柴田克彦の音楽日記をイッキ見

清新な音像と漲る活力……注目すべき海外一流オーケストラの公演が続く


柴田克彦 / 更新日:2022年10月17日


クラウス・マケラ指揮/パリ管弦楽団 2022年10月15日 東京芸術劇場



 ラトル&ロンドン響の次はマケラ&パリ管だ。こうした海外著名オーケストラの公演が普通に(関係者にとってはまだ普通でないのかもしれないが)続くのは実に喜ばしい。

 パリ管は今年26歳の新シェフ・マケラとのコラボが注目の的。頑固な個性派の名門楽団から引き出す音楽への期待はいたく募る。そこでツアー初日の公演へ足を運んだ。

 まず全体の印象は、従来のパリ管のイメージ通りの部分と新たな境地を併せ持つ演奏といった感。どちらかといえば後者を強く感じた。イメージ通りなのは弦楽器をはじめとする豊潤で肌触りの良い音色と個々の名人芸、新たな境地はいつにない集中力の高さと激烈なエネルギーだ。後者は明らかにマケラがもたらしたものだろう。

 1曲目はドビュッシー「海」。第1楽章はデリケートかつ緻密で、細かな動きのさりげない強調や各楽器のブレンド音が新鮮な感触をもたらす。第2楽章も細やかだが、動きがより生気を帯びて音楽が実にエネルギッシュ。第3楽章はさらにダイナミックで、低弦の強調が効果的だ。パリ管の演奏では聴いたことがないほど活気のある「海」……そんな印象を受けた。2曲目のラヴェル「ボレロ」は、管楽器のソロが巧みなのはもちろん、普段目立たないミックス音や弦楽器のフレーズが耳新しさを醸し出す。それにしても後半は実にパワフルで、通常の感覚のフォルテから1段2段3段とボリュームを増しながら終結に至ったのには恐れ入る。

 後半のストラヴィンスキー「春の祭典」も活力十分。第1部は、弦楽器のしなやかな響きが際立つと同時に、速い部分の駆動力・推進力が物凄い。第2部は、冒頭の静かな箇所の音の積み重ねが意外に新鮮。後半はやはり普段強調されない弦楽器の動きが効果を発揮しつつ、圧倒的なエネルギーとパワーで畳み込む。そしてアンコールはムソルグスキーの「モスクワ川の夜明け」。冒頭の芳醇なヴィオラから終始エレガントな音色と絶妙な歌い回しで魅了し、パリ管らしさ全開で締めくくった。

 告知やプログラムの「照明演出」の記載に一抹の不安はあったが、後半のみオルガンや壁に柔らかみを帯びた色が映される程度。これは良い方向での“雰囲気作り”といったところだろうか。

 最も驚いたのは、あのパリ管のメンバーたちが懸命に演奏する姿だ。それは、かくも高い集中力で全力投球する(しているように思える)彼らを見たのは初めてといえるほど。生気と活力をオーケストラから引き出しながら、音楽を活性化するマケラ……やはり只者ではない。パリ管の持ち味がより発揮されそうな「火の鳥」を中心としたもう1つのプログラムも楽しみだし、ロンドン響同様、本ツアーの今後の公演を可能な限り体験してほしいとの思いしきりだ。

待望久しい「海外一流オケの“普通の”来日」。余裕があれば、残る公演にぜひ!


柴田克彦 / 更新日:2022年10月5日


サイモン・ラトル指揮/ロンドン交響楽団 2022年10月2日 ミューザ川崎シンフォニーホール



 久々に当欄に参戦したのは、もし余裕があって(チケット代は安くないので)迷っている方がいるのならば、ラトル&ロンドン響の残る公演にぜひ足を運んでほしいから。

 2018年の彼らの来日公演は圧巻だった。世界トップ級の両者が一体となって「音楽する」そのコラボは、「音楽を聴く」喜びを心底もたらしてくれた。それゆえ2020年秋の日本公演の中止は痛恨の極みだった。だが遂に今年、待望の来日が実現した。

 ミューザ川崎の公演は、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲と愛の死」に始まる。これが意外にも(?)劇的で濃厚なハイカロリーの演奏。次のR.シュトラウスのオーボエ協奏曲は、首席奏者ユリアーナ・コッホが、まろやかな音色で伸びやかなソロを聴かせる。彼女の音色と歌い回しは実に魅力的で、バックの絡みも抜群。この曲の管弦楽部分がかくも様々なフレーズを奏でていたとは!と驚嘆させられた。
 
