青澤隆明の音楽日記をイッキ見

ヨースケ・ファン・ベートーヴェン氏の一夜


青澤隆明 / 更新日:2020年10月25日


ミーツ・ベートーヴェン・シリーズVol.3 山下洋輔 (2020年10月16日、東京芸術劇場コンサートホール) ピアノ:山下洋輔、パーカッション:八尋知洋、弦楽四重奏:飛鳥ストリング・クァルテット[マレー(金子)飛鳥、相磯優子、志賀恵子、西谷牧人]



 ベートーヴェンは即興演奏が得意だった、というのはよく言われていることだが、ぼくたちの誰ひとりそれを聴いたことはない。実際のところ、どれだけ凄かったのだろうな、と想像したりするだけで、ちょっと見当がつかない。それを知るのは残された楽譜の手がかりからだ。

 ピアノ・ソナタでちょっとした部材がどんどんと曲を組み上げていくのもそうだが、ベートーヴェンの工作力になみなみならぬものがあることはだいたいわかる。晩年のディアベッリ変奏曲を思い出すまでもなく、即興的な才能に長じ、しかもそれを楽譜で展開できた才覚は明らかだろう。

 それでも、『運命』みたいな簡素なモティーフから、細胞が自動増殖するみたいに、結果たいそうな曲の威容を築いてしまうのだから、組み立ての力業、構築能力はやたらに高いし、それ以前に即興的な展開力が抜群だったことの証なのではないか。しかもそれがたいへんな名曲になるのである。

――というようなことを、山下洋輔が信頼する音楽仲間と続々とくり広げていくベートーヴェンへのオマージュを聴きながら、ぼくはその夜、ぼんやりと思っていた。八尋知洋のパーカッション、飛鳥ストリング・クァルテットとともに、山下洋輔はなんと交響曲第9番、第5番、第6番を、コンサートの後半の素材にしていたのだった(編曲は櫛田哲太郎)。

 コンサートの前半はピアノ・ソロの原曲に臨み、クラシックの音大入試に弾いたというソナタ第6番ヘ長調op.10-3の第1楽章、ハ短調 op.13「悲愴」の第2楽章、エリーゼのために、嬰ハ短調 op.27-2「月光」第1楽章を素材に弾いていった。そして後半は、山下洋輔の自作というか即興演奏というのか、曲のタイトルもそのものずばり、ピアノ・ソロで「オマージュ」を捧げてはじまったが、ぼくにはこれがこの日いちばんの愉しみとなった。

 そのあとが、先に触れた愉快な交響曲劇場である。ベートーヴェンをアフリカに連れ戻す、というようなことを、かの偉大なるジャズ・ピアニストは宣っていたが、先達は愉快な驚きの旅を楽しんだろうか。当のベートーヴェンがミーツ・イースト、そしてミーツ・アフリカしていたなら、そうとうな大爆発が起こったはずだ。

 それにしても、あれだけバラバラにされても、それでもまだ濃厚にベートーヴェンの気配が残っているのはどうしてだろう? ぼくたちの頭や心に刻まれてきたベートーヴェン音楽の記憶の強さゆえだろうか。それは呪縛であり、妄執でもあるのかもしれないが。それこそベートーヴェン的な心性というものが、集団的記憶となり、個々人のうちにも脈々と育まれてきたことの証明なのだろう。

 直接にベートーヴェンを扱っていないとしても、音楽するその手つきに、ベートーヴェンの実験や創意は鳴り響いているのだろう--ということは、それこそ西洋音階を扱う人たちのおおよそすべてに言えそうだ。この夜の東京芸術劇場の客席は市松仕様、お客さんもよく入っていてよかったけれど、おそらくそのおひとりおひとりにも。

スタンダードとクラシックとジャンプ


青澤隆明 / 更新日:2020年10月23日


エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなった。『1984』と『5150』(1986)のことなど。



 思い返せば、キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコック、ジャック・ディジョネットのトリオの『STANDARDS LIVE』は、ぼくが自分で買ったジャズのLPの最初の一枚だったかもしれない。

 1986年だった。少し前は中学で、みんなこぞってヴァン・ヘイレンの『1984』を聴いていた。それはごくごくあたりまえのことだった。誰もが『週刊少年ジャンプ』を読むのとおんなじだ。

 それから2年のあいだにも、ぼくの聴く音楽はだいぶ変わってきた。と言いたいところだが、キース・ジャレットの『ラスト・ソロ』というビデオ、とくに“Over the Rainbow”がとても好きで、それでキース・ジャレットに強く興味をもったのだと思う。こちらは1984年の東京ライヴで、ベータのビデオカセットで出てすぐに観ていた。だから、ぼくの興味はもっとジャズを聴くようになって、メタルを離れつつあったことを除けば、それほど変わってはいなかったとも言える。もちろん、1986年には、ヴァン・ヘイレンの次作『5150』も友人から借りて聴いていた、ヴォーカルがサミー・ヘイガーにかわっても。ヴァン・ヘイレンはヴァン・ヘイレンだった。

 いまだったらオランダに敬意を表して「ファン・ハーレン」と呼ぶところだが、ヴァン・ヘイレンはやはり「ヴァン・ヘイレン」なのである。その名を聞けば、いくつもの曲も自動的に駆け巡る。「ロック・クラシックス」という言葉がその後出てきたが、彼らの曲は最初からとてもクラシックな感じがする。ヴァン・ヘイレン兄弟のお父さんがクラリネット奏者で、こどもの頃からクラシック音楽が身近だったということも、当時からそれらしく語られていた。

 かつては「ライトハンド奏法」と言われてもてはやされていた、自在なタッピングが鮮やかに跳ねる。エディ・ヴァン・ヘイレンのギターはとてもハッピーだった。聴いていると、うれしくなった。

 エディの息子はヴォルフガングと名づけられ、同じ道を進んだ。英語読みならウルフギャング。なかなかの古典派である。その父、エドワード・ヴァン・ヘイレンが、今年の10月6日に癌で亡くなったと伝えられた。秋がきた。

スタンダーズは生きている


青澤隆明 / 更新日:2020年10月23日


LP〇Keith Jarrett, Gary Peacock, Jack DeJohnette “Standards Live" (ECM)



 キース・ジャレットの演奏活動復帰がいよいよ困難だということが、先日ニューヨーク・タイムズで報じられた。さまざまな人がさまざまなことを思っただろう。なんであれ、あれほどの音楽を聴かせ、生きたものとして感じさせてくれたことへの感謝は大きい。

 初めて買ったキース・ジャレットのレコードは“STANDARDS LIVE”だった。鎌倉の新星堂で、そのLPを手にとった。「星影のステラ」という帯がついていた。ぼくは16歳だった。ということは、一駅分歩いて電車賃を貯めたりしたお金で買った。

 どうしてそのLPだったかというと、まずはそれがキース・ジャレットの最新盤だった。でも、そんなことよりもなによりも、ジャケットが素敵だった。ECMのレコードは『フラトレス』とかいくつか家にあったけれど、スタンダーズのライヴはかっこよくてご機嫌にみえた。

 ペンで描いた絵がトリオの3人みたいに躍動していた。グレーの砂みたいな地の上に。家に帰って、緊張しながらよくみてみると、その絵はフランツ・カフカのスケッチだと記してあった。
 
 そうしたぜんぶが傑作だと思う。何度も針を落として、このレコードを聴いた。まさに、スタンダーズは生きていた。レコード・ジャケットはかなり長い間、ぼくの部屋の壁の高いところに掲げてあった。
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