寺西基之の音楽日記をイッキ見

都響「COVID-19(新型コロナウィルス感染症)影響下における公演再開に備えた試演」レポート


寺西基之 / 更新日:2020年7月9日


2020年6月11日(木)&12日(金)東京文化会館



 3月以降、新型コロナウィルスの流行に伴う自粛要請および緊急事態宣言によって、演奏会がまったく開催できなくなってしまった。段階的な制限の解除でようやく再開へ向けての動きが出てくるようになったものの、オーケストラは演奏者自体が“密”になり、また特に管楽器の飛沫の問題もあるので、ソロのリサイタルや室内楽などに比べると、はるかにハードルが高そうである。そうした中で東京都交響楽団が東京文化会館とともに、取材関係者や業界関係者に公開する形で、2日間にわたって「公演再開に備えた試演」を行なった。両日ともに音楽監督の大野和士自らが試演を主導、どうすればこのコロナ禍の中でオケの演奏が可能なのかを探っていく試みである。

 初日は弦楽合奏のみで実験が行なわれた。演奏に用いられたのはグリーグの「ホルベアの時代から」とチャイコフスキーの「弦楽セレナード」で、奏者間の距離を様々に変えながら、それが演奏にどう反映されていくかが検証された。奏者は全員がマスクを着用、まず4月にヨーロッパで提案されたという奏者間の距離2メートルを置く形から始まり、続いて少し縮めて1.5メートルが試みられた。これらの距離だと視覚的には舞台全体にまばらに奏者が散らばっているといった印象を受ける。当然ながら1プルトに奏者2人ずつというわけにはいかず、奏者ひとり毎に譜面台を立てなくてはならなくなり、お互いの音もよく聴き合えないなど、演奏にはいろいろ支障も出てくるようだ。その後に、最近ベルリンで出されたというガイドラインに即して奏者間1メートルにまで縮めて演奏、ここまで来ると2人で譜面台を共有できることになり、通常の形態にかなり近づくことになる。演奏もここにきてやっと響きにまとまりが出て(大野氏は「舞台上に響きの球が出来た」と表現していた)、オケのアンサンブルにとってはやはり奏者間の距離の問題が大きいことが実感できた。奏者間1メートルは感染に関しては最近の見方ではほぼ問題ないようなので、これからの演奏再開にあたってはそれが基準となるのだろう。それでも敢えて2メートルから実験を試みたことについては、試演終了後の囲みで大野氏から、今回のような状況の下でいろいろなフォーメーションをいつでもできるようにしておくことを考えてのことだという説明があった。

こうした弦楽のみで得られた初日の結果を踏まえ、2日目は飛沫の問題が多いといわれる管楽器を加えての試演がなされた。この日は複数の専門家も実際に立ち会っての検証である。管楽器は事前に非公開で飛沫・エアロゾルに関しての測定が行なわれた後、改めて舞台上で飛沫がどのように飛ぶかが測定された。まず金管アンサンブルがヨーロッパで出された奏者間1.5メートルでデュカスの「ペリのファンファーレ」を演奏、測定では飛沫はほとんど問題ないとの結果が得られ、1メートルに縮めての演奏が可能となった。続いて行なわれた木管アンサンブル(ブラームスの交響曲第1番の一節)も結果は同様で、心配されていた管楽器がほぼ安全であるということが明らかになったことは大きい。その後モーツァルトの「フィガロ」序曲をオケ全体で通し、これもやはり距離を少しずつ詰めていきながら試演を重ね、「ジュピター」交響曲の第1楽章の演奏が続いた。最後はソプラノの谷原めぐみ(ヴェルディ「ラ・トラヴィアータ」のアリア「花から花へ」)とバスの妻屋秀和(モーツァルト「フィガロの結婚」のアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」)も参加して声楽の飛沫の測定が行なわれた。声楽についての検証結果は時間がかかるのか、その場では明らかにされなかったが、少なくともオケのアンサンブルの“密”の問題は懸念されていたほどではないようで、演奏再開に向けての大きな一歩が踏み出せたといえよう。

