はよくないな。音楽を書いてくれた。
 おかげで、ぼくたちはヴィラ=ロボスを特別な存在として、しかもすごく身近に感じることができたりする。彼は懐が大きく、しかもかなりの多作家だったが、チェロとギターの好きな人にとってはとりわけ特別な存在だろう。そして、ピアノが好きな人にとってもそうだ。

 作曲家というのはどれだけ思考で音楽を描いても、やはり考具や記憶としての楽器を確かにもっているほうが、やはり音楽の身体は確かなものに、どこか地に足がついたものになるのではないかと思う。そこは大なり小なり、ヴィラ=ロボスにとってのマザーランドであり、かつてはこどもの王国であった故郷だからである。そうした時間の蓄積というのは、多くの場合、決定的なものではないかと思う。もちろん、それは演奏家や聴き手にも通じるところがあるはずだ。

 そして、ヴィラ=ロボスがバッハを敬愛しただけでなく、チェロをこよなく愛したことは、ほんとうによかった。
 ヴィラ=ロボス、おまえもか。と、パブロ・カザルスなら思ったに違いない。ピアノのアルトゥール・ルビンシュタイン、ギターのアンドレス・セゴビアといった巨匠もヴィラ=ロボスには大事な存在で、多くの果実をもたらしたが、チェロのカザルスはやはり特別な同志であったことだろう。ふたりは意気投合したに違いなく、ヴィラ=ロボスは8本のチェロ合奏で書いた「バシアーナス=ブラジレイラス(ブラジル風バッハ、と日本では呼ばれる)」第1番を他ならぬパウ・カザルスに捧げている。
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