青澤隆明の音楽日記をイッキ見

ダッラーバコのカプリッチョ


青澤隆明 / 更新日:2023年1月8日


CD◎"dall'Abaco - 11 Capricen für Violoncello” Kristin von der Goltz(baroque-vc) [Raumklang 2007, rec 2006]



 バッハを聴いたら、べつの無伴奏チェロも聴きたくなる。そんなとき、ジョゼフ・マリー・クレモン・ダッラーバコの『奇想曲集』に触れると、いろいろな曲があって、とても楽しい。

 イタリアの音楽家ジョゼフ・ダッラーバコは、大バッハの長男ヴィルヘルム・フリーデマンと同じ1710年生まれ。ヴェローナ生まれの父ヴァイオリストで作曲家のフェリーチェ・ダッラーバコは大バッハと同世代で、ミュンヘンの宮廷でも活躍していた。生まれはブリュッセルで、ボンで頭角を現し、いろいろあって1750年代には父の生地ヴェローナに移り、なんと95歳まで長生きした。

 バッハの無伴奏組曲はさまざまな筆写譜で伝えられるが、ジョゼフ・ダッラーバコの奇想曲集もかろうじて筆写譜で後世に知られる。バッハが各国の様式に通じたように、諸国で活躍したダッラーバコもまた当世ヨーロッパの音楽様式を総合的に捉えて、これら『カプリッチ』に鮮やかに反映させた。

 大バッハの次世代といえば古典派に入る時代になるが、ジョゼフ・ダッラーバコはバロックの風情も大事にしていて、ほとんどバッハに近いのではないか、という趣の曲もあるし、対位法の粋を示したりもする。また、ギャラントな様式を華やかにみせもする。11曲が長短さまざまに万華鏡的な博覧をみせていて、曲集として変化に富んでいる。現存する筆写譜がけっこうな乱筆で、しかも第11曲は完結しておらず、そもそもなぜ12曲セットでないのかなどと不完全なところも多いのだが、それでもこれらのカプリッチョが傑作であるのは間違いない。

 さきほど聴いていたのは、クリスティン・フォン・デル・ゴルツが1785年製のバロック・チェロで演奏した全曲盤で、楽器の年代的にはダッラーバコの人生に重なってもいる。表情が巧みに柔軟で、多彩な変化と奥行きをみせるし、音が優しいので、いつまでも聴き飽きない。

元日のバッハ


青澤隆明 / 更新日:2023年1月4日


CD◎ジャン=ギアン・ケラス (vc)『J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全曲』(harmonia mundi 2007 / HMC-901970)



 元日には元日らしく、バッハを聴く。そんなふうに決めたつもりはなくて、成り行きでそういうことになっただけだが、それでもバッハはバッハである。いつもなら自然と手が伸びるのは鍵盤なのだが、2023年はチェロの無伴奏組曲で始まった。

 新年なのだから、ベーシックなものがよいのではないか。そんな気がしなくはなかったし、とすれば第一にカザルスなのだろうが、そんなことにこだわっている場合ではない。昨年12月半ばに王子ホールで聴いた、ジャン=ギアン・ケラスの全曲演奏会が素晴らしかったからだ。 

 それで、ケラスが弾くバッハのCDをひさしぶりに手にとった。むかし聴いたときは、と言ってもたかだか2007年の話なのだが、ケラスのチェロが器用さを超えて、逞しく晴朗に歌っているように思った。ジョフレド・カッパのチェロを新しく弾きはじめて、その充実が組曲への挑戦に繋がったようにさえ感じた。それだけ、この楽器でバッハを弾くこと自体に、喜ばしい伸びやかさが広がっていたのである。

 年月を隔ててレコーディングとコンサートを比較してどうするのだ、という気もつよくするのだが、ひとつ思ったのは15年前の録音では、カッパがケラスの演奏領域をしっかりと拓いていたと感じた(なんだか河童が鴉の、みたいな音感である)。ほんとうは、楽器のほうにしてもすぐれて現在的な名手によって表現を拡張していたはずだが、そちらのほうは想像にすぎない。