都響に限らず、各楽団も演奏再開への道を探るべく、専門家の意見を聞きながらそれぞれに検証を行なっているようで、実際に6月下旬に東京フィルと東京交響楽団が、7月上旬には新日本フィルと日本フィルがそれぞれ定期を開催することを(いずれも出演者もしくは曲目などの変更は余儀なくされているが)すでに発表しているのをはじめ、地方のオケも演奏再開へ動き始めている。そうした中、今回都響が試演による検証過程をこのように取材関係者や業界関係者に公開してくれたことは非常に意義のあることで、そのことはメディアやジャーナリストのみならず、他のオーケストラやホール・劇場の関係者も多数見学に訪れていたことに現われていよう。今回の検証の詳しい分析結果は後日発表され、他の楽団やブラスバンドなどにも参考にしてもらいたいとのことである。日本の音楽界全体に寄与したいというこうした都響の姿勢は高く評価されるべきだろう。

佐藤征一郎が拓くレーヴェのバラードの世界


寺西基之 / 更新日:2020年5月29日


新譜CD《カール・レーヴェのワンダーランド》 佐藤征一郎(バス・バリトン)、長岡輝子、岸田今日子、中山節子(朗読)ほか ライヴノーツWWCC7921~3



  ドイツ・ロマン派のリートの歴史においてきわめて重要な役割を果たしたカール・レーヴェ。彼は生涯にわたって夥しい数の歌曲を作曲した。長命だったことで歌曲の作曲時期も長く、それはシューベルトからシューマンやブラームスへと連なるドイツ・ロマン派リートの確立と発展の時代に重なっている。とりわけ物語的もしくは叙事的な劇的性格を持ったバラード(バラーデ)のジャンルにおける表現の可能性を追求した点は彼の大きな功績で、詩の情景を巧みに音化し、変化に満ちた通作的な手法のうちにライトモティーフ的な手法を用いて物語を描くその劇的な手法がドイツ・リートの展開に与えた影響は多大なものがある。
それにもかかわらず、今日レーヴェの歌曲は一般に取り上げられる機会が少なく、シューベルトやシューマンの影に隠れてしまっているといって過言ではない。それは本家ドイツにおいても、あまり変わりがないようだ。そうした中でレーヴェに惹かれ、生涯かけてその作品の紹介に努めてきたのがバス・バリトンの佐藤征一郎である。彼は1985年の第1回を皮切りに長年にわたってレーヴェ連続演奏会を開催する一方で、レーヴェ研究に力を入れ、その功績ゆえに2014年にはドイツ国際カール・レーヴェ協会の名誉会員となっている。この名誉会員に推挙されたことがいかにすごいかは、それまでの声楽家会員がヘルマン・プライ、テオ・アダム、クルト・モル、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ペーター・シュライアー、ローマン・トレーケルという傑物揃いで、佐藤がそれに続く7人目、しかもドイツ人以外では初めての推挙だったことからも明らかといえるだろう。それほどの国際的評価を得るほどに佐藤はレーヴェに注力してきたのである。
私自身も初めてレーヴェの作品に接し、その魅力を知ったのが1980年代後半、彼のレーヴェ連続演奏会においてだった。それだけに、今回その連続演奏会のうち1985年から1990年までの歌唱を集めた3枚組のCDアルバム《カール・レーヴェのワンダーランド》が出されたことは喜ばしいかぎりである。バラードは特に詩の内容が重要なことから、これらの演奏会では各曲の演奏の前に詩の日本語訳が長岡輝子と岸田今日子といった大女優によって朗読され(長岡が急病の1986年11月の回は声楽家の中山節子が代役)、それもこのCDにはきちんと収められている。
改めてこれを聴いて、当時壮年期だった佐藤の歌唱の充実ぶりを再認識させられた。バス・バリトンらしい深みのある声を生かしつつ、詩の精髄に迫りながら、全体の音楽的流れと展開をしっかりと捉え、動機への綿密な配慮などこまやかな表現の彫琢をとおして、それぞれのバラードの世界を生き生きと表出している。ケルナーの詩による「ヴァルハイデ」など、演奏時間が27分に及ぶ大曲だが、ぞっとするような結末を迎える幻想的なゴシック風の物語の展開が、表情豊かに歌い上げられていて、聴き応え充分。やはり似たような結末へ至るゲーテの詩による「魔王」でも、同じ詩による有名なシューベルトの曲とは異なるレーヴェ独自の語り口や陰影のある表現法を、佐藤の歌唱は明晰に示している。3枚とおして、詩に応じたレーヴェのドラマティックな書法の多様さが浮かび上がってくるアルバムといえよう。
佐藤自身が執筆した大部なライナーノートも特筆しておきたい。曲目解説が収録曲全曲でないのは残念だが、その分重要な曲の解説が実に詳細で、それをとおしてレーヴェの音楽の本質を解き明かしている。演奏者としての視点と学究的なレーヴェ研究者としての視点が結び付いたこの解説を読んで、佐藤の手による本格的なレーヴェ研究書を期待したくなるのは私だけではないだろう。

