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鈴木雅明が振るロマン派の傑作オラトリオ


寺西基之 / 更新日:2021年2月9日


従来の作品像を洗い直した「エリアス」の名演(2020年1月17日東京オペラシティコンサートホール)



 正月早々、心を揺さぶられるすばらしい演奏会に巡り合えた。鈴木雅明指揮のバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)によるメンデルスゾーンのオラトリオ「エリアス(エリヤ)」だ(1月17日東京オペラシティコンサートホール)。ここのところ、ベートーヴェンの交響曲やミサ曲など、バッハやヘンデル以外の作品も積極的に取り上げている鈴木雅明&BCJが、ロマン派のメンデルスゾーンのオラトリオをいかに聴かせるのか、大いに楽しみであったのだが、演奏はその期待をもはるかに上回るものだった。

 私が初めて「エリアス」を実演で聴いたのは、1986年にヴォルフガング・ザヴァリッシュの指揮するNHK交響楽団のコンビによるもので、それ以来今日までいくつかの生演奏に接してきた。比較的最近では、2016年の山田和樹と仙台フィル、2019年の飯守泰次郎と関西フィルのものが特に記憶に残っている。これらはそれぞれに個性的な名演だったが、いずれもロマンティックな色合いを基調とした、モダン・オケの(声楽の唱法も含めて)いわゆる“伝統的な”演奏スタイルの線上にあるという点では共通するものがあったといえよう。

 今回の「エリアス」はまったく違っていた。ピリオド楽器の質感ある音色と響きと曖昧さのない明晰な合唱パートとの息の合ったアンサンブルのうちに、明晰なフレージングとアーティキュレーション、楽想のはっきりしたコントラスト、ダイナミクスの鮮烈な変化、歌詞に即した表情付けやリアルな音描写、淀みのない推進力に満ちたテンポをとおして繰り広げられた演奏は、これまでにないほどの生々しい迫真性を持ち、「エリアス」がこれほどにドラマティックな作品だったかと再認識を迫るものだった。4人のソリストは当初予定の外国人ソリストがコロナの影響で来日できず、すべて日本人歌手に変更されたが、澄んだ精妙な歌い回しが魅力的だった中江早希、王妃イゼベルの場面で表出性に満ちた歌唱を聴かせた清水華澄、持ち前の伸びやかな声を生かした西村悟、エリアスの厳格さ、怒り、苦悩を巧みに描出した加耒徹と、それぞれに持ち味を発揮しながらドラマの展開に見事に嵌った歌唱を示し(とりわけ作品の要となるエリアス役の加耒の存在感ある歌唱は特筆すべきものだった)、随所に挟まれる合唱メンバーのソロも(もともとソリスト級の人たちなので当然だろうが)聴き応え充分、すべての演奏者が一体となって作り上げる緊迫した流れは鮮烈で圧倒的であった。

 それはロマンティックなふくよかさを削ぎ落し、ひたすら作品の激しいドラマ性に肉迫した演奏といってよいかもしれない。そこに感じられたのは「エリアス」の持つバロック的な特質だ。メンデルスゾーンが少年時代からバッハやヘンデルをはじめとする古い音楽に通じていて、その影響は様々な作品にみられるが、後期に書かれたこの「エリアス」においてはそれが集大成的に織り込まれていることが、今回の演奏では鮮明に浮き彫りにされたように思う。長年にわたって古楽の分野でめざましい活動を続け、作品が成立した時代の演奏のあり方を追求してきた鈴木&BCJだからこそ、この作品に対するにあたってバッハやヘンデルからの歴史の流れの線上に、いわゆる“伝統的な”解釈とは違った視点でもって、従来の「エリアス」像を洗い直し得たのだろう。

 一方でこの「エリアス」の演奏で打ち出されていた激烈なまでのパッションは、バロックとは違うロマン派らしい感情表出の広がりを感じさせるものでもあった。ロマン派の作品を振る時の鈴木雅明はしばしばこうした熱っぽい感情表現をみせることがあり、最近では2020年12月の東京交響楽団定期でのシューベルトの「ザ・グレイト」の凄演が記憶に新しいし、2018年2月の新日本フィル定期におけるブラームスの「悲劇的序曲」とメンデルスゾーンの「宗教改革」、2019年9月の仙台フィルとのやはりブラームスの「悲劇的序曲」とメンデルスゾーンの「スコットランド」なども、内側からの情感の流露が強い印象を残したものだった。今回の「エリアス」はとりわけそうした感情描出が作品のドラマ性を生き生きと具現化し、聴く者に大きなインパクトを与えるものになったといえよう。ここのところレパートリーを大きく広げている鈴木だが、これから特にロマン派作品の指揮者としての彼の活躍に期待したくなるような名演だった。

