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クァルテット・エクセルシオの快挙~完結したベートーヴェン弦楽四重奏曲全集録音


寺西基之 / 更新日:2022年1月11日


新譜CD《ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130、大フーガ 変ロ長調作品133》クァルテット・エクセルシオ[ライヴノーツWWCC-7959]



 結成から四半世紀以上、今や実力・名声ともに日本の弦楽四重奏団の最右翼に位置するクァルテット・エクセルシオだが、当初からレパートリーのひとつの軸となってきたのがベートーヴェンの作品だった。長年にわたってベートーヴェンの演奏に取り組んできた彼らが、その経験を踏まえた上で、満を持して全集のレコーディングに乗り出したのが結成20年を迎えた2014年のこと、そしてそれがついにこのたび「第13番/大フーガ」(2020年9月録音)でもって完結した。オール日本人によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲としては初の全集とのことで、まさに快挙といってよいだろう。

 このCDは全曲録音の最後を飾るにふさわしいすばらしい出来栄えだ。ベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲の中でも第13番はとりわけ内省志向が強く、渋い作品というイメージが持たれがちだが、エクセルシオは濃やかなカンタービレを生かした人間味あふれる音楽を展開している。どのフレーズをとっても歌心が感じられ、その歌の息遣いが4人ぴったりと揃っていて、そこから生まれる情感のこもったふくよかな響きが大きな広がりを作り出している。ユニゾンで始まる第1楽章冒頭など、一般にはいかにも厳粛あるいは神妙な出だしといった印象を与える演奏が多いが、エクセルシオはこの出発点からして、聴く者を包み込むかのようにごく自然にベートーヴェンの世界に引き込んでしまう。この序奏に続く第1楽章主部のダイナミックな起伏に満ちた推進力、躍動を生かした第2楽章とゆったり目のテンポをとって心穏やかな気分を生み出す第4楽章という2つの舞曲楽章のコントラスト、2つの歌謡楽章(第3楽章と第5楽章)における深い叙情など、各楽章の性格付けも的確で、特にこの作品の白眉ともいえる第5楽章カヴァティーナは深い情愛を湛えた潤いあるカンタービレが印象的だ。こうした人間的な温もりを感じさせる表現で楽章どうしの性格を対照付けていく流れからみれば、最後の第6楽章として、初稿の「大フーガ」ではなく、改訂稿である軽快なフィナーレを続けたことは自然でしっくりする。とかく竜頭蛇尾などともいわれる改訂稿フィナーレだが、エクセルシオの演奏では、生き生きとした明澄な躍動のうちにベートーヴェンが最後に達した達観の境地のようなものが感じられ、改めてこの改訂稿の魅力が再認識させられる。本CDでは「大フーガ」はそのあとに、つまり独立した形で収録されているが、これもまた情感に満ちた名演だ。ベートーヴェンの作品の中でもおそらく最も難解で複雑、厳粛で近寄りがたい超然としたこのフーガだが、エクセルシオの演奏では、血の通った4つの声部の絡みが生命感のみなぎる音の流れを形成して、どこか人懐っこさすら感じさせるものとなっているのが興味深い。

 最近の弦楽四重奏の演奏スタイルの傾向として、尖がった表現や独自の解釈などの導入、ノン・ヴィブラートを主体とした古楽的奏法の採用といった新しい潮流がみられるが、エクセルシオはそうした流れに与せず、結成当初から伝統的な正攻法でアプローチする姿勢を重視し続けてきた。活動初期にはそうした姿勢が時にやや几帳面すぎる結果に結び付くこともあったが、決して新しい傾向に流されず、もともとからのオーソドックスな路線をぶれることなく究め続けることで、エクセルシオは自らのスタイルを熟成させ、日本を代表する弦楽四重奏団としての今の地位を築いたといえる。今回完結したベートーヴェン全集はそうした長年の探求のひとつの輝かしい成果だ。足掛け7年におよぶこの全集録音の間には第2ヴァイオリンのメンバー交代があったにもかかわらず、演奏の質にはまったく影響がなかったのも、エクセルシオとしてのスタイルと方向性が真に盤石なものとなっているからに他ならない。まさにこの全集はこれまでのエクセルシオの活動の集大成である。同時に、さらに上をめざしての活動の新たな出発点でもあろう。正統路線の王道を行くクァルテット・エクセルシオが今後どのようにさらなる高みを築いていくのか、おおいに注目したい。

びわ湖ホール「沼尻竜典オペラ指揮者セミナー」~指揮法の奥の深さを再認識させられるセミナー


寺西基之 / 更新日:2021年9月14日


2021年8月10~12日滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール



 2021年の第51回ENEOS音楽賞洋楽部門本賞を受賞した滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールとその芸術監督である沼尻竜典。「『リング』全曲などのワーグナーや、近現代のオペラ作品の上演で圧倒的な成功を成し遂げ、今や我が国のオペラ制作や上演において欠くべからざる存在」という贈賞理由のとおり、沼尻&びわ湖ホールの活動が日本のオペラ界の発展に果たしてきた役割はきわめて大きなものがある。

