前島秀国の音楽日記をイッキ見

ボブ・ハーウィッツへのトリビュート盤『I Still Play』


前島秀国 / 更新日:2020年5月25日


2017年に名誉会長職に退いたノンサッチ・レーベル前社長ボブ(ロバート)・ハーウィッツの功績を讃えるべく、11人の現代作曲家が書き下ろしたピアノ小品を集めたアルバム『I Still Play』がノンサッチよりリリースされた。



I Still Play――私は今も弾いている。偶然とはいえ、今の時節にピッタリのアルバム・タイトルではないか。第一線を退いたレコード・プロデューサーであろうが、なかなかコンサートホールに復帰できない演奏家であろうが、音楽を愛し、音楽と共に生きている日常は“それ”以前と全く変わらないのだから。

レコード芸術誌4月号の「レコード誕生物語」でも少し書いたが、もともとECMレーベルのアメリカ支社長を務めていたボブ・ハーウィッツは、DGが録音したスティーヴ・ライヒの《18人の音楽家のための音楽》がお蔵入りになっていることを知り、親会社のポリグラムに強く働きかけて《18人》のECMリリースを実現させた。その後、ハーウィッツがECMを離れてノンサッチ社長に就任すると、ECMに所属していたライヒ、それからジョン・アダムズも同時にノンサッチに移籍した。その後のノンサッチの華々しい活動と展開については、改めて説明の必要もないだろう。要するにハーウィッツは、マンフレート・アイヒャーと並ぶ最も重要なレコード・プロデューサーのひとりであり、特にアメリカ現代音楽を語る上で欠くことのない最重要人物のひとりでもある。ある意味で、20世紀後半におけるパウル・ザッヒャー的な役割を果たしたプロデューサーということも出来るかもしれない。

ジョン・アダムズが音頭をとる形で、2017年のハーウィッツ社長職退任記念に寄せて計11人の作曲家が書き下ろした新作を集めたこのアルバム、作曲にあたって特に縛りがなかったせいか、一聴しただけですぐに誰かわかる個性的な作品が多く収録されている。例を挙げると、ニコ・ミューリーの曲はいかにも彼らしい優等生的なポスト・ミニマルの作品、フィリップ・グラスの曲はおなじみの反復語法全開の作品、ランディ・ニューマンの曲はいかにもディズニー映画に出てきそうなラグタイムの小品、そしてライヒは近年彼が関心を寄せているロック/ポップス的なスタイルを採り入れた作品といった具合だ。

その中にあって、パット・メセニーの作品は無調的なイントロで始まるのが意外だったが、すぐに音楽はアメリカの原風景を思わせるメロディアスな曲調に変わる。ある意味で、ハーウィッツが築き上げてきたノンサッチの音楽――クラシック、ワールド・ミュージック、ジャズ――を最も的確に要約した音楽と言えるかもしれない。

僕が個人的に面白いと思ったのは、アルバム・タイトルにもなっているジョン・アダムズの《I Still Play》だ。予備知識なく聴いたところ、ブラームス後期を思わせる渋い和声進行で書かれた変奏曲なので、驚いた。いや、リスト後期というべきかもしれない。夜中のリスニングに相応しい“大人の音楽”である。そして、アダムズ自身の作曲ノートを読んでみて、また驚いた。この曲、なんと《ゴルトベルク変奏曲》をこよなく愛するハーウィッツを意識して作曲したのだという(曲名は、ハーウィッツがずっとピアノを弾き続けている習慣に由来する)。演奏しているのは、2013年に同曲をノンサッチで録音したジェレミー・デンク。僕が記憶する限り、ノンサッチがリリースした《ゴルトベルク》の全曲は、他にシトコヴェツキーの弦楽合奏版くらいしかないはずだ。今でこそ、シトコヴェツキー版は普通に演奏されているけど、このノンサッチ盤が出た当時は、完全にキワモノ扱いされていたもんなあ……なんていう記憶を呼び覚ますところまでアダムズが計算に入れて作曲していたとしたら、本当に驚くしかない。

それともう1曲、アイルランドの作曲家ドナカ・デネヒーの《Her Wits (About HIm)》が素晴らしいと思った。ちょっとラヴェルを思わせる怪奇趣味があり、掌にすくった水が滴り落ちるような高音(ピアノの最高音まで使っている)が美しい。演奏しているティモ・アンドレスも悪くないが(彼自身も自作を書き寄せている)、普段クラシックをメインに弾いているピアニストがもっと良い楽器で弾いたら、さらに化けるだろう。

メセニーとアダムズの曲を除き、演奏時間はいずれも5分以内。どの曲も(僕が思うには)とても聴きやすい。現代作曲家だからと変に構えず、ちょっとテイストの変わったピアノを聴いてみたいと思うリスナーに。そして、定番曲のリモート演奏の洪水にうんざりし、今だからこそ新鮮な音楽を聴いてみたいと思うリスナーに。

