来日オーケストラ&指揮者特集!2023春夏 
青澤隆明の音楽日記をイッキ見

元日のバッハ


青澤隆明 / 更新日:2023年1月4日


CD◎ジャン=ギアン・ケラス (vc)『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲』(harmonia mundi 2007 / HMC-901970)



 元日には元日らしく、バッハを聴く。そんなふうに決めたつもりはなくて、成り行きでそういうことになっただけだが、それでもバッハはバッハである。いつもなら自然と手が伸びるのは鍵盤なのだが、2023年はチェロの無伴奏組曲で始まった。

 新年なのだから、ベーシックなものがよいのではないか。そんな気がしなくはなかったし、とすれば第一にカザルスなのだろうが、そんなことにこだわっている場合ではない。昨年12月半ばに王子ホールで聴いた、ジャン=ギアン・ケラスの全曲演奏会が素晴らしかったからだ。 

 それで、ケラスが弾くバッハのCDをひさしぶりに手にとった。むかし聴いたときは、と言ってもたかだか2007年の話なのだが、ケラスのチェロが器用さを超えて、逞しく晴朗に歌っているように思った。ジョフレド・カッパのチェロを新しく弾きはじめて、その充実が組曲への挑戦に繋がったようにさえ感じた。それだけ、この楽器でバッハを弾くこと自体に、喜ばしい伸びやかさが広がっていたのである。

 年月を隔ててレコーディングとコンサートを比較してどうするのだ、という気もつよくするのだが、ひとつ思ったのは15年前の録音では、カッパがケラスの演奏領域をしっかりと拓いていたと感じた(なんだか河童が鴉の、みたいな音感である)。ほんとうは、楽器のほうにしてもすぐれて現在的な名手によって表現を拡張していたはずだが、そちらのほうは想像にすぎない。

 ところが、先だってのコンサートでは、ケラスがカッパに新しい世界をみせていた、と思ったのだ。おそらく、それはヴィオラ・ダ・ガンバの響きや身振りへと遡行したケラスの想像力によって拡充されたものではないか、と感じた。と言っても、ジョフレド・カッパのそのチェロは1696年製だというから、だとすればマラン・マレ40歳の年につくられている。その時代の空気のなかで、新しい期待を負って出てきた新興楽器ということになるから、このチェロにとってはそう遠くない響きであったはずだ。同時代のなかでは過去の方角に属する質感だったとしても。だが、そうした出自はおいても、バロックから同時代まで旅するのはもちろんのこと、民族音楽や即興演奏も含めて、時代的にも地理的にも自在に越境を続けるケラスの旺盛な冒険につき合うことで、カッパの楽器も未知の光景にたくさん立ち会ってきたに違いない。

 昨年の夏には、ちょうど先祖返りをするように、マレのヴィオール作品を旅した後だから、そちらの方角に響きの感性や質感が目覚めているのも自然なことだ。聴いていてすぐ、そんなふうに思い立ったが、物事はきっとそんなに単純なものではないのだろうな。

 それでも、ぜんぶがいつかは繋がっていく。よく生きていれば、きっとそうなるはずなのだ。

まだみえない、でも感じている。新しい年の訪れ。


青澤隆明 / 更新日:2023年1月3日


2023年になりました。CD◎Raphaël Imbert(sax), Jean Guihen-Quayras(vc), Pierre-François Blanchard(p), Sonny Troupé (d) “INVISIBLE STREAM” Original Compositions by Raphaël Imbert, Meet Lieder, Arias and Songs by Franz Schubert, Richard Wagner, Hans Eisler and Ornette Coleman [HMM, 2022 / KKC-6597]



 新しい年がきました。カレンダーをめくるようになにかが変わるわけではないにしても、2023年がはじまります。こちらも少しずつ綴っていきます。よく考えたら「音楽日記」なのだから、日々の音楽の暮らしを好きに記せばいいのだと、いまさらながら思い出しました。きょうなにきいた、とか、どこいった、とか、なに思った、とか、そういう感じで、さらに気楽にやっていこうと思います。ということで、2023年もよろしくお願いいたします。

 ということで、新年早々に聴いたのは「サンデー・ソングブック」で、オールディーズ・ソングをたっぷり。それからいま、最初にかけているのは“INVISIBLE STREAM”というアルバム。チェロのジャン=ギアン・ケラスが、サックスのラファエル・アンベール、ピアノのピエール=フランソワ・ブランシャール、ドラムのソニー・トゥルーペとともに、2022年2月にドイツのエルマウ城でまとめた、じつに心地よい新作だ。

 ケラスとアンベールは2016年のエクサン・プロヴァンス音楽祭でも深く結びついたようで、ここではアンベールのオリジナル曲に、ワーグナー、シューベルト、オーネット・コールマン、ハンス・アイスラーを織り交わしていった。結びには、ピエール・バルーとレイモン・ル・セネシャルの「水の中のダイアモンド」を。

