柴田克彦の音楽日記をイッキ見

律儀な音楽こそが、夏を吹き飛ばす! <フェスタサマーミューザKAWASAKI2023 レポート2>


柴田克彦 / 更新日:2023年7月27日


高関健指揮/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団  2023年 7月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール                       



 とにかく暑い! こんな猛暑の平日午後にオーケストラを聴く。プログラムは、ガーシュウィン&バーンスタインのアメリカ物。いかにも「ノリノリの音楽と華麗なサウンドで夏を吹き飛ばせ!」となりそうなコンサートだが、事はそう単純ではなかった。

 常任指揮者の高関健&東京シティ・フィル。初日のノット&東響に続いて、功労者的なシェフと好調楽団のコンビネーションだ。高関は、細部まで緻密に彫琢し堅牢に構築することで、密度の濃いサウンドと清新な音楽を生み出す。近年の東京シティ・フィルの大幅な質の向上も、その積み重ねの賜物であろう。彼はノリで音楽を流すことなどまずしない。本日のアメリカ物も然り。それゆえ発見と刺激に充ちた公演となった。

 前半はガーシュウィン。最初は「パリのアメリカ人」だが、今回用いるのは、最近出された最終的な自筆譜にもとづく版で、通常版よりも終盤が100小節長いという。しかもお馴染みのタクシー・クラクションは、最近判明したオリジナルの音高のものを使うとのこと。これらに高関のこだわりが表れている。演奏自体はクラシカルで丁寧。特にしなやかな弦の響きが心地よい。タクシー・クラクションは、少なくとも1つが耳慣れない低音。これもなかなか面白いし、終盤は未知の部分が新鮮な刺激を与えてくれる。

 おつぎの「ラプソディ・イン・ブルー」は、横山幸雄がピアノ独奏を受け持つ。横山は、やはりクラシカルでダイナミックなソロを聴かせ、協奏曲のように運ばれる音楽は、いつも以上にシンフォニックだ。面白かったのはバンジョーの音が強調された場面。耳新たなサウンドに感心したのだが、この楽器はオーケストラ版に元々含まれていたことがわかり、今頃気付くのが情けないやら恥ずかしいやら……。だがこの強調も高関の創意の1つと言えるだろう。

 前半で感じたのは、通常一般に「シンフォニック・ジャズ」とは言うものの、同じ方向で演奏すると、「パリのアメリカ人」はクラシック寄り、「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズ寄りに聴こえること。これが両曲の特質あるいは本質なのだろうか? 数え切れないほど聴いているのに、こんなことを思ったのは初めてだ。これもまた高関の凄さなのかもしれない。

 後半はバーンスタインで、まずは「ウエストサイド物語」から「シンフォニック・ダンス」。これまた高関が、修行時代のタングルウッドでバーンスタイン本人が(その場で)変更した2箇所を採用した(すなわち現行版の音を2つ変えた)というから凝っている。それはともあれ、演奏自体は細かく丁寧でいながら十分にエキサイティング。しかも随所に新鮮な感触を伴う快演だった。東京シティ・フィルも公演全体で生彩に富んだ演奏を展開したが、この曲は特に光っていた。

 締めくくりの「ディヴェルティメント」も、各曲の変幻が丁寧に描き分けられた、音楽的密度の濃い演奏。おかげで曲のエスプリや妙味がストレートに伝わり、聴いていて実に愉しい。終曲をアンコールした際には、最後にオーケストラ全員がスタンディングで演奏し、場を盛り上げた。

 高関は律儀だ。しかし、律儀に丁寧に音楽を作れば、音楽自体が自然と心の弾みや楽しさをもたらしてくれる。まるでそう言わんばかりの演奏。単純なあるいはあざといノリの良さや爆音ではなく、律儀で充実した音楽が暑さを吹き飛ばしてくれた。そこが逆に嬉しい。それにしても、「ウエストサイド~」の「マンボ!」と叫ぶくだりで、高関が客席に発声を求め、観客もそれに応えていたのだが、一時期オーケストラ・メンバーの発声さえも自粛していたことを思うと感慨深いし、そうした状況を迎えられたのが何より喜ばしい。

このようなチャイコフスキーは聴いたことがない! <フェスタサマーミューザKAWASAKI2023 レポート1>


柴田克彦 / 更新日:2023年7月25日


ジョナサン・ノット指揮/東京交響楽団 オープニングコンサート 2023年7月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール            