18世紀ナポリのリコーダー音楽の楽しみ


寺西基之 / 更新日:2020年5月26日


新譜CD《ナポリのリコーダーコンチェルト》~本村睦幸(リコーダー)&“ジュゴンボーイズと仲間たち”(ワオンレコード CD370)



 前回リコーダーのシュテーガーのCDを取り上げたが、日本のリコーダー奏者の活躍もめざましい。そのひとりである本村睦幸の新譜CD《ナポリのリコーダーコンチェルト》は、バロック時代の18世紀前半のナポリで活動した作曲家たちのリコーダーの協奏曲・ソナタ曲集で、知られざる作曲家と作品を生き生きと蘇らせたアルバムである。共演は“ジュゴンボーイズ(バロック・チェロの山本徹とチェンバロの根本卓也のコンビ)と仲間たち(バロック・ヴァイオリンの中丸まどかと天野寿彦、バロックギター&テオルボの佐藤亜紀子)”。
取り上げられている作曲家は、アレッサンドロ・スカルラッティ、ロバート・ヴァレンタイン(ロベルト・ヴァレンティーニ)、ドメニコ・ナターレ・サッロ、ジョヴァンニ・バッティスタ・メーレ、ニコラ・フィオレンツァ、フランチェスコ・バルベッラ、フランチェスコ・マンチーニで、一般に知られているのはA.スカルラッティ(鍵盤ソナタで有名なドメニコ・スカルラッティの父)くらいだが、劇的な緊張感を持つサッロのニ短調コンチェルト、宗教的な象徴表現が込められたメーレのソナタ第15番をはじめとして、どの曲もそれぞれに魅力的で、当時のナポリには多くの優れた作曲家が活躍していたことが浮かび上がってくる。イタリアらしい歌心に満ちた作品が多いが、一方でいわゆるイタリア的なものとは趣が異なる味わいや書法も窺えるのは、当時ナポリがオーストリア政権下に置かれることになったことで、オーストリア風の器楽が導入されたことと関わっているのかもしれない(その点の歴史的解説は山田高誌による読み応えあるライナーノートに詳しい)。
これらの曲を取り上げるにあたって、本村睦幸はイタリアのバロック・リコーダーを調査し、当時のリコーダーの複製を2本、リコーダー製作家の斉藤文誉に作ってもらい、この録音で使用している。それはこの時代にナポリで用いられていたピッチ、指孔、運指などオリジナルどおりの仕様を再現したもので、いかに18世紀ナポリの響きを再現するかという本村のこだわりが現われているといえよう。演奏の点でも、それぞれの曲の特質を的確に捉えつつ、ナポリの音楽の多様性と広がりを多彩なパレットで表出した本村のセンスと技巧が光る。カンタービレ楽章では、楽想に合わせて、時に清澄に、時に憂いを帯び、時に明朗にと歌い分け、急速な楽章では躍動感を息づかせながらも明晰さと精確さを失わない。共演の“ジュゴンボーイズと仲間たち”も実に生気に富んでいて、本村と息の合ったアンサンブルを聴かせている。
無尽にあるバロック時代の隠れた名曲は近年次々と掘り起こされているが、ナポリのリコーダー作品に光を当てたこのCDも価値のある貴重な一枚だ。もちろんそうした学究的な興味だけでなく、無心に聴いて無条件で楽しめるアルバムであり、一聴をお勧めしたい。
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