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柴田克彦の音楽日記をイッキ見

琵琶湖畔で音楽に浸る心愉しき1日


柴田克彦 / 更新日:2022年5月16日


近江の春 びわ湖クラシック音楽祭 2022年4月30日 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール



 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」に足を運んだ。今年の同音楽祭は、滋賀県のびわ湖ホールにて、4月29日(前日祭)に2公演、30日と5月1日に各6公演が行われる。本来なら全公演を聴きたかったが、諸般の事情で4月30日のみの参戦となった。とはいえ、最初の公演が朝10時ゆえに、東京からの当日移動はかなりキツい。そこで前日夜に関西入りし、京都駅前のホテルに一泊して万全の体勢で臨んだ。

 久々の晴天。琵琶湖畔にあるこのホール(と周辺)は、景観がよくて本当に気持ちがいい。会場前の掲示を見るとすでに大半の公演が完売の模様。これも実に素晴らしい。

 午前10時の最初の公演は、小ホールでの「出会いと別れ~1843年製プレイエルと共に」と題した川口成彦(フォルテピアノ)のリサイタル。メンデルスゾーンの「春の歌」に始まり、シューマン、ショパン、アルカン、チャイコフスキーを経て、ショパン(リスト編曲)の歌曲「春」に至る7曲が、ショパンの時代の「1843年製プレイエル」ピアノで披露された。これを聴きたいがために前日入りしたのだが、結果は期待以上の素晴らしさ。味があって鳴り過ぎない楽器の特性を生かした、表情と抑揚の細やかな演奏が続き、作品本来の魅力をナチュラルに堪能することができた。中でも、頻繁に耳にするシューマン(リスト編曲)の「献呈」は、何を弾いているのかわからないような演奏が多いのだが、今回は旋律と和声や装飾のバランスが絶妙で、説得力抜群だった。加えて323席のホールもこうした楽器にピッタリだ。

 午前11時からは大ホールでの「オープニング・コンサート」。小ホールの演奏終了から約15分しか空いていないし、大ホールの前には長蛇の列ができていたので、移動が結構スリリング。しかも始まると何の説明もなく男性が出てきて開幕を宣言し、話を始めた。「誰だ?」と訝ったが、どうやら滋賀県知事らしい。まわりは平然としているので、周知のことなのだろうか。まあ、「県立劇場」の音楽祭に対して、自治体の長が熱心(そうに見えた)なのは何よりだ。さて演奏は、ホールの芸術監督で当音楽祭のプロデューサー、沼尻竜典が指揮する京都市交響楽団。最初に沼尻作曲の「トゥーランドットのファンファーレ」が金管楽器陣で、次にカタラーニの歌劇「ワリー」より「さようなら、故郷の家よ」が砂川涼子(ソプラノ)の独唱で披露された。「さようなら、故郷の家よ」は、今年の音楽祭のテーマで、沼尻監督が今年で退任することに因んだものだという。ここまではオープニング・セレモニーの趣。その後はラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が小山実稚恵の独奏で演奏された。小山のピアノは冒頭から強靭でクレッシェンドも迫力十分。彼女は全曲に亘ってダイナミックかつ変幻自在のソロを繰り広げた。加えて京響独特のジューシーで重層的なサウンドが芳醇な音楽の創出に大きく寄与していた。

 昼の12時半からは小ホールで「プリモ登場!」と題した宮里直樹(テノール)と河原忠之(ピアノ)の公演。ヴェルディ、プッチーニ、グノーのオペラ・アリアが並ぶプログラムだ。これがまあ、大ホールにおけるオペラ公演と変わらぬパワフルな歌唱の連続。小ホールで聴くと途轍もなくヘヴィーなのだが、宮里は手加減することなく雄弁に歌い切り、しかもアンコールで「連隊の娘」のアリア(ハイCの連発で知られる曲)まで聴かせた。こうなるともはや大音量攻勢もある種の快感と化していく。 

