青澤隆明の音楽日記をイッキ見

ダニエル・オッテンザマー『クラリネット・トリオ・アンソロジー』... 2023年7月4日(火)


青澤隆明 / 更新日:2023年7月7日


ダニエル・オッテンザマー クラリネット・トリオ・アンソロジー (2023年7月4日、王子ホール) ◇ダニエル・オッテンザマー(クラリネット)、シュテファン・コンツ(チェロ)、クリストフ・トラクスラー(ピアノ)◆ベートーヴェン:三重奏曲 第4番 変ロ長調 Op.11 「街の歌」、ロベルト・カーン:セレナード ヘ短調 Op.73、ロバート・ムチンスキ:幻想的三重奏曲 Op.26、イサン・ユン:出会い、ブラームス:クラリネット三重奏曲 イ短調 Op.114



 クラリネットのダニエル・オッテンザマー(お兄さんのほう)と、チェロのシュテファン・コンツ、ピアノのクリストフ・トラクスラーは幼馴染で、いかにも仲がよさそう。おそろいのネイヴィーのお洒落なスーツで出てきたのは、アンサンブル「フィルハーモニクス」の部会という感じでもあるか。「クラリネット・トリオ・アンソロジー」という彼らのプロジェクトは、古今東西のクラリネット・トリオに網羅的に取り組んでいくというもので、すでに28曲がCD7枚組にまとめられている。

 この日はそのセレクションで、古典から現代まで、有名曲から知られざる作品まで。ベートーヴェンのop.11とブラームスのop.114の2大曲を両端に、ロベルト・カーンのセレナードop.73、ロバート・ムチンスキの「ファンタジー・トリオ」op.26、そしてイサン・ユンの「出会い」を旅していくプログラム構成。ふたりのボブ、1865年マンハイム生まれのカーンはブラームスを慕った人で、ムチンスキは1929年にポーランドとスロヴァキアの移民の両親のもとシカゴに生まれた。イサン・ユンの「出会い」は、3つの楽器の個性や語法、3人の奏者、そして東洋と西洋などの「出会い」を象徴的に描いた曲といえるか。

 彼らトリオの演奏は古典派でもロマン派でも20世紀でも、つねに明快で軽妙。多様式を器用に着こなして、ライトにスタイリッシュ。彼らが頻繁に客席に呼びかけていた“enjoy”という言葉のとおりだ。ベートーヴェンからブラームスまで、その姿勢が大きく変わることはない。メンバー3人の波長やスタイルもさすがにぴったりと合っていて、齟齬もないから葛藤や奥行きもないけれど、とにかくなめらかで流麗。

 ロバート・ムチンスキの曲は、スラヴィックなメランコリーやリズミックな高揚もあって、若い奏者たちに流行りそう。イサン・ユンの作品がこれほど明るく聞こえるのか、と思ったり。アンコールにはニーノ・ロータのトリオの第3楽章。そして、スイスの作曲家パウル・ユオンの「夢」という、気の利いた幕切れ。梅雨明けに相応しい、すかっとしたプレイに、帰途の足どりも軽くなる。

ぼんくらの午後 -『藤倉大のボンクリ・アカデミー』を読むと…  2023年7月3日(月)


青澤隆明 / 更新日:2023年7月7日


『藤倉大の ボンクリ・アカデミー 誰も知らない新しい音楽』 藤倉大・大友良英・藤原道山・檜垣智也・本條秀慈郎・吉田純子 著(アルテスパブリッシング 2022)



 さて、『微美』を聴いた流れで、次の日の午後には、前々から気になったいた本を読んでみた。もうすぐ「ボンクリ・フェス」もあるし、ぼんくらのぼくも、ちょっくらチューニングしておこう、ってわけだ。

 『藤倉大のボンクリ・アカデミー』という昨夏出た本で、副題が「誰も知らない新しい音楽」。誰も知らないのだから、ぼくはもちろん、藤倉大もたぶんまだ知らない。ということで、さまざまな人と出会いながら、いろいろと探っていく。

 大友良英の作曲編、藤原道山の尺八編、檜垣智也の電子音楽編、本條秀慈郎の三味線編という多彩なレクチャーがあり、それを受けて、藤倉大が対話形式で名人たちから、さらに聞き出していく。おしまいには、「新しい耳の作り方」と題された特別講義があって、そこでは吉田純子がインタヴューするかたちでていねいに寄り添うなか、藤倉大の思考と実践が語られる。

 講義各編の後には、受講者からのQ&Aがさまざまにあって、これも楽しい。オンライン講座のかたちで開催されたアカデミーのドキュメントならではのものだ。これもまた、パンデミックの産物である。でも、藤倉大にとっては、いつもやっているふつうのやりかたに近いのだろう。とても自然で、この人らしく、終始くだけている。

 で、ふんふん、と話をきくように、講義録を興味津々で読んでいくと、面白いところはいろいろある。なんて、ずいぶんといい加減な言いかたになったけれど、それはつまり、人それぞれの興味の方角で、さまざまに感じる部分があるだろう、という意味だ。のっけから、大友良英の作曲の話で、ぐんと自由に見晴らしが広がって、楽になるし。

