柴田克彦の音楽日記をイッキ見

指揮者なしでもたらされた無類の音楽的感興 絶妙なプログラミングの2公演


柴田克彦 / 更新日:2020年9月18日


読響アンサンブル・シリーズ第26回《日下紗矢子リーダーによる室内合奏団》 2020年9月3日 よみうり大手町ホール 紀尾井ホール室内管弦楽団 第123回定期演奏会 2020年9月11日 紀尾井ホール



 指揮者なしで行われた弦楽合奏による2つの公演が、共に特筆すべき内容だった。
 最初は読響アンサンブル・シリーズの《日下紗矢子リーダーによる室内合奏団》。これは読売日本交響楽団が開催している小編成のシリーズで、コンサートマスター等がリードしながら、フル・オーケストラとはひと味違った音楽を披露している。今回は特別客演コンサートマスターの日下紗矢子がリーダーを務め、弦楽器メンバー19人とチェンバロの鈴木優人による最大20人編成の合奏を聴かせた。
 まずはプログラミングがいい。前半にヘンデルの「合奏協奏曲作品6−5」とブリテンの「シンプル・シンフォニー」、後半にパーセルの「アブデラザール組曲」とブリテンの「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」が置かれた“イギリス”特集。しかも前後半それぞれバロック音楽と20世紀音楽が組み合わされただけでなく、前半は楽章に分かれた絶対音楽、後半は舞曲等が連なる組曲と変奏曲が対比され、最後は主題の作曲者としてブリッジまで登場するという凝りようだ。これは日本では珍しいほど示唆に富んだプログラムといえるだろう。
 それゆえ会場にはマニアックなファンと思しき聴衆が多く集まり、開演が19時30分ゆえでもあろうが、30分前のプレ・トークの段階で9割方が着席している。正直こんな光景を見たのは初めてだ。
 演奏自体は、シャープで引き締まったサウンドと密度の濃いアンサンブルによる、精緻かつ生気に充ちた快演。日下は、第1コンサートマスターを務めるベルリン・コンツェルトハウス管のメンバーで組織された同室内管のリーダーでもあるので、アンサンブルを構築する手腕が極めて高い。それに近年バロック・ヴァイオリンを手がけていることもあって、ヘンデルとパーセルでは様式に即した端正な音楽を創造し、対するブリテン作品では各楽章・各曲の特性を明確に打ち出すことによって変幻の妙を生み出していく。読響メンバーもすこぶる意欲的な演奏を展開。フルオケではまず実現しないプログラムを、感興豊かに堪能させた。
 次いでは紀尾井ホール室内管弦楽団の定期演奏会。こちらは同楽団の再開公演だ。本来は、オーストラリアから招くリチャード・トネッティの指揮で、ハイドンとモーツァルトの最後の交響曲を軸にしたプログラムが組まれていたが、密を考慮して弦楽器のみのプログラムに変更された。しかし来日は叶わず、変更プロが指揮者なしで披露されることになった。
 それは、グリーグの「組曲『ホルベアの時代から』」、マーラーの「交響曲第10番~第1楽章アダージョ(ハンス・シュタットルマイア編 弦楽オーケストラ版)」、ゴリホフの「ラスト・ラウンド~第1楽章」、ブラームスの「弦楽五重奏曲第2番(弦楽オーケストラ版)」という興味深い内容。これまた「ホルベア~」を除けば普段の公演ではまず聴けない曲ばかりだ。
 演奏はこちらもやはり、最大24人のメンバーたちが表現意欲を前面に打ち出した、生き生きとして濃密な快演。コンサートマスター・玉井菜採のリードのもと、チェロ以外立って奏された音楽は、ぐんぐんと耳に迫り、高熱度のパッションが胸を打つ。端整な“大人の”演奏が持ち味ともいえる同楽団がこれほどの激しさを見せるとは……。指揮者が来日できない事態に敏腕メンバーたちが発奮したのか、久々に迎える本番で燃えたのか、玉井の積極的かつ的確なリードの賜物か、いやそれら全てが相まっての結果であったのだろう。緻密で表情豊かなグリーグ、弦楽器のみの音の綾に清新な(まるで別の曲のような)魅力を感じさせたマーラー、ピアソラそっくり(元々それを意識して書かれてはいるのだが)の音楽が幅広いダイナミクスで表現されたゴリホフ、シンフォニー顔負けの重層的響きでエネルギッシュに奏されたブラームス……とハイカロリーの演奏が続き、終演後は大きな充足感を得ることができた。
 ちなみに、2公演に共通していたプログラミングの妙は、フルオケのコンサートでも味わえた。例えば8月29日の東京シティ・フィル定期は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、ショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第1番」、R.シュトラウスの「13管楽器のためのセレナード」、同じく「メタモルフォーゼン」というプログラム。ショスタコーヴィチ以外は、金管&打楽器、木管楽器、弦楽器による作品だ。また9月8日の読響定期は、グレース・ウィリアムズの「海のスケッチ」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」、ペルトの「フェスティーナ・レンテ」、オネゲルの「交響曲第2番」というプログラム。モーツァルト以外は生演奏の機会など稀な作品だ。いずれも予定された大曲の回避による代案だが、同様の好例は7月以降少なくない。通常体制の復活を祈るのは当然のことながら、現況に即して工夫が凝らされたこうした公演も大いに歓迎したい。