 終演後1時間15分ほど間が空くので、食糧難を予想して持参したパン2個を湖畔(好天なので爽快)で食し、中ホールの「オーストリア体験コーナー」を覗いたりして時間を過ごした。こうした間合いがあるのは実に有難い。
 午後2時半からは小ホールで「至高の二重奏」と題した戸田弥生(ヴァイオリン)と清水和音(ピアノ)の公演。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタK304(ホ短調の有名な曲)、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番というプログラムで、戸田の丁寧かつ毅然としたヴァイオリンと、清水の主従のバランスが絶妙極まりないピアノの良きコラボを味わった。これは“大人のコンサート”の趣。ベートーヴェンのソナタ第10番を単独で聴く機会は珍しく、曲の魅力を再認識させられる。二人は意外にも今回が初共演との由。プログラムを含めて、こうしたコンサートがあるのも、当音楽祭の良さ(見識の高さ)だろう。

 3時半からは大ホールで鈴木優人が指揮(大植英次から変更)する大阪フィルハーモニー交響楽団の公演。今度はシューベルトの「未完成」交響曲とベートーヴェンの「運命」交響曲の超名曲プロだ。不滅の黄金カップリングとはいえ、生でまとめて聴く機会など今や貴重と言っていい。「未完成」がゆったりしたテンポ、大きなフレージングで始まったのには些か驚いたが、全体に柔らかくオーソドックスな作りで、曲の魅力がしなやかに伝えられた感。「運命」も攻撃的ではなく、むしろふくよかな趣さえ漂う。鈴木優人は、モダン・オケを振るとき、比較的角のとれた表現を行う印象があるが、今回は特にそう。これは大フィルの持ち味を尊重したのだろうか。ただし「運命」の終楽章はタイトな響きで突進し会場を盛り上げた。

 本日最後の公演は5時からの「晴れ晴れコンサート」。「晴」雅彦(バリトン)と伊藤「晴」(ソプラノ)のコンビなので「晴れ晴れ」と銘打たれ、プログラムにもロルツィングからバーンスタインに至るオペレッタやミュージカルの「晴れやかな」ナンバーが並んでいる(ピアノは河原忠之)。晴雅彦による関西ノリの濃いトークがいわく言い難いものの、こうした公演は理屈抜きに楽しむのが一番。ともかく1日の終わりに晴れやかな気分を与えてくれた。
 6時前に終演後すぐに帰京したが、明日も聴きたいとの思いしきり。この音楽祭は、1日の6公演が被らずに行われるので、変化に富んだコンサートを心置きなく楽しめるし、京響と大フィルを1日で聴けるし、若干凝ったプログラムも名曲プログラムもあるし、何より会場の環境が抜群なので、GWの1日を愉しく過ごすにはもってこいだ。これは遠方の方にもぜひお勧めしたい。

 こうした音楽祭は、内容に妙な媚びがないのが肝要だろう。別にマニアックなものばかりやる必要はないが、当音楽祭のように「真っ当なクラシックの真っ当な演奏」を連ねてこそ、普段クラシック・コンサートに来ない層にアピールするのだ。これは「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」(このイベントの復活も切に望む)の成功でも証明されている。今回はそれを強く言っておきたい。

久石譲が開くクラシック音楽の新たな扉


柴田克彦 / 更新日:2022年5月10日


新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉  2022年4月16日 すみだトリフォニーホール



 久しく途絶えていた音楽日記だが、気になるコンサートがあったので、遅ればせながら記しておきたい。それは、久石譲がConposer in Residence and Music Partnerを務める新日本フィルを指揮して、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番(独奏は、中国系オーストラリア人のリーウェイ・キン)、ムソルグスキー/ラヴェル編曲の組曲「展覧会の絵」を演奏した公演だ。

 注目点の1つは音楽面。久石譲自身のクラシック系作品のベースはミニマル・ミュージックにある。ゆえに通常のクラシック作品を指揮する際も、リズムやビート、テンポ感(インテンポ)を重視し、慣例的な表現とは違った新鮮な音楽を醸成する。高評価を得たフューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧ナガノ・チェンバー・オーケストラ)とのベートーヴェン交響曲全曲演奏は、その好例といえるだろう。今回もそうだった。慣例的な表現がかなり定着している「展覧会の絵」も、終始浮遊するようなあの「牧神の午後への前奏曲」でさえも、拍節感のあるインテンポを基本とした表現がなされ、清新な感触がもたらされた。特に「展覧会の絵」は、これまでの演奏がいかに慣習的なルバートやタメにまみれていたかを痛感させられた。必ずしもクラシック畑を歩んではいない、しかし飛び抜けた音楽性を持つ表現者が、本気で(これが大事だろう。ただ部外の大物であれば良いわけでないのは自明の理)クラシック作品に挑んだ時に生まれる、慣例に縛られない演奏……これは会場に新たな聴衆を呼ぶ、1つのヒントになるかもしれない。

