柴田克彦の音楽日記をイッキ見

久石譲が開くクラシック音楽の新たな扉


柴田克彦 / 更新日:2022年5月10日


新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉  2022年4月16日 すみだトリフォニーホール



 久しく途絶えていた音楽日記だが、気になるコンサートがあったので、遅ればせながら記しておきたい。それは、久石譲がConposer in Residence and Music Partnerを務める新日本フィルを指揮して、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番(独奏は、中国系オーストラリア人のリーウェイ・キン)、ムソルグスキー/ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」を演奏した公演だ。

 注目点の1つは音楽面。久石譲自身のクラシック系作品のベースはミニマル・ミュージックにある。ゆえに通常のクラシック作品を指揮する際も、リズムやビート、テンポ感(インテンポ)を重視し、慣例的な表現とは違った新鮮な音楽を醸成する。高評価を得たフューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧ナガノ・チェンバー・オーケストラ)とのベートーヴェン交響曲全曲演奏は、その好例といえるだろう。今回もそうだった。慣例的な表現がかなり定着している「展覧会の絵」も、終始浮遊するようなあの「牧神の午後への前奏曲」でさえも、拍節感のあるインテンポを基本とした表現がなされ、清新な感触がもたらされた。特に「展覧会の絵」は、これまでの演奏がいかに慣習的なルバートやタメにまみれていたかを痛感させられた。必ずしもクラシック畑を歩んではいない、しかし飛び抜けた音楽性を持つ表現者が、本気で(これが大事だろう。ただ部外の大物であれば良いわけでないのは自明の理)クラシック作品に挑んだ時に生まれる、慣例に縛られない演奏……これは会場に新たな聴衆を呼ぶ、1つのヒントになるかもしれない。

 もう1つの注目点はその聴衆だ。土曜午後の名曲公演ゆえにほぼ満席で、むろん通常見かける客層が大勢を占めてはいる。だが若い聴衆も普段以上に多い。久石譲のコンサートは、現代音楽で構成された「MUSIC FUTURE」であっても、フューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームスの交響曲シリーズであっても、若い聴衆で溢れている。後者など完全なクラシックのオーケストラ・コンサートだ。それでいて通常の公演とは客層が明らかに異なっている。きっかけはジブリ作品なのかもしれないが、そうした普段はオーケストラ・コンサートに行かないと思しき聴衆が足を運び、さらにその内の一部が新日本フィルの定期演奏会に興味を持つ。明らかに好循環だ。子細なマーケティングをしたわけではないし、“久石譲のファンだから”の一言で終わる可能性もあるが、これもまた高齢化が叫ばれ続けているクラシック・コンサートの殻を破る1つのヒントになるのではないだろうか。

高関健率いる東京シティ・フィルを、ぜひ聴いて欲しい! その2


柴田克彦 / 更新日:2022年1月17日


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 2021年の定期演奏会等



 今度は東京シティ・フィルの昨年のおもな演奏会をざっと振り返ってみよう。

 もちろん同楽団進化の立役者である常任指揮者・高関健が受け持った公演から。まずは、高密度かつ鮮烈な3月定期のショスタコーヴィチの交響曲第8番、堅牢にして雄大な5月定期のブルックナーの交響曲第5番の両名演が印象深い。この2つは他を含めた2021年の全コンサートの中でも出色だった。さらには7月のフェスタサマーミューザKAWASAKIにおけるスメタナ「わが祖国」全曲のこまやかで温かな好演、10月定期のストラヴィンスキー新古典主義音楽プログラムの意味深い構成と明解な彫琢も光っていた。

 高関は、的確にして緻密な構築で楽曲の真髄を表出する実力者。彼のポスト就任後の東京シティ・フィルは、工夫されたプログラムに全力で取り組みながら、年々クオリティをアップさせてきた。それがコンビ7年目で一段深化し、強固なものになった感がある。先に当欄で挙げた12月の「第九」はそれを象徴する公演と言えるだろう。