ダニエル・ホープ「Hope@Home」最終回を見て


前島秀国 / 更新日:2020年5月5日


ヴァイオリン奏者ダニエル・ホープが自宅からライブ演奏を配信するオンライン番組「Hope@Home」最終回(日本時間5月4日午前1時より配信)は作曲家マックス・リヒターがリモートでゲスト参加し、ヴァーチャル共演という形で彼の代表作のひとつ《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》の室内楽ヴァージョン(隔離ヴァージョン)を世界初演した。



当初2週間限定の予定でスタートした「Hope@Home」は、最終的に全34エピソードが6週間に渡って配信され、トータルで150万人以上のユーザーがオンラインで視聴した(ヨーロッパのいくつかの国では、テレビ放映もされた)。こんな大プロジェクトになるとは、おそらくホープ本人も予想していなかったのではないだろうか。1エピソードにつき約40分のプログラムを日替わりで構成して演奏し、SNSで寄せられた視聴者のメッセージや動画を紹介していくだけでも大変な作業であるが、それを1ヶ月半も繰り返していくのは生半可の思いつきでは続かない。それに、毎回ダニエルの伴奏を務めたピアニストのクリストフ・イズラエルは、各エピソードの演奏曲目に応じ、おそらく毎日アレンジをこなしていたはずである。アーティストとしての彼らの底力、そしてその意志の強さに深い感銘を受けた。「Hope@Home」は、今後ダニエル・ホープのキャリアを語る上で欠くべからざる重要なプロジェクトとして記録されていくだろう。

「Hope@Home」が成功した大きな理由のひとつは、演奏者同士の距離を保つことでソーシャル・ディスタンスというメッセージを強く打ち出しながらも、ホープの呼びかけに応じて多彩なゲストが毎回登場し、通常の演奏会ではなかなか実現できない共演や実験的な試みが披露されたからだろう。日本でも知名度の高い演出家のロバート・ウィルソン、女優のカーチャ・リーマン、俳優のダニエル・ブリュールらがテキストを朗読し、ホープのヴァイオリン演奏と共演したのはその一例だが、他にもサイモン・ラトル&マグダレーナ・コジェナー、ウラディミール・ユロフスキ&エヴェリーナ・ドブラチェヴァ、サラ・ウィリス、アンドレアス・オッテンザマー、マティアス・ゲルネ、ティル・ブレナーなどの豪華な顔ぶれがダニエルの自宅に集結し、演奏を繰り広げた。実質的にはちょっとした音楽祭だが、これを短時間のうちに同時多発的に配信するヴァーチャル音楽祭ではなく、毎晩午後6時(ベルリン時間)に1エピソードずつ配信していくのが良かったと思う。いくらステイホームとはいえ、1日じゅうパソコンやスマホを眺めている人間はあまり多くないだろうから。

もうひとつ成功の理由として挙げたいのは、すでにインターネット上に溢れかえってるリモート共演に頼ることなく、リビングルームでの“室内楽”の生演奏にこだわり、それをテレビ放送に耐えうるクオリティの映像と音質で配信した点だ。今さら言うまでもない事実だが、我々が日々、音楽を楽しみ論じることが出来るのは、実はその音楽の演奏が適切なフォーマット――レコードやCDや放送や映像パッケージなど――で記録されているからである。当然のことながら手間も費用も掛かるが、それこそがプロの意地であり、また腕の見せどころでもあると言えるだろう。その部分を、今回ダニエルたちは妥協しなかった。聞くところによれば、配信に際しては毎回ベルリン・テルデックス・スタジオのエンジニアがライブミックスした音声を使用したという。スマホ撮影によるお手軽な演奏配信とは、訳が違うのだ。

「Hope@Home」最終回の第34エピソードでは、作曲家のマックス・リヒターがオックスフォードシャーの自宅スタジオからリモート参加し、彼の代表作のひとつ《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》全曲の室内楽ヴァージョン(隔離ヴァージョンとも呼ばれている)を世界初演した(生演奏においても、リヒター本人が演奏するパートはムーグ・シンセサイザーだから、タイムラグさえ発生しなければリモートかどうかはあまり関係ない)。原曲はヴィヴァルディ《四季》とほぼ同じ編成にハープとシンセサイザーとエレクトロニクスを加えたものだが、今回初演された室内楽バージョンは数年前に出版されたピアノ伴奏譜を基にしながら、そこにハープとシンセのパートを加える形で構成されている。生演奏と異なり、重低音が地響きのように伝わってくるムーグの爆音は聴こえてこないが、その代わり、ホープのソロを背後から包み込むムーグの儚いアンビエント・サウンドが、etherealとしか言いようのない音風景を見事に現出させていた。とりわけ「Winter 2」と「Winter 3」の楽章にムーグの効果がよく現れていたように思う。

この演奏を聴き終えた後、ふと感じた。ヴィヴァルディの原曲を300年後の2012年にリヒターがリコンポーズし、そこからさらに8年が経過した現在、それを室内楽ヴァージョンにアレンジして演奏するというように、ある音楽が時代の状況とテクノロジーを受け入れながら、変容していく。変わるものも当然あるが、ヴィヴァルディがもともと書いた旋律やリズムのように、変わらない要素も存在する。