12型、14型の佳きサウンドが続く終盤戦 <フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 レポート3>


柴田克彦 / 更新日:2020年8月24日


2020年8月7日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団     8月8日 日本フィルハーモニー交響楽団     8月10日 東京交響楽団 フィナーレコンサート     何れもミューザ川崎シンフォニーホール



 今年のフェスタサマーミューザKAWASAKIのレポートの完結編。今回は8月7~10日の(足を運んだ)ラスト3公演である。
 8月7日の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団は、桂冠名誉指揮者の飯守泰次郎の指揮で、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」というプログラム。ドイツ音楽の巨匠がおくる雄大な名作プロといった趣で、在京オケでは公演再開後初めてのブルックナー演奏に注目が集まる。弦楽器の編成は12・10・8・6・5。奏者間の距離も適度で不自然さはまったく感じない。
 活動再開後のシティ・フィルにとって有観客公演における本格プロは実質的に初とあってか、「タンホイザー」序曲は慎重な運びでやや硬め。後半の「ロマンティック」もアンサンブルが粗く事故も多い。だがこの日の主役は飯守マエストロ。力みなく表出される悠揚たる音楽は、やはり格別な味がある。豪快に鳴らすよりも様々音やフレーズに命を与えながら滋味と深みのある音楽を聴かせる。これまさに巨匠芸というほかない。ゆえに音楽的には他にない感触を得ることとなった。(なおシティ・フィルの名誉のために記しておくと、5日後の8月12日に東京オペラシティで行われた定期公演におけるブルックナーの交響曲第8番は、アンサンブルの精度もサウンドの密度─特に金管楽器─も上々で、機能的なクオリティが大幅にアップしていた。指揮の高関健のまとめの上手さもあろうが、ここで一度「ロマンティック」を演奏したことが大きかったのではないか)。
 8月8日の日本フィルハーモニー交響楽団は、梅田俊明の指揮で、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第3組曲、武満徹の「虹へ向かって、パルマ」、ベートーヴェンの交響曲第1番というプログラム。武満作品では、ギターの村治佳織とオーボエ・ダモーレの松岡裕雅(日本フィル副首席奏者)がソリストを務める。弦楽器の基本編成は通常の12型。配置も普段見慣れた状態に近い。
 弦楽器のみのレスピーギ作品は、整ったアンサンブルによる丁寧な演奏。そこはかとなく漂う古風な情趣も悪くない。武満作品は、14型・3管の弦・管楽器にハープ2台と多数の打楽器(奏者は4名)が加わる大編成。今年の本音楽祭中の最大編成と思しき陣容は、昨今の状況下で見ると壮観だ。もちろん大音響用ではなく、精妙かつ多様な色彩感を描出するための編成なのだが、そこから生み出される多彩な音模様を体験すると、こうした編成の妙もオーケストラの大きな魅力であることを改めて実感する。村治も松岡もオーケストラと一体となりつつ神秘的な存在感を発揮。村治のアンコール、武満徹の「森のなかで」の静謐な余情も胸に染みた。後半のベートーヴェンは、モダン・オーケストラにおけるオーソドックスな表現だが、ほどよくエネルギッシュでまとまりのよい演奏がなされ、曲の魅力がナチュラルに伝えられた。アンコールの「プロメテウスの創造物」序曲も同様。日本フィルは、すでに有観客の主催公演を複数行っていることもあってか、響きが安定しているし、バランスもいい。
 8月10日は東京交響楽団フィナーレコンサート。いよいよ最後か、無事に到達できて本当に良かったと心底思う。指揮は原田慶太楼。2021年4月からの正指揮者就任が発表されたばかりなのでグッド・タイミングだ。プログラムは、ショスタコーヴィチの祝典序曲、グリエールのハープ協奏曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。ハープのソロは、東響首席奏者の景山梨乃が務める。それにしても、ここまでの演目が可能になったかと思わせる色彩的なロシア・プロが実に嬉しい。