 今年も「フェスタサマーミューザKAWASAKI」が無事に始まった。この音楽祭は、東京・神奈川のほぼ全てのオーケストラを短期間にまとめて聴けるのが大きな魅力。しかも多くの楽団がシェフかそれに準ずる指揮者を起用し、プログラムも安易な名曲の羅列ではない点が素晴らしい。オーケストラとのスタンスと音響が良好なホールも相まって、毎年楽しみにしている音楽祭だ。今年はほとんどのプロ・オーケストラ公演に足を運ぶ予定なので、可能な限りレポートしていきたい。

 まずはジョナサン・ノット&東京交響楽団。ここ数年恒例のオープニング・コンビだが、プログラムはなんとチャイコフスキーの交響曲第3番「ポーランド」と交響曲第4番。ノットのチャイコフスキーは意外性十分(実際、東響とのコンビ10年で初めて取り上げるとの由)だし、ましてや第3番とは……。定期では組みにくそうでいてえらく興味をそそるこうしたプログラムなど、まさに当音楽祭ならではであろう。

 第3番が民族色濃厚でベタな表現にならないことは十分に予想できた。が、それにしてもあまりにスマートで粘り気のないチャイコフスキーだ。民族舞曲風の弾み(特に第5楽章のポロネーズ)はまるでなく、端整な音楽がサラサラと流れていく。しかしそれでいて細部は細かく、コントロールも効いている。よく言えば純音楽的で都会的な3番。この曲がこのように表現されるとは……。ノットが振ればこうなるだろうとの予想をも超えた演奏だが、それもまたコンサートの面白さではある。

 後半の第4番も同様のアプローチだが、楽曲自体の完成度や濃度が大幅にアップする上に、主として西欧滞在時に書かれたこともあってか、ノットの行き方が俄然ハマる。やはりスマートに構築された、それでいて密度の濃い演奏が、この曲の西欧交響曲的な美点を明らかにし、第3番から僅か3年の間に、チャイコフスキーはなぜかくも進化したのだろうか?と改めて考えさせられた。東響はノットの指揮だけあって全体に好演。中でも第4番の第2楽章の美感が光った。

 のっけから(チャイコフスキー、ノット双方の意味で)普段聴けないような演奏を耳にし、この後の公演がますます楽しみになった。

このブルックナーは普通ではない!


柴田克彦 / 更新日:2023年4月17日


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 特別演奏会 飯守泰次郎のブルックナー 2023年4月7日 サントリーホール



 捨て置けない公演があったので、またもや久々の参戦。それは、飯守泰次郎&東京シティ・フィルのブルックナーの交響曲第8番だ。捨て置けない理由の1つはもちろん演奏自体だが、もう1つは思ったほどお客さんが多くなかったこと。飯守御大のブルックナーならば、2021年5月の「ニーベルングの指環」ハイライトがそうであったように、満員&歴史的名演を予想するところだが、今回は見た目で6~7割の入り。2公演(4月24日には第4番「ロマンティック」を演奏)あるので分散したのか? ファンにとってワーグナーほどの吸引力がなかったのか? 理由はわからぬが、ともかく「もったいない」の一語に尽きる。

  それほど凄絶な名演だった。最も驚かされたのはそのテンポ。ゆったりたっぷりした表現がなされるかと思いきや、全体にかなり速めで、楽章間の間合いも短く、次々に音楽が運ばれていく。それでいてせせこましさはまるでなく、悠然たる趣や深い呼吸感や造型の確かさは維持されている。これが至芸というものかと、恐れ入った次第。第1楽章はストレートな序奏といった風情で進み、第2楽章になると感情をぶつけるような激しさが現れる。第3楽章はこの世ならぬ音楽世界。各フレーズが美しく情感豊かに流れ行き、ごく自然に高揚する。第4楽章は新たな泉がコンコンと湧き出てくるかのよう。しかもそれらが有機的に繋がり、同じ方向に向かって流れを一にする。全体にどこか憑かれたような気魄が漂う音楽だったともいえる。いま飯守がこうしたブルックナーを聴かせるとは思っていなかったし、正直なところ(特に第3、4楽章は)いつになく感動した。

 東京シティ・フィルも全力入魂の快演で、ホルン&ワーグナー・チューバをはじめ金管楽器陣も大健闘。何より、飯守の指揮で長年演奏してきた強みを存分に発揮していた(コンサートマスター・戸澤哲夫の功績も大!)。飯守もシティ・フィルでなければ、この凄演は不可能だったに違いない。

 8番の方が「飯守向き」かな?とは思うが、これならば24日の第4番「ロマンティック」がどうなるのか?と新たな期待も沸く。珍しい「第4番1曲プロ」だが、その分精度も集中力もアップするであろう。公演が純粋に楽しみだし、今度はもっと客席が埋まってくれることを願わずにはおれない。
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