 もちろんオペラ上演以外にも、びわ湖ホールは様々な有意義な事業を行なってきた。そのひとつが「沼尻竜典オペラ指揮者セミナー」である。これは、このホールの初代芸術監督・若杉弘の夫人でメゾ・ソプラノ歌手だった長野羊奈子(故人)が若杉の没後に若手音楽家の将来のためにと遺贈した基金(若杉・長野音楽基金)でもって、2015年から毎夏開催されているもので、毎年オペラを一作品取り上げ、オーディションで選抜された数名の受講生に対して、沼尻竜典がオペラ指揮の極意を伝授するセミナーである。期間は3日間で、オペラ中の役の歌パートをびわ湖ホール声楽アンサンブルのソリストたちが務め、管弦楽パートを初日は2台ピアノ、2日目と3日目は実際にオーケストラ(大阪交響楽団)が担当、まさにオペラ指揮の実践に即した内容の講習となっている。その模様は一般にも公開されており、ステージ後方にはスクリーンが2つ用意され、受講生の指揮姿の正面映像と側面映像の両方をリアルタイムで大映しすることで、客席の聴講者にも受講生の棒の振り方がはっきりわかるように工夫されている。筆者も2016年以来昨年を除いてすでにこれを客席で聴講してきた。

 第7回目となる今年取り上げられたのはビゼーの『カルメン』。講習の進め方は例年通りで、5人の受講生に作品の中の主なナンバーを交替で振らせながら、沼尻が指導していくという形をとる。5人はすでにオペラの副指揮の経験があるなど、プロの指揮者としての道を歩み始めている人ばかりだが、そうした経験者でも、実際に指揮させてみると、歌手とオケをまとめながら音楽的な表現を作っていくにあたっての問題点―歌とオケの呼吸が合わせられない、歌手やオケに表現意図が伝わらない、アンサンブルが崩れる、いろいろなパートの響きのバランスがとれない等々―がいろいろと浮かび上がってくる。沼尻はそうした問題が何に起因しているのか、彼らの指揮の難点を具体的に指摘しながら、どうしたらそれが解決されるのかをアドバイスしていく。歌う側、弾く側から指揮ぶりがどうみられているかを本人に認識させるために、随所で受講生の振り方の良否についての意見を歌手やオケのメンバーに求める場面も多々あり、まさに目に見える形で問題点が浮き彫りにされるといった感がある。

 特に沼尻が強調するのは(これは過去のこのセミナーでも彼が一貫して繰り返し説いてきた点である)、余計な棒の動きを抑制して必要なことのみを明瞭に伝えるシンプルな振り方が大切であるということである。実際、上に挙げた問題点もつまるところは不必要な棒の動きに起因する場合が多いことが、指導をとおして明らかにされる。表情を伝えるつもりで指揮ぶりに余分な動きが加わることでかえって歌手やオケの呼吸が合わなくなったり、アンサンブルを揃えるべく各拍を明確に振り過ぎてドラマとしての音楽の流れが停滞してしまったり、拍子をとる手と表情を指示する手という両手の動きがうまくシンクロしていないためにオケが混乱をきたしたりといったことが実際に起こり、そのたびごとに沼尻が自ら振り方の例を示しながらその解決法を教示する。はっきりと振るべき部分と、逆に棒の動きを抑えて歌手やオケに任せるべき部分との見極めといった、その場にふさわしい臨機応変の対応の重要性を実践的に身に付けさせる一方で、歌手の息遣いにいかに寄り添っていくかを考えさせたり、時には事務的に振ったほうがかえって音楽的に生きる場合があることを試させたりなど、様々な状況での指揮の仕方が考察される。さらに、オケに指揮者が言葉で表情を指示する場合、例えば「幻想的に」というような言い方は、相手によって語の意味の受け取り方が違ってくるのでもう一言加える必要があることや、あるパートに単に「音をくっきりと」という指示を出すだけでは、それが音を長く奏することなのか、短く奏することなのか、強く出すことなのかが受け取る側はわからないことなど、説明の具体性が大切であることを説く。まさに現場の実践に即した様々な対処法、注意点が取り上げられていくのだ。

 このように書いてしまうと、いかにも棒振りのテクニックあるいはノウハウに特化した講習と思われてしまうかもしれないが、決してそうではない。当セミナーの目的はあくまで、どのように振ればオペラの場面の情景やストーリー、人物の感情を的確に表現し得るのかといったオペラ表現を追求する点にある。実際その場で観ていると、棒の振り方をほんの少し変えただけで歌手やオケの反応がまったく変化し、それによって演奏の表情、表現が大きく変わって、音楽が俄然ドラマ性や迫真性を帯びることが手に取るようにわかり、改めて指揮法というものが奥の深いものであることを再認識させられる。厳しさとユーモアを織り混ぜながらそれを明らかにしていく沼尻の指導はきわめて具体的かつ合理的で、聴講していてもまことに面白く、なるほどと思わせられることばかり。指揮者を志している人はもちろんのこと、一般の音楽ファンにとっても得るところの多い充実した内容のセミナーである。