 1曲目の祝典序曲からその喜びを全面的に味わわせてくれる。弦楽器は14型で、最後にはオルガン前に10本の金管楽器のバンダまで居並ぶ“フル態勢”。活力漲る原田の指揮のもと躍動的な音楽が展開され、3月以降は聴くことがなかった豪快・華麗なサウンドが会場一杯に鳴り響いた。東京フィルの14型チャイコフスキーも圧巻だったが、「祝典」ゆえの曲調とバンダが加わったこちらはさらに派手。最終公演で大音響オーケストラの醍醐味を最大限満喫させる演出(?)もなかなかニクい。グリエールのハープ協奏曲は景山梨乃の明朗かつ繊細なソロに酔わされる。彼女は達者なだけでなく、音の運びが自然で情感も豊か。特に第2楽章はバック共々ぬくもりのある美しい演奏だった。景山のアンコール、ルニエの「いたずら小鬼の踊り」は優美な贈り物。後半の「シェエラザード」は濃厚な響きで振幅の大きな音楽が描き出される。原田は時にゲルギエフを思わせる動き(音楽も)で曲全体をたっぷりと雄弁に表現し、コンサートマスターの水谷晃は豊潤な美音で絶妙なソロを奏で、チェロ、木管、ハープ(景山はここにも出演)等々も好調なソロを聴かせる。同曲は、フル・オーケストラならではのスケール感と色彩感に溢れた、素晴らしいフィナーレとなった。 
 これにて音楽祭は終了。1回目のレポートにも書いたが、今年の状況下で音楽祭を開催し、全17公演を完遂したことは、いくら賞賛しても賞賛しきれないほどの快挙。このような業績にこそ芸術・文化の大きな賞を授与すべきではないだろうか。
 ところで、今回9公演=9オーケストラのステージに接したが、奏者間の距離やマスク着用の有無等は、各団体によって様々だった。会話するわけでもない本番のステージで大きな距離をとることやマスクの着用は不要ではないか、さらには非日常的な楽しみでもあるコンサートでそれらを見ると、日常=現実を想起させられて些か辛いとの思いも抱く。また例えばオーケストラ連盟のような機関で実効性のある基準を設けられないものか(種々の実験が団体ごとバラバラに多数行われている点もどうなのか?)とも思う。とはいえ楽団によって事情が異なるであろうし、会話が生じる=マスクが必要なリハーサルと本番で奏者間の距離を変えるのは難しいかもしれない。何しろ正解など誰にもわからないのだから、しばらくは試行錯誤状態が続くのもやむを得ないのだろう。
 ただ、各ホールで行われている時差退場には疑問が残る。ミューザの誘導は中でも有効だと思える方だが、1階、2階などブロックごとの退場は、その付近のドアに皆が集中するので結局混み合うし、案内のタイミングによってはすでに複数の人が出てしまっているケースもある。そもそも今は最大でもキャパの半分しか聴衆が入っていないし、かなり少ない公演もあるので、杓子定規に実施するのはいかがなものだろうか。
 それはさておき、フェスタサマーミューザKAWASAKIは、本当に欠かせない音楽祭になった。大前提として、様々なオーケストラ、様々な音楽を、響きの良い会場で集中的に聴ける楽しみは大きい。オーケストラに関していえば、おざなりの名曲プロなど1つもなく、各団体が創意を凝らしている。その点も含めた自然なライバル心(? 平たく言えば「うちだけ下手なことはできない」という)が良き効果を発揮して、演奏の密度も高く、熱意と誠意ある好演が続く。特に今年は、現況に即した各団体の創意工夫が際立っていて、結果的に例年より多彩な内容になったともいえる。それに何より聴衆がいい。今年はやはり特にそう。楽員の入退場時や演奏後の拍手は温かく、「現況下で演奏してくれること、生の音楽を聴かせてくれたこと」への感謝の念が強く感じられた。演奏を熱心に聴いていることもよくわかるし、結果に比例して拍手の大きさも変わり、えらく盛大になることもしばしば。楽員退場後の指揮者等のソロ・アンコールが起きた公演も多々あった。
 それやこれやが相まって、かけがえのない時間を与えてくれたフェスタサマーミューザKAWASAKI2020。終わって2週間経った今もなお、「フェスタサマー」ロスが消えないでいる。