 ところが、先だってのコンサートでは、ケラスがカッパに新しい世界をみせていた、と思ったのだ。おそらく、それはヴィオラ・ダ・ガンバの響きや身振りへと遡行したケラスの想像力によって拡充されたものではないか、と感じた。と言っても、ジョフレド・カッパのそのチェロは1696年製だというから、だとすればマラン・マレ40歳の年につくられている。その時代の空気のなかで、新しい期待を負って出てきた新興楽器ということになるから、このチェロにとってはそう遠くない響きであったはずだ。同時代のなかでは過去の方角に属する質感だったとしても。だが、そうした出自はおいても、バロックから同時代まで旅するのはもちろんのこと、民族音楽や即興演奏も含めて、時代的にも地理的にも自在に越境を続けるケラスの旺盛な冒険につき合うことで、カッパの楽器も未知の光景にたくさん立ち会ってきたに違いない。

 昨年の夏には、ちょうど先祖返りをするように、マレのヴィオール作品を旅した後だから、そちらの方角に響きの感性や質感が目覚めているのも自然なことだ。聴いていてすぐ、そんなふうに思い立ったが、物事はきっとそんなに単純なものではないのだろうな。

 それでも、ぜんぶがいつかは繋がっていく。よく生きていれば、きっとそうなるはずなのだ。

まだみえない、でも感じている。新しい年の訪れ。


青澤隆明 / 更新日:2023年1月3日


2023年になりました。CD◎Raphaël Imbert(sax), Jean Guihen-Quayras(vc), Pierre-François Blanchard(p), Sonny Troupé (d) “INVISIBLE STREAM” Original Compositions by Raphaël Imbert, Meet Lieder, Arias and Songs by Franz Schubert, Richard Wagner, Hans Eisler and Ornette Coleman [HMM, 2022 / KKC-6597]



 新しい年がきました。カレンダーをめくるようになにかが変わるわけではないにしても、2023年がはじまります。こちらも少しずつ綴っていきます。よく考えたら「音楽日記」なのだから、日々の音楽の暮らしを好きに記せばいいのだと、いまさらながら思い出しました。きょうなにきいた、とか、どこいった、とか、なに思った、とか、そういう感じで、さらに気楽にやっていこうと思います。ということで、2023年もよろしくお願いいたします。

 ということで、新年早々に聴いたのは「サンデー・ソングブック」で、オールディーズ・ソングをたっぷり。それからいま、最初にかけているのは“INVISIBLE STREAM”というアルバム。チェロのジャン=ギアン・ケラスが、サックスのラファエル・アンベール、ピアノのピエール=フランソワ・ブランシャール、ドラムのソニー・トゥルーペとともに、2022年2月にドイツのエルマウ城でまとめた、じつに心地よい新作だ。

 ケラスとアンベールは2016年のエクサン・プロヴァンス音楽祭でも深く結びついたようで、ここではアンベールのオリジナル曲に、ワーグナー、シューベルト、オーネット・コールマン、ハンス・アイスラーを織り交わしていった。結びには、ピエール・バルーとレイモン・ル・セネシャルの「水の中のダイアモンド」を。

 全篇がひとつになって、ゆったりとした流れに溶け込み、遥かな歌に満ち溢れている。さまざまな歌を生きながら、どの楽器もいい声をしていて、音がとてもきれいなのだ。この場合、美しさとは澄んだ自在さのことでもある。自ずと心が広がっていく。みえない流れは、耳を澄ますことで、心を澄まし、さまざまに思いを馳せる気持ちを呼び覚ます。今年はどこへ旅に出ようか、といった思いが、夢のように滲み出てくる。とても自由な心持ちだ。しかし、儚くはない。
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