今回のコロナ禍がいつ収束するかわからないが、これまで当たり前のように続けられてきた演奏慣習がいわゆる3密と隣合わせである以上、一定の収束まではその慣習に何らかの変容が求められることになるのかもしれない。演奏会の開催が相対的に多い特定警戒都道府県で6月に非常事態宣言が解除されたとして、50人以上のイベント活動にあたるコンサートを即座に再開できるかどうかわからない。また、仮に収束したとして、次の冬に第2波が来る可能性も否定できない。来日アーティストが関わる演奏会では、今後は海外の感染状況も他人事とは言えなくなる。要するに、演奏会というフォーマットやプレゼンテーションの仕方を状況に応じて“リコンポーズ”しなくてはならない可能性も、そろそろ視野に入れなくてはいけないということだ。

その意味で、希望という姓を持つダニエル・ホープが《ヴィヴァルディ・リコンポーズド》の隔離ヴァージョンで「Hope@Home」のシリーズを締め括ったのは、非常に示唆的だったと考えている。

なお「Hope@Home」の全34エピソードは、Arte.tvのクラシック・チャンネルで初回配信日から3ヶ月は視聴可能。最終回のみ、現在のところドイツ・グラモフォンのYouTube公式チャンネルでも視聴出来る。

ワールド・ピアノ・デーのライブストリーミング


前島秀国 / 更新日:2020年3月30日


3月28日のワールド・ピアノ・デー(世界ピアノ・デー)にあわせ、「#WorldPianoDay: a virtual festival with the greatest pianists(偉大なピアニストたちによるヴァーチャル音楽祭)」と題するライブストリーミングがドイツ・グラモフォンとMedici.tv(この日本版サイトではなく、本家のサイトのほう)によってライブ配信された。



 出演は登場順にマリア・ジョアン・ピリス、ヴィキングル・オラフソン、ユップ・ベヴィン、ルドルフ・ブッフビンダー、チョ・ソンジン、ヤン・リシエツキ、キット・アームストロング、シモン・グレイヒー、エフゲニー・キーシン、ダニール・トリフォノフ。演奏はスマートフォンによって事前収録されたものなので、映像や音質は必ずしもハイクオリティとは言えないが、それぞれのピアニストが自宅でどのような(あるいは、どのように)ピアノを弾いているか、その一端が垣間見れるだけでも大変興味深い内容である。全部視聴すると3時間43分もあるので、ライブ配信終了後、ルドルフ・ブッフビンダーとシモン・グレイヒーの演奏を見てみた。

 ブッフビンダーは、先ごろ『ディアベッリ・プロジェクト』という新譜を海外でリリースしたばかりだが、これは音楽出版業者/作曲家のアントン・ディアベッリが自分のワルツ主題を基にした変奏曲をシューベルトやリストなど数多くの作曲家に委嘱した史実に因み(ベートーヴェンの有名な《ディアベッリ変奏曲》はその委嘱がきっかけで生まれた)、ブッフビンダーがディアベッリの主題を基にした変奏曲の新作を現役作曲家たちに委嘱し、それを録音したアルバムである。その中から、ブッフビンダーがライブストリーミングで演奏を披露したのは、ディアベッリ自身のワルツ主題、その主題を基にしたフリードリッヒ・カルクブレンナーとシューベルトの作品、そしてブッフビンダーが委嘱した新作から細川俊夫《喪失》、クリスチャン・ヨースト《ロック・イット、ルディ!》、マックス・リヒター《ディアベッリ》、タン・ドゥン《ブルー・オーキッド》、イェルク・ヴィトマン《ディアベッリ=変奏》。同じワルツ主題に基づいているはずなのに、どうしてもこうも違った音楽が生まれてくるのか。その多様性、文字通りのヴァリエーションの豊かさに耳を奪われた。

 もうひとり、レバノンとメキシコの血を引くフランスのピアニスト、シモン・グライヒー(本人の発音では「シモン・アイシー」に聞こえる)は、日本ではほとんど未知の存在と言ってもいいかもしれない。調律師が来れないということで、確かに楽器のコンディションは良くなかったが、ヴィラ=ロボス《奥地の祭り》、タレガ(グライヒー編)《アルハンブラの思い出》、バッハ(リスト編)《前奏曲とフーガ イ短調》、マイケル・ナイマン《タイム・ラプス》、アルトゥロ・マルケス(グライヒー編)《ダンソン第2番》という尋常ならざるプログラムで彼の強烈なカリスマに触れることが出来た。詩情豊かなピアニズムというよりは、白黒はっきりさせたラテンの熱量で押し通す演奏スタイルゆえ、好みは分かれるかもしれないが、このくらい自分がやりたいことがはっきりしているくらいのほうが、僕は好きである。

 期間限定の配信だそうが、しばらくの間はYouTubeとFacebookにおいて、ハッシュタグ「#StayAtHome」と「#WorldPianoDay」で視聴可能ということである。

 
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