鈴木雅明が振るロマン派の傑作オラトリオ


寺西基之 / 更新日:2021年2月9日


従来の作品像を洗い直した「エリアス」の名演(2020年1月17日東京オペラシティコンサートホール)



 正月早々、心を揺さぶられるすばらしい演奏会に巡り合えた。鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)によるメンデルスゾーンのオラトリオ「エリアス(エリヤ)」だ(1月17日東京オペラシティコンサートホール)。ここのところ、ベートーヴェンの交響曲やミサ曲など、バッハやヘンデル以外の作品も積極的に取り上げている鈴木雅明&BCJが、ロマン派のメンデルスゾーンのオラトリオをいかに聴かせるのか、大いに楽しみであったのだが、演奏はその期待をもはるかに上回るものだった。

 私が初めて「エリアス」を実演で聴いたのは、1986年にヴォルフガング・ザヴァリッシュの指揮するNHK交響楽団のコンビによるもので、それ以来今日までいくつかの生演奏に接してきた。比較的最近では、2016年の山田和樹と仙台フィル、2019年の飯守泰次郎と関西フィルのものが特に記憶に残っている。これらはそれぞれに個性的な名演だったが、いずれもロマンティックな色合いを基調とした、モダン・オケの(声楽の唱法も含めて)いわゆる“伝統的な”演奏スタイルの線上にあるという点では共通するものがあったといえよう。

 今回の「エリアス」はまったく違っていた。ピリオド楽器の質感ある音色と響きと曖昧さのない明晰な合唱パートとの息の合ったアンサンブルのうちに、明晰なフレージングとアーティキュレーション、楽想のはっきりしたコントラスト、ダイナミクスの鮮烈な変化、歌詞に即した表情付けやリアルな音描写、淀みのない推進力に満ちたテンポをとおして繰り広げられた演奏は、これまでにないほどの生々しい迫真性を持ち、「エリアス」がこれほどにドラマティックな作品だったかと再認識を迫るものだった。4人のソリストは当初予定の外国人ソリストがコロナの影響で来日できず、すべて日本人歌手に変更されたが、澄んだ精妙な歌い回しが魅力的だった中江早希、王妃イゼベルの場面で表出性に満ちた歌唱を聴かせた清水華澄、持ち前の伸びやかな声を生かした西村悟、エリアスの厳格さ、怒り、苦悩を巧みに描出した加耒徹と、それぞれに持ち味を発揮しながらドラマの展開に見事に嵌った歌唱を示し(とりわけ作品の要となるエリアス役の加耒の存在感ある歌唱は特筆すべきものだった)、随所に挟まれる合唱メンバーのソロも(もともとソリスト級の人たちなので当然だろうが)聴き応え充分、すべての演奏者が一体となって作り上げる緊迫した流れは鮮烈で圧倒的であった。

 それはロマンティックなふくよかさを削ぎ落し、ひたすら作品の激しいドラマ性に肉迫した演奏といってよいかもしれない。そこに感じられたのは「エリアス」の持つバロック的な特質だ。メンデルスゾーンが少年時代からバッハやヘンデルをはじめとする古い音楽に通じていて、その影響は様々な作品にみられるが、後期に書かれたこの「エリアス」においてはそれが集大成的に織り込まれていることが、今回の演奏では鮮明に浮き彫りにされたように思う。長年にわたって古楽の分野でめざましい活動を続け、作品が成立した時代の演奏のあり方を追求してきた鈴木&BCJだからこそ、この作品に対するにあたってバッハやヘンデルからの歴史の流れの線上に、いわゆる“伝統的な”解釈とは違った視点でもって、従来の「エリアス」像を洗い直し得たのだろう。

 一方でこの「エリアス」の演奏で打ち出されていた激烈なまでのパッションは、バロックとは違うロマン派らしい感情表出の広がりを感じさせるものでもあった。ロマン派の作品を振る時の鈴木雅明はしばしばこうした熱っぽい感情表現をみせることがあり、最近では2020年12月の東京交響楽団定期でのシューベルトの「ザ・グレイト」の凄演が記憶に新しいし、2018年2月の新日本フィル定期におけるブラームスの「悲劇的序曲」とメンデルスゾーンの「宗教改革」、2019年9月の仙台フィルとのやはりブラームスの「悲劇的序曲」とメンデルスゾーンの「スコットランド」なども、内側からの情感の流露が強い印象を残したものだった。今回の「エリアス」はとりわけそうした感情描出が作品のドラマ性を生き生きと具現化し、聴く者に大きなインパクトを与えるものになったといえよう。ここのところレパートリーを大きく広げている鈴木だが、これから特にロマン派作品の指揮者としての彼の活躍に期待したくなるような名演だった。
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