オーケストラの楽しみはやはり多彩だ! <フェスタサマーミューザKAWASAKI2020 レポート2>


柴田克彦 / 更新日:2020年9月8日


2020年8月1日 群馬交響楽団     8月2日 東京フィルハーモニー交響楽団     8月4日 新日本フィルハーモニー交響楽団     何れもミューザ川崎シンフォニーホール



 今年のフェスタサマーミューザKAWASAKIのレポートの続編。今回は8月初頭の3公演である。
 8月1日は群馬交響楽団。当音楽祭では、昨年から地方オーケストラを1団体招聘する企画が始まり、前回は仙台フィルハーモニー管弦楽団が高関健の指揮で参加した。これは地方オケの生演奏を聴く機会に乏しいファンにとっては嬉しい企画だ。今年は群響だが、指揮はまたまた高関健(名誉指揮者)。彼は群響の水準を大幅に向上させた元・音楽監督なので不思議はないが、オーケストラ・ビルダーにして的確な音楽作りを行う手腕が、各所で高い信頼を得ていることを証明してもいる。演目はベートーヴェンの交響曲第4番と第2番。今年の音楽祭では生誕250周年にちなんで、声楽付きの「第九」を除く8つのベートーヴェン交響曲が披露されており、群響はその内の2曲を受け持つことになる。弦の編成は10・8・6・6・4。奏者間の距離は通常よりも開いているが、不自然さを感じるほどではない。
 演奏自体は、モダン・オーケストラにおけるオーソドックスなベートーヴェンが、真摯かつ堅牢に表現されたといった感。高関ならではのまとめの上手さも発揮されていた。しかしながら前半の第4番は、響きとアンサンブルが粗めでいささか精彩がない。この曲は演奏次第で第3番「英雄」の後に書かれたことを想起させる完成度の高い作品に聴こえるのだが……。聞けば群響はこの日が活動再開後初の有観客公演とのこと。他の楽団も同様の公演では多かれ少なかれそういった演奏になっていた(演奏間隔が空けば当然でもある)ので致し方ないだろう。その点、後半の第2番はかなり本調子に戻ったようで、生気を帯びた響きと音楽を堪能することができた。ただ方向性としては、“かつて聴いた日本のオーケストラのベートーヴェン”といった趣。それも昨今の尖ったベートーヴェンに慣れた耳には、ある意味新鮮ではある。ところが!アンコールの「プロメテウスの創造物」序曲は、そうしたスタイル云々を超越した快演。響きが俄然豊かになり、音楽も活力と前進性に溢れている。この後は聴衆の拍手も盛大。一公演の中でこれほどの回復力を示すとはやはりプロだな、と感心させられた。いずれにせよ、現況下で川崎まで来てくれた群響には大いに感謝したい。
 8月2日の東京フィルハーモニー交響楽団は、桂冠指揮者の尾高忠明の指揮で、ベートーヴェンのヴァイオリン、チェロとピアノのための三重協奏曲、チャイコフスキーの交響曲第5番というプログラム。三重協奏曲のソロは、戸澤采紀(ヴァイオリン)、佐藤晴真(チェロ)、田村響(ピアノ)が務める。東京フィルは、有観客公演の再開第1号で、その後も複数の公演を行っているためか、通常より広いが開きすぎない配置にもすでに安定感が漂う。しかもチャイコフスキーは14型! 久々に見る編成に胸が踊る。
 ベートーヴェンは、若手の戸澤と佐藤の真摯な演奏を少し年長の田村が和らげ、今や大ベテランの尾高が父親のごとく包み込むといった風情。戸澤は繊細な音色で丁寧に表現し、佐藤は主導するケースが多い同曲のチェロ・パートを堅牢かつナチュラルに奏で、田村はともすれば目立たない同曲のピアノ・パートの存在感を巧みに示した。豪放磊落、丁々発止といった方向性ではないが、彼らのソロにはまとまりがあるし、何よりバランスがいい。この曲は、有名ソリストが参加してもどれかの楽器が1枚落ちというケースにまま遭遇する(以前聴いた超有名ソリスト他の演奏は、肝心のチェロが弱くて興醒めだったし、今年2月のムターの公演は、彼女とチェロのミュラー=ショットは素晴らしかったのに、大雑把な伴奏のようなオルキスのピアノが残念だった)ので、たとえ物凄くはなくともかような平均型の方が曲を楽しめる。