 ぼくが好きなのは、たとえば檜垣智也がミュジーク・コンクレートを音響エンジニアのピエール・シェフェールが始めたときのことを振り返って、「失敗からうまく面白い部分を見出していったことが重要に思います」と語るところ。「トライ・アンド・エラーで音楽を作っていくということ」にその「創造精神」の核をみている。ようするに、すべては「発見」から、はじまった。手探りで、自分の手とやりかたで、ちょっとずつ探りながら、つかんでいくということしかないのだ。

 電子音楽は音そのものからつくっていく。つまり自分で探り当て、こしらえた素材から組み立てる。だから、音というものに関して、電子音楽にはどこかフェティシズム的な愛着も籠りやすいのだな。そこがアナログはもちろん、デジタルでもたぶん熱度と体温になる。手の感触が残らないものは、やっぱりどこかもの足りなく感じる。

 それと、もうひとつ好きなのは、藤倉大がヘルムート・ラッヘンマンから「知ってる音ではしょうがない」というようなことを言われるところ。それじゃ、つまらない。知らない音を探していくことこそ、まだ聞いていない音楽を創ることなのだ。これも電子音楽編だけれど、会話の感じもいいので、そのまま引いてみる。

檜垣  音を発見するのが楽しい。しかし音を思いどおりに作るのもとても難しいし……。だから、なんでも思いどおりにしたい人よりは、出会いがしらの面白さを楽しめる人のほうが長続きしそうな気がしますね。
藤倉  思いどおりのものを作りたいっていうのは、かなり退屈な発想ですよ。僕もヘルムート・ラッヘンマンに言われたことがあるんですよ。「どんな音が欲しいかわかってるっていうことは、それは知ってる音だろう。知らない音を体験したいと思うから作曲するわけであって、知らない音を体験しようと思ったら、そのもともと知ってる音であるはずはないだろう」って。
檜垣  知ってる音はせめて変えなきゃいけないですね。

 ・・・というふうにやっていくときりがないので、あとは気が向いたら本のページを捲ってください。
 そう言っているうちにも、次なる本が出るみたい。『軽やかな耳の冒険 藤倉大とボンクリ・マスターズ』。マスターたちは八木美知依、杉田元一、豊田泰久、石丸耕一、石川慶、岡田利規の各氏で、こんどは作曲と演奏だけではない領域へも広がりをみせている。

 「人生の喜びは学ぶことだ」という藤倉大の率直な好奇心につられて、知らない音の、知らなかった本音をきいてみたい。無邪気にそんな気持ちになる。

 ちょうど東京芸術劇場の『ボンクリ・フェス2023』の開催も7月7日と8日。七夕の今日と、明日に迫っている。

 

びびっときて、びびってきた。-八木美知依 & 藤倉大 “微美” 2023年7月2日(日)


青澤隆明 / 更新日:2023年7月7日


八木美知依 & 藤倉 大 〜 “微美” (2023年7月2日、新宿ピットイン) 八木美知依(エレクトリック21絃箏、17絃ベース箏、エレクトロニクス) 藤倉 大(シンセサイザー、エレクトロニクス)



 びびっときた。で、びびってきた。
 ピットイン、昼の部。夏空の新宿。
 
 『微美』というアルバムを、八木美知依と藤倉大が結実させたのは、パンデミックによる隔離のさなか。ファイル交換で創り上げられた本作は、音素材と触感のことにかぎらず、その意味でも独特の距離を伝えるものだった。

 八木美知依が箏を、藤倉大がシンセサイザーを自由に弾いて、エレクトロニクスで活かしつつ、夢幻のイメージを拡げていく。その模様が、データのやりとりで織りなされた創作音源を出て、この日の午後、ライヴ・ステージでも鮮やかに体感できた。つまりは、対話の交換ではなく、同時発生で進行するセッションで。
 
 このたびの実演でも、ふたりはごくあたりまえのように、『微美』の楽曲にもとづいて、自在な即興をくり広げていった。なんというか、たんたんとしている。表現には激しさもエッジもあるのに、空間がどこか静かなのだ。いろいろなことが次々と起こるが、全体の時間は響きの空間のなかで流動的に浮遊している。

 ステージは2セットで、それぞれが45分くらい、ひと連なりに織りなされていった。綿々として、悠々。生起するイメージを制限しないが、そうそう逸脱もせず、混然一体と心地よく、収まるところに収まっている。ノイジーな音響もセカンド・セットになって効果的に用いられたが、挑発的でも決して汚くはならない。

 藤倉大が汚い音をきらう、というか、きらいな音がはっきりしていることは、やはり自演でも貫かれている。彼が弾くモジュラーシンセの音もきれいで、音の質感がいいのは、アルバムでもライヴでもおなじだ。この機材で人前で弾くのはベルリン、ウィーンに続いて、ここ新宿が3回目だというが、さすがのもの。ときどき続けてほしい。

 相手を引っ張り出すのが上手な人と、相手をのせて引き出すのが得意な人が、このセッションでも終始微妙に美しく、心地よい感覚と距離を保っている。そうして、音響とイメージの像をならめらかに生成し、夢みるように変容させていった。誘いかけるその言葉以上に、うまくは言えないけれど、それはたしかに「微美」の移ろいだった。
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