 後半はエルガーの交響曲第2番。エルガーの中でもイギリス的と思しきこの作品を、同国のトップ指揮者とトップ・オーケストラの演奏で聴ける機会など滅多にない。実際の演奏も、全パートが雄弁で密度が濃く、終始極めてノーブル。最高度のクオリティで楽曲の真髄を堪能したとの思いしきりだ。そしてアンコールのディーリアス作品(「フィニモアとゲルダ」間奏曲だったとの由)のデリケートな肌合いは、まさに絶品の一語。ほぼ満員の熱心な観客も(おそらく)大満足のコンサートとなった。加えて、舞台との親密感があるミューザ川崎でこうした快演を聞くのは実に愉しい。

 以上、演奏の感想は簡単だが、海外一流オーケストラの公演に触れる機会が少なかった状況下で、久々にロンドン響を聴くと、華麗で高機能のイメージがあった(むろんそれは良い意味で変わらないが)同楽団が、芳醇なヨーロピアン・テイストを持っていたことを、恥ずかしながら再認識させられた。今は日本のオーケストラも良くなったが、やはり根本的な質感が違う。これなら来日公演の意義はまだ十分にある。それに何より、前回同様に「音楽する」彼らの演奏は、ライヴの醍醐味満点だ。ラトルが2023年秋からバイエルン放送響に移ることが発表されたので、今回がコンビ最後の来日の可能性大。ならば残る公演は、可能な限り体験しておきたい。

琵琶湖畔で音楽に浸る心愉しき1日


柴田克彦 / 更新日:2022年5月16日


近江の春 びわ湖クラシック音楽祭 2022年4月30日 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール



 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」に足を運んだ。今年の同音楽祭は、滋賀県のびわ湖ホールにて、4月29日(前日祭)に2公演、30日と5月1日に各6公演が行われる。本来なら全公演を聴きたかったが、諸般の事情で4月30日のみの参戦となった。とはいえ、最初の公演が朝10時ゆえに、東京からの当日移動はかなりキツい。そこで前日夜に関西入りし、京都駅前のホテルに一泊して万全の体勢で臨んだ。

 久々の晴天。琵琶湖畔にあるこのホール(と周辺)は、景観がよくて本当に気持ちがいい。会場前の掲示を見るとすでに大半の公演が完売の模様。これも実に素晴らしい。

 午前10時の最初の公演は、小ホールでの「出会いと別れ~1843年製プレイエルと共に」と題した川口成彦(フォルテピアノ)のリサイタル。メンデルスゾーンの「春の歌」に始まり、シューマン、ショパン、アルカン、チャイコフスキーを経て、ショパン(リスト編曲)の歌曲「春」に至る7曲が、ショパンの時代の「1843年製プレイエル」ピアノで披露された。これを聴きたいがために前日入りしたのだが、結果は期待以上の素晴らしさ。味があって鳴り過ぎない楽器の特性を生かした、表情と抑揚の細やかな演奏が続き、作品本来の魅力をナチュラルに堪能することができた。中でも、頻繁に耳にするシューマン(リスト編曲)の「献呈」は、何を弾いているのかわからないような演奏が多いのだが、今回は旋律と和声や装飾のバランスが絶妙で、説得力抜群だった。加えて323席のホールもこうした楽器にピッタリだ。

 午前11時からは大ホールでの「オープニング・コンサート」。小ホールの演奏終了から約15分しか空いていないし、大ホールの前には長蛇の列ができていたので、移動が結構スリリング。しかも始まると何の説明もなく男性が出てきて開幕を宣言し、話を始めた。「誰だ?」と訝ったが、どうやら滋賀県知事らしい。まわりは平然としているので、周知のことなのだろうか。まあ、「県立劇場」の音楽祭に対して、自治体の長が熱心(そうに見えた)なのは何よりだ。さて演奏は、ホールの芸術監督で当音楽祭のプロデューサー、沼尻竜典が指揮する京都市交響楽団。最初に沼尻作曲の「トゥーランドットのファンファーレ」が金管楽器陣で、次にカタラーニの歌劇「ワリー」より「さようなら、故郷の家よ」が砂川涼子(ソプラノ)の独唱で披露された。「さようなら、故郷の家よ」は、今年の音楽祭のテーマで、沼尻監督が今年で退任することに因んだものだという。ここまではオープニング・セレモニーの趣。その後はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が小山実稚恵の独奏で演奏された。小山のピアノは冒頭から強靭でクレッシェンドも迫力十分。彼女は全曲に亘ってダイナミックかつ変幻自在のソロを繰り広げた。加えて京響独特のジューシーで重層的なサウンドが芳醇な音楽の創出に大きく寄与していた。