それに尾高&東京フィルの柔らかくも堂々たる響きと的確な運びが、好演に大きく貢献した。なお3人のアンコールはフォーレの「夢のあとに」。清澄で瑞々しい音楽が聴衆を魅了した。さて後半は待望の14型チャイコフスキー。これは久々にフル・オーケストラらしいサウンドを堪能させられた。尾高の気迫と熱量もことのほか凄いし、オーケストラも溜まった鬱憤を晴らすかのように鳴り響く。だがそれでいて音楽自体が野放図になることはなく、全体の構成や細部のニュアンス、さらに言えば品格が保たれていたのは、尾高の面目躍如といったところか。個人的には、この曲のある種の“あざとさ”や“アクの強さ”が少々苦手なのだが、今回はそれを感じることなく、素直に楽しみ興奮した。その興奮を鎮めるがごとく演奏されたチャイコフスキーの珍しい弦楽作品「サマーリンの栄誉のためのエレジー」もハイセンスなアンコール。この静謐な美感は、尾高が語った「コロナによる故人を偲ぶ」意味を含めてしみじみと胸に染みた。
 8月4日の新日本フィルハーモニー交響楽団は、久石譲の指揮で、彼の自作「Encounter for String Orchestra」、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、同じく交響曲第7番というプログラム。新日本フィルとの付き合いの長い久石だが、9月1日からComposer in Residence and Music Partnerに就任することが発表されたばかりで、今回はタイミングの良い共演となった。ベートーヴェンの協奏曲のソリストは、ソロ・コンサートマスターの豊嶋泰嗣。カデンツァは久石が手を加えたものだという。最近クラシック界での活躍が際立つ久石の様々な側面に、彼の熱心なファン以外も触れる機会を提供する本公演は、当音楽祭の前向きな取り組みを反映した好企画といえるだろう。
 久石の「Encounter for String Orchestra」は、ミニマル・ミュージックと弦楽オーケストラの抒情的なテイストが融合した作品。変拍子を用いたリズムが難儀そうな曲だが、久石作品を演奏し慣れた新日本フィルは闊達かつ繊細に表現した。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、豊嶋の美しい音色によるしなやかなソロと、引き締まったバックが相まった好演。期待の第1楽章のカデンツァは、ピアノ協奏曲版のベートーヴェン作のそれをベースにしたものだが、ティンパニのみならずチェロのソロも加わったエキサイティングな内容で、新鮮なパフォーマンスに大いに魅せられた。後半のベートーヴェンの交響曲第7番は、弦楽器が12・10・8・7・6(だったと思うが、数え間違いをしているかもしれない)という編成。久石のベートーヴェンは、フューチャー・オーケストラ・クラシックス(旧ナガノ・チェンバー・オーケストラ)と録音した交響曲全集が、2019年度レコード・アカデミー賞特別部門特別賞に輝くなど、評価も高い。“ロックのようなベートーヴェン”を打ち出したそのディスクは、スリムでエッジの効いた、小型ボートが疾走するような快演だったが、その時よりも弦楽器の編成が大きな今回は、基本コンセプトは同様ながらも、よりシンフォニックで腰が据わった表現に向かう。特に第1、第2楽章は前記の録音に比べるとそうした力感がまさった演奏だった。しかし第3楽章に入ると俄然スピードアップ。第4楽章は全速力で疾走し、切れ味鋭いリズムが激烈に畳み込まれる。新日本フィルとのコンビでは今後、久石の様々な側面を味わうことができそうだ。
 これら3公演では、オーケストラの多彩な楽しみを再認識させられた。
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