 もう1つの注目点はその聴衆だ。土曜午後の名曲公演ゆえにほぼ満席で、むろん通常見かける客層が大勢を占めてはいる。だが若い聴衆も普段以上に多い。久石譲のコンサートは、現代音楽で構成された「MUSIC FUTURE」であっても、フューチャー・オーケストラ・クラシックスのブラームスの交響曲シリーズであっても、若い聴衆で溢れている。後者など完全なクラシックのオーケストラ・コンサートだ。それでいて通常の公演とは客層が明らかに異なっている。きっかけはジブリ作品なのかもしれないが、そうした普段はオーケストラ・コンサートに行かないと思しき聴衆が足を運び、さらにその内の一部が新日本フィルの定期演奏会に興味を持つ。明らかに好循環だ。子細なマーケティングをしたわけではないし、“久石譲のファンだから”の一言で終わる可能性もあるが、これもまた高齢化が叫ばれ続けているクラシック・コンサートの殻を破る1つのヒントになるのではないだろうか。

高関健率いる東京シティ・フィルを、ぜひ聴いて欲しい! その2


柴田克彦 / 更新日:2022年1月17日


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 2021年の定期演奏会等



 今度は東京シティ・フィルの昨年のおもな演奏会をざっと振り返ってみよう。

 もちろん同楽団進化の立役者である常任指揮者・高関健が受け持った公演から。まずは、高密度かつ鮮烈な3月定期のショスタコーヴィチの交響曲第8番、堅牢にして雄大な5月定期のブルックナーの交響曲第5番の両名演が印象深い。この2つは他を含めた2021年の全コンサートの中でも出色だった。さらには7月のフェスタサマーミューザKAWASAKIにおけるスメタナ「わが祖国」全曲のこまやかで温かな好演、10月定期のストラヴィンスキー新古典主義音楽プログラムの意味深い構成と明解な彫琢も光っていた。

 高関は、的確にして緻密な構築で楽曲の真髄を表出する実力者。彼のポスト就任後の東京シティ・フィルは、工夫されたプログラムに全力で取り組みながら、年々クオリティをアップさせてきた。それがコンビ7年目で一段深化し、強固なものになった感がある。先に当欄で挙げた12月の「第九」はそれを象徴する公演と言えるだろう。

 シェフがしっかりしていると他の指揮者もより引き立つ。首席客演指揮者・藤岡幸夫は、2月定期のホルスト「惑星」、9月定期のショスタコーヴィチの交響曲第5番等で、彼らしいダイナミックでスリリングな熱演を展開。桂冠名誉指揮者・飯守泰次郎は、5月の「ニーベルングの指環」ハイライト特別演奏会(これは筆者が聴いた日本のワーグナー演奏の中でも屈指の充実公演だった)や、12月のシューマン交響曲全曲演奏1(第1&2番)の重層的かつ味わい深い演奏で、聴く者に深い感銘を与えた。これらも高関が築いた精緻なベース上でなされるので、2人の個性(高関とはまた違った)が最良の形で発揮される。また7月定期の下野竜也指揮によるバーバーと伊福部作品、11月定期のロリー・マクドナルド指揮によるシベリウスの「4つの伝説曲」も楽曲の特質が雄弁に表出された快演。特に後者は滅多に聴けないほど魅力的だった。

 かように今の東京シティ・フィルは、演奏の密度と聴く者に与える充足感の高さにおいて、在京オーケストラ中、屈指の存在だ。メンバーたちの懸命で誠意溢れる取り組みも見ていて気持ちがいい。だが、一時に比べると聴衆も増えているとはいえ、満員となる公演は決して多くない(「飯守リング」と「第九」くらいだ)。ゆえに、世間的な知名度や話題性にとらわれず、1人でも多くの人に足を運んでほしいと願わずにはおれない。
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