 昼の12時半からは小ホールで「プリモ登場!」と題した宮里直樹(テノール)と河原忠之(ピアノ)の公演。ヴェルディ、プッチーニ、グノーのオペラ・アリアが並ぶプログラムだ。これがまあ、大ホールにおけるオペラ公演と変わらぬパワフルな歌唱の連続。小ホールで聴くと途轍もなくヘヴィーなのだが、宮里は手加減することなく雄弁に歌い切り、しかもアンコールで「連隊の娘」のアリア(ハイCの連発で知られる曲)まで聴かせた。こうなるともはや大音量攻勢もある種の快感と化していく。 

 終演後1時間15分ほど間が空くので、食糧難を予想して持参したパン2個を湖畔(好天なので爽快)で食し、中ホールの「オーストリア体験コーナー」を覗いたりして時間を過ごした。こうした間合いがあるのは実に有難い。
 午後2時半からは小ホールで「至高の二重奏」と題した戸田弥生(ヴァイオリン)と清水和音(ピアノ)の公演。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK304(ホ短調の有名な曲)、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番というプログラムで、戸田の丁寧かつ毅然としたヴァイオリンと、清水の主従のバランスが絶妙極まりないピアノの良きコラボを味わった。これは“大人のコンサート”の趣。ベートーヴェンのソナタ第10番を単独で聴く機会は珍しく、曲の魅力を再認識させられる。二人は意外にも今回が初共演との由。プログラムを含めて、こうしたコンサートがあるのも、当音楽祭の良さ(見識の高さ)だろう。

 3時半からは大ホールで鈴木優人が指揮(大植英次から変更)する大阪フィルハーモニー交響楽団の公演。今度はシューベルトの「未完成」交響曲とベートーヴェンの「運命」交響曲の超名曲プロだ。不滅の黄金カップリングとはいえ、生でまとめて聴く機会など今や貴重と言っていい。「未完成」がゆったりしたテンポ、大きなフレージングで始まったのには些か驚いたが、全体に柔らかくオーソドックスな作りで、曲の魅力がしなやかに伝えられた感。「運命」も攻撃的ではなく、むしろふくよかな趣さえ漂う。鈴木優人は、モダン・オケを振るとき、比較的角のとれた表現を行う印象があるが、今回は特にそう。これは大フィルの持ち味を尊重したのだろうか。ただし「運命」の終楽章はタイトな響きで突進し会場を盛り上げた。

 本日最後の公演は5時からの「晴れ晴れコンサート」。「晴」雅彦(バリトン)と伊藤「晴」(ソプラノ)のコンビなので「晴れ晴れ」と銘打たれ、プログラムにもロルツィングからバーンスタインに至るオペレッタやミュージカルの「晴れやかな」ナンバーが並んでいる(ピアノは河原忠之)。晴雅彦による関西ノリの濃いトークがいわく言い難いものの、こうした公演は理屈抜きに楽しむのが一番。ともかく1日の終わりに晴れやかな気分を与えてくれた。
 6時前に終演後すぐに帰京したが、明日も聴きたいとの思いしきり。この音楽祭は、1日の6公演が被らずに行われるので、変化に富んだコンサートを心置きなく楽しめるし、京響と大フィルを1日で聴けるし、若干凝ったプログラムも名曲プログラムもあるし、何より会場の環境が抜群なので、GWの1日を愉しく過ごすにはもってこいだ。これは遠方の方にもぜひお勧めしたい。

 こうした音楽祭は、内容に妙な媚びがないのが肝要だろう。別にマニアックなものばかりやる必要はないが、当音楽祭のように「真っ当なクラシックの真っ当な演奏」を連ねてこそ、普段クラシック・コンサートに来ない層にアピールするのだ。これは「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」(このイベントの復活も切に望む)の成功でも証明されている。今回はそれを強く言っておきたい。
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