柴田克彦の音楽日記をイッキ見

活力漲る輝かしいシベリウス 海外オーケストラの来日ラッシュ第2弾


柴田克彦 / 更新日:2023年10月25日


クラウス・マケラ指揮/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 2023年10月24日 サントリーホール



 今年まだ27歳ながら世界の強豪オーケストラを席巻しているマケラが、2020年から首席指揮者を務めるオスロ・フィルを率いて来日した。日本でも都響やパリ管の公演で類い稀な才能を発揮している彼だが、オスロ・フィルはシェフ就任から3年を経た掌中の楽団だけに、期待と注目度はすこぶる高い。プログラムはシベリウスの交響曲第2番と第5番。第2番が前半という配置はなかなか珍しい。

 その第2番がえらくダイナミックで熱く奏されたことにまず驚く。高いテンションとエネルギーが終始維持されながら、表情やテンポは刻々と変幻していく。時には見栄やタメも厭わない。全体を通して、明るく輝かしく、美麗・華麗で情熱的な音楽だ。しかしながら、第2楽章の冒頭や第3楽章の遅い部分等は精緻で緊張感が漂い、大胆な弱音が効果を発揮する場面もある。

 第2番はまだロマン派・国民楽派寄りだからこうなのかと思いきや、第5番も同方向の表現。やはりダイナミックでパッショネイトな演奏が展開される。第2番に比べると豊麗さや壮大さが増している点が、こちらを後半に置いた意味を納得させもする。ただし、明朗さや輝かしさ、激しいまでの高揚感は同様だ。これに快速テンポで颯爽とひた走る「レンミンカイネンの帰郷」のアンコールが続く。

 質朴・素朴でクールでどこか静謐さが漂い、自然に沸き起こるように高揚するシベリウス……このようなイメージは、こちらの勝手な思い込みなのか? それはもはや古い概念で、今はもう違うのか? それとも全てがマケラの個性なのか? フィンランド出身の指揮者が北欧のオーケストラを振ってこうしたブリリアントで明快かつ雄弁なシベリウスを聴かせると、様々な思いが胸をよぎる。ただ1つ言えるのは、こうした後期ロマン派的(マーラー的?)なシベリウス演奏は、概ね空回りに終わって上手くいかないのだが、今回はオーケストラ音楽としての醍醐味や手応えを大いに感じさせた。この点と、ほぼ年上で構成されたオーケストラから、これほどの活力と熱量を引き出すあたりに、マケラの凄さが表れていたと言えるだろう。

 同じプログラムの最初の公演(10月18日)を聴いた複数の人から、やや異なる感想を耳にしたので、この日は2回目ゆえの開放感のようなものがあったのかもしれない……。その意味でも、マケラが振るオスロ・フィル(できれば次もシベリウスの交響曲)を今一度体験したいとの思いしきりだ。

エネルギッシュでエキサイティングな、海外オーケストラの来日ラッシュ第1弾


柴田克彦 / 更新日:2023年10月19日


パーヴォ・ヤルヴィ指揮/チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 2023年10月16日 サントリーホール



 10月から11月にかけて海外著名オーケストラの来日が続く。これらを可能な限りレポートしていきたい。

 まずはパーヴォ・ヤルヴィ&チューリッヒ・トーンハレ管。ベートーヴェンの「献堂式」序曲、ショパンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:ブルース・リウ)、ブラームスの交響曲第1番というプログラムだ。

 パーヴォといえば、古典派や初期ロマン派におけるHIP(歴史的情報に基づく演奏解釈)を反映した演奏が思い浮かぶ。ただこれも、ドイツ・カンマー・フィルでは顕著に示され、N響等のフル・オーケストラでは穏やかな反映にとどまっていたように感じる。N響は特にそうだし、日本におけるフランクフルト放送響なども、後期ロマン派から近代のレパートリーが主体だったので、未知の部分もあるのだが、トーンハレ管では果たしてどうか?

 最初の「献堂式」序曲の冒頭から、硬くタイトな音が叩きつけるように奏され、ピリオド奏法寄りの表現であることが明確に示される。実際トランペットとティンパニはピリオド楽器が用いられている。以前パーヴォにインタビューした際、彼は「トランペットとティンパニを変えるだけで、古楽的な効果がかなり得られる」との旨を話していたが、ここもまさにそれを実践している。演奏自体はとにかくエネルギッシュ。アンサンブルの整備よりも生気や躍動感を優先した音楽が勢いよく続く。だがショパンのピアノ協奏曲は、一転しなやかに運ばれ、ブルース・リウの華麗過ぎずして安定感のある独奏に即した表現がなされる。特に第2楽章は両者ともに秀逸。ただ、終楽章最後のソロの後のオーケストラ部分での満場の拍手(ショパン・コンクールのパターン)は、個人的にどうしても馴染めない。