 シェフがしっかりしていると他の指揮者もより引き立つ。首席客演指揮者・藤岡幸夫は、2月定期のホルスト「惑星」、9月定期のショスタコーヴィチの交響曲第5番等で、彼らしいダイナミックでスリリングな熱演を展開。桂冠名誉指揮者・飯守泰次郎は、5月の「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会(これは筆者が聴いた日本のワーグナー演奏の中でも屈指の充実公演だった)や、12月のシューマン交響曲全曲演奏1(第1&2番)の重層的かつ味わい深い演奏で、聴く者に深い感銘を与えた。これらも高関が築いた精緻なベース上でなされるので、2人の個性(高関とはまた違った)が最良の形で発揮される。また7月定期の下野竜也指揮によるバーバーと伊福部作品、11月定期のロリー・マクドナルド指揮によるシベリウスの「4つの伝説曲」も楽曲の特質が雄弁に表出された快演。特に後者は滅多に聴けないほど魅力的だった。

 かように今の東京シティ・フィルは、演奏の密度と聴く者に与える充足感の高さにおいて、在京オーケストラ中、屈指の存在だ。メンバーたちの懸命で誠意溢れる取り組みも見ていて気持ちがいい。だが、一時に比べると聴衆も増えているとはいえ、満員となる公演は決して多くない(「飯守リング」と「第九」くらいだ)。ゆえに、世間的な知名度や話題性にとらわれず、1人でも多くの人に足を運んでほしいと願わずにはおれない。

高関健率いる東京シティ・フィルを、ぜひ聴いて欲しい! その1


柴田克彦 / 更新日:2022年1月14日


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 第九特別演奏会 2021年12月28日 東京文化会館 



 ここ3年ほど東京シティ・フィルの定期演奏会のプログラム解説とチラシ裏の紹介文を担当している。ゆえに手前味噌的な気配が漂い、闇雲な賞賛は憚られるのだが、それでもあえて言いたい。「今このオーケストラはもっともっと光を当てられるべきだ」。強くそう思うほどいい演奏を続けている。最大の要因はむろん2015年から常任指揮者を務める高関健の手腕と尽力にある。

 2021年12月のベートーヴェン「第九」が良い例だ。それは隅々まで細かな配慮がなされた精緻な演奏。ヴィブラート(チェロ等の一部を除いてほとんどノン・ヴィブラートだったと思う)や音の切り方など、ピリオド奏法が取り入れられてはいるのだが、ありがちな「ピリオド奏法の応用」にとどまらず、フレージングやアーティキュレーションやダイナミクスなどあらゆる面に高関の研究の成果が反映された、「今こうしたベートーヴェンを、こうした『第九』を演奏したい」との意志が極めて明確な表現だった。引き締まったテンポと響きの中で、楽譜に書かれた様々な動きが自在に浮き彫りにされていき、ダイナミクスが細かく変化する。特にいつも勢いで押し切られる終楽章最終場面での強弱や表情の細かさには恐れ入った。合唱はオーケストラ付きのアマチュアなので、新国立劇場合唱団や東京オペラシンガーズ等に比べると当然小さくて弱いが、そこも逆手にとったかのように(オーケストラの1パートのように扱い、と言うべきか)、普段消されがちな管弦楽の動きが強調されるから、随所で新鮮な感触が生まれる。しかもこれら全てが音楽の自然な流れに沿って遂行されていくので、楽曲と演奏が与える感銘も申し分ない。慣例的なタメや強弱に溢れた「ジャパニーズ年末第九」とは完全に異なる、しかしメトロノーム指定に即した「せかせか第九」でもないこの唯一無二の演奏は、筆者がこれまで聴いた「年末第九」の中でも出色、いや一番とさえ言えるほどだった。 

 高関とてこの表現は単発の客演ではまず不可能であろうし、手兵のシティ・フィルであっても、コンビを組んで7年の積み重ねあってこそ可能だったであろう。(おそらく)高関が「今ならやりたいことができる」と考え、メンバーも真摯にそれに応える。これはシェフと楽団の在り方として1つの理想形であり、当コンビの現在の充実ぶりの良き証でもある。本公演を聴いて両者の今後がますます楽しみになった。 
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