 全篇がひとつになって、ゆったりとした流れに溶け込み、遥かな歌に満ち溢れている。さまざまな歌を生きながら、どの楽器もいい声をしていて、音がとてもきれいなのだ。この場合、美しさとは澄んだ自在さのことでもある。自ずと心が広がっていく。みえない流れは、耳を澄ますことで、心を澄まし、さまざまに思いを馳せる気持ちを呼び覚ます。今年はどこへ旅に出ようか、といった思いが、夢のように滲み出てくる。とても自由な心持ちだ。しかし、儚くはない。

年の瀬の「第九」2022 -ジョナサン・ノットと東京交響楽団の歓喜


青澤隆明 / 更新日:2022年12月31日


ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団 「第九」2022 (2022年12月29日、サントリーホール) ソプラノ:隠岐彩夏、メゾソプラノ:秋本悠希、テノール:小堀勇介、バリトン:与那城敬、合唱:東響コーラス(合唱指揮:冨平恭平)



 年の瀬も慌ただしく、気がつけば、もう大晦日。2022年のコンサートの聞き納めは、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の『第九』に決めていた。2022年12月29日、14時からのコンサート。これがほんとうにめくるめく演奏で、とにかく愉しかった。

 ノット&東響のプログラムは今年欠かさず聴き継いできたので、ベートーヴェンの「第九」で結べて幸いだった。ブルックナーの交響曲第2番の演奏なども頭に浮かべていたが、いったん「第九」の第1楽章が始まれば、すべては吹っ飛ぶように、全曲を快速で駆け抜けていくことになった。時計はよくみなかったけれど、演奏時間は63分とかそのくらい。ソリスト、合唱も含めた対向配置。

 前夜は、家で40台を越えるカメラによるコンサート・ライヴの配信を、ほとんど指揮者固定カメラで観て、奏者の気持ちに思いを重ねながら「第九」を体験したりもしていたのだが、サントリーホールの2階で聴くと、もちろん演奏も違うけれど、やっぱり聴く感覚の質がぜんぜん違う。とくにライヴ感の強い演奏だと、まざまざと感じきることが大事になってくるのは当然のことだ。

 ジョナサン・ノットの指揮は、全曲を通じての緊張と推進力を強く保ち、グリップをキッと締めたり、少し緩めたりしながら、オーケストラを巧みにドライヴさせていく。いろいろなアイディアを盛り込んでいても、東響はノットの考えをくっきりと読みとって、快速に振り落とされずに食らいついていく。アンサンブルに生じるちょっと時差もまた、スリリングな緊迫感を帯びて、演奏を生々しく鮮やかなものにしている。コンサートマスターは小林壱成で、その横に水谷晃、後ろにはグレブ・ニキティンも座る全力の編成。チェロには笹沼樹も座っているし、管楽器の充実ぶりも見事だった。

 スケルツォはもちろん、第3楽章も美しいながらタイトに引き締まった演奏を貫く。フィナーレも当然ながら推進力をもって統制され、諸々の変奏を通じて全体が肥大や弛緩をみせることがない。声楽に合唱と編成は広がるが、小気味よい勢いのまま、全体を俊敏なアンサンブルで前進させていく。トルコ行進曲の場面などもスタイリッシュに決めて、お道化てみせたりすることはない。ソプラノの隠岐彩夏、メゾソプラノの秋本悠希、テノールの小堀勇介、バリトンの与那城敬、冨平恭平率いる東響コーラスも、器楽的ともいえるノットのアプローチに沿って利発に大健闘した。

 結果として、「第九」がちゃんと交響曲として、全体にびしっと引き締まったものになっていた。4つの楽章を通じて、硬派に筋を通している。これは容易に成し得ることではない。問題は--と言ってみれば、「歓喜に寄せて」にいたる前々から随所に“Götterfunken”が閃いていたことか。それくらい、徹頭徹尾、勢いと一貫性に漲るタイトな快演となっていた。

 この勢いを保ったまま、ノットと東響はまもなく10年目のシーズンに突入していくのだろう。ベートーヴェンは第6番が控え、マーラーもいよいよ第6番、ブラームスは第2番、ブルックナーは第1番が待っている。オペラ・コンチェルタンテはリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」に続いて「エレクトラ」に踏み込む。今秋の「サロメ」での目くるめくドライヴ感も凄まじかったが、この冬の「第九」もじつに痛快だった。歳末の催事などではなく、彼らは最後まで本気も本気だった。この快活な勢いをもって、ぼくもまた、新しい年を力強く駆けていきたいものだ。そう思いながら、アンコールの「蛍の光」をゆったりと聴いていた。

 みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。来年もまた、よき音楽の日々を――。
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