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からっぽの部屋 [Bagatelle]

からっぽの部屋 [Bagatelle]

音楽断想。ふと思うこと。
  • 青澤隆明
    2020.02.23
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 なにかを書いたり、考えたりするとき、自分のなかがどれくらい静かで、どれくらい賑やかであるかは重要で、おそらくそれが調性やテンポ、リズムのあらかたを決める。

 それは音楽を聴くときもまったくおなじで、だからとくにクラシックのなかでもとくに静かな時代に静かな場所で生まれた音楽については、聴くほうもできるだけ静かに澄んでいることが望ましいのだろうけれど、現代の生活はそこからだいぶスライドしているから、なかなかそうはいかない。

 ぼくは、たくさんの音楽が通り過ぎる、ささやかな場所のようなものだ。たとえば、空っぽの部屋のようなところだとして、壁とか扉とかはないほうがいいのかもしれないし、しかしそれがないと残響も活きないので、つくりにしたってさまざまだ。

 とにかく、できるだけ静かなほうがいいのだろうけれど、その静けさにしてもこれまで聴いてきた音楽や耳にしたさまざまな声や物音がしずまったあとの、あるいは通り過ぎたり、すれ違ったはての静けさのようなもので、だからそれはまったくまっしろな雪のように静かとはいかない。

 雪に喩えるにしても、降り積もっているからには、そこには時の堆積がある。水の循環が、先立ってある。明日には溶け去ってしまうにしても、それがその静けさの場所である。音楽を聴くことは、だからその静けさを背景に、どれだけの響きを感じとるかにまずはかかっている。

 からっぽの部屋にはなにもない。からっぽだけがある。そう言ってみたいが、そのからっぽはいったい、どれくらいからっぽなのか。どれくらい、すでにからっぽでなく、使い古された空洞なのか。それを決めるのは、これまでに響いた音によるのか、そのあとに帰ってくる静けさによるのか、それともこれからやってくる音楽によるものなのか。

 わからない。それは続いていく、のだろう。だとしても、そこには、いったいだれがいて、だれがいないのか。
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