 ブラームスは前半2曲をミックスしたような演奏。第1楽章の序奏は、驚くほどの速さで怒りをぶつけるように奏される。この部分は“ウン・ポーコ・ソステヌート”であってアンダンテやアダージョではないので、1つの見識ではあろうし、久石譲なども同様の解釈だったが、それにしてもいきなりインパクト十分だ。主部に入ってもアグレッシヴで推進力抜群の演奏が続く。ここまでは、ドイツ・カンマーフィルとのブラームス・チクルスの際と同様の感触だ。しかし第2.3楽章は、しなやかで美しく、しみじみとした風情が醸し出される。第4楽章も前半の遅い部分はじっくりと進む。だが主部に入ると倍速テンポで邁進する。ただしパーヴォは、全体にインテンポで押し通すことはせず、表情やテンポが揺れ動く。ゆえに、既存のブラームスとは異なる、新鮮かつ語彙豊富な音楽を聴いた感覚がもたらされる。アンコールのハンガリー舞曲第5番も同様で、変幻しながらもひたすら突き進む。

 トータルで見れば、ドイツ・カンマーフィルの行き方を巨大化させたような印象。トーンハレ管はジンマン以来HIPに即した演奏スタイルを身に付けているので成し得たことでもあろうが、ともかくエキサイティングで刺激的だ。これを聴くと、他のレパートリーに触れてみたいとの思いが強く沸き起こる。

リズムが躍動するホットな大団円。早くも来年が待ち遠しい。 <フェスタサマーミューザKAWASAKI2023 レポート12>


柴田克彦 / 更新日:2023年8月23日


原田慶太楼指揮/東京交響楽団 フィナーレコンサート 2023年8月11日  ミューザ川崎シンフォニーホール



 いよいよラスト! 東京交響楽団と正指揮者・原田慶太楼による恒例のフィナーレは、ラヴェルの「道化師の朝の歌」、アルトゥロ・マルケスの「ダンソン第9番」、芥川也寸志の「交響管弦楽のための音楽」、ラヴェルのピアノ協奏曲(独奏は清塚信也)、チャイコフスキーのバレエ組曲「眠りの森の美女」が並ぶ、いかにも楽しげなプログラム。隠れテーマは「踊り」だという。

 原田が生み出す音楽は、とにかく躍動的でライヴ感満点だ。「道化師の朝の歌」冒頭のピッツィカートからいつにも増して力強く弾んでいる。その後も生気に富んだ音楽が続き、場面ごとの色彩変化も鮮やか。ファゴットの絶妙なソロも光る。「ダンソン」は最近有名になった第2番ではなく第9番。これはなかなか珍しい(というか、初めて聴いた)。ここでリズムの饗宴はさらにヒートアップ。哀感漂う場面の濃密なテイストも魅力的だが、何より力感漲る打撃的なリズムに圧倒される。芥川作品も軽妙な第1楽章から迫力十分に弾む第2楽章に至り、興奮の中で、ダイナミックかつエキサイティングな前半を終える。

 後半はラヴェルのピアノ協奏曲で開始。清塚は、「ジャズ奏者としてのアプローチで」と話していた通りの自由奔放なソロを奏でる。これは通常あまり耳にしないアメリカ風(?)のラヴェルだ。第2楽章冒頭の長いソロもジャズ奏者が弾くかの如し。そこにさりげなくクラシカルな情感が込められる。オーケストラの各パートの難儀なソロも、イングリッシュホルンをはじめ、かなりの健闘ぶり。ただし、曲の開始がズレた(やはり鞭の一撃をちゃんと聞きたい!)のは残念だった。これもスリリングなライヴならではか……。最後の「眠りの森の美女」は5曲が抜粋され、抑揚大きく壮麗な演奏で締めくくられた。

 これまで当欄ではアンコールにあまり触れてこなかったが、ここはぜひ記しておきたい。なぜなら選曲がセンス抜群だったから。「どこかありそうな曲で、アメリカ風のマーチでもあるが、何だかわからない……」と終始思いながら聴いていたら、芥川也寸志の行進曲「風にむかって走ろう」とのこと。スーザ等の有名曲でも古関裕而等のお馴染みの日本のマーチでもなく、よくもまあこんな曲を見つけてきたものだ……。何にせよ、最後は聴衆の手拍子と共に心愉しく大団円を迎えた。

 今年はこれで、参加した全てのプロ・オーケストラを聴いた。同じホールで次々に聴くと、「個性がない」と揶揄されがちな日本のオーケストラも、それぞれの持ち味がかなり異なることを実感する。繰り返しになるが、ほとんどシェフや重要な関係を持った指揮者が起用されている点、単なる名曲の羅列ではなく、一工夫されたプログラムが組まれている点は、当音楽祭の素晴らしき特長。今年も各公演を大いに満喫した。

 以下、今年の個人的な賞を(賞品は何もないが)。優勝は高関健&東京シティ・フィル、殊勲賞は鈴木秀美&山形響、敢闘賞は広上淳一(東響のしんゆり公演と代役の新日本フィル公演を2日続けて指揮し、共に好演を展開)、技能賞はN響……といったところだが、正直甲乙はつけ難い。今はともかく来年の音楽祭が待ち遠しいと思うことしきりだ。
59 件



TOP