第44回ピティナ・ピアノコンペティション特級ファイナル レポート


寺西基之 / 更新日:2020年10月14日


2020年8月21日サントリーホール



 毎年夏に開催されるピティナ・ピアノコンペティション。今年度はコロナ騒動がまだ収まらない中、開催は難しいのではと思われていたが、部門を大幅に絞り(特級、Pre特級、G級のみ)、予選の審査方法を変え、オン・ラインも活用するなど、様々な工夫を取り入れることで開催された。特に日本のピアニストにとっての登竜門のひとつとなっている“特級”が例年通り、ファイナルでオーケストラを迎えて協奏曲を演奏できた意義は大きなものがある。オーケストラ界はやっと演奏会が再開され始めて間もない現状で、その方法を試行錯誤している段階だ。そうした中でオケ伴奏の協奏曲によるファイナルを実現させたピティナおよび関係者の英断に心から敬意を表したい。

今回その“特級ファイナル”を会場のサントリーホールで聴いた。ファイナリストは演奏順に、谷昂登(桐朋女子高等学校音楽科[共学]2年)、山縣美季(東京藝術大学1年)、尾城杏奈(東京藝術大学大学院1年)、森本隼太(角川ドワンゴ学園N高等学校1年)の4名で、谷、尾城、森本の3人がラフマニノフの協奏曲第3番、山縣がショパンの協奏曲第2番を選曲、数ある課題曲の中でも最も長大なラフマニノフの第3番を3名が選んだことで、長丁場にわたる審査となった。審査員は五十音順に、青柳晋、東誠三、上野真、江崎昌子、岡原慎也、岡本美智子、小林仁、杉本安子(審査員長)、クラウディオ・ソアレス、松本和将、若林顕。入国制限のために例年のように外国から審査員を招聘することができなかったことは致し方ない。オーケストラは東京交響楽団、指揮は岩村力が受け持った。

最初に登場した谷昂登は、とても音楽的な感興が豊かなピアニストだ。例えば両端楽章の叙情的な部分でテンポをかなり落としてたっぷりと歌うなど、緩急の変化や細部の表情の付け方などにラフマニノフへの思い入れが伝わってくる。ただそうしたカンタービレへのこだわりが音楽の流れを滞らせてしまう傾向がある一方、急速なパッセージなどではいくぶん力みが感じられる箇所があったのが惜しい。とはいえ、広がりを感じさせる音楽作りは瞠目すべきものがあり、大器の素質を持った若手として今後が期待出来よう。

ただひとりショパンを選んだ山縣美季は、清楚な美しい音による丁寧な運びの中に、仄かなロマン的な味わいを漂わせて魅力的。自己を強く出そうとするのでなく、むしろ曲の魅力そのものを浮かび上がらせようとする誠実な姿勢にとても好感が持てる。第2楽章中間部などは、一種のレチタティーヴォなのでもう少し自由なテンポで動揺する感情を打ち出したほうがよかったとも思うが、むしろ過剰な感情表現に陥らない点が彼女の美質なのだろう。第3楽章は端正な中にも躍動感が息づいて、彼女の優れたセンスを窺わせた。

尾城杏奈は細部の音までしっかりと弾き込みつつ、明快な生き生きとした音楽を生み出して、洗練されたラフマニノフを披露した。全体のコントロールが行き届き、淀みのないすっきりとした流れの中にも微妙な色合いの変化が織り成され、決して大きな音を叩き出すことはしないのにオケの強奏の中でも音がきちんと客席に届いてくる。オケをよく聴きながら音楽を作り上げていた点も特筆すべきで、そうしたアンサンブルを重視するという点も含めて、今回の4人の中では最も完成度の高い音楽を聴かせてくれたといえよう。

対照的に森本隼太のラフマニノフは型破りな面白さがあった。自分の感性を大切にして自由自在に奏でる思い切りの良さが痛快で、伸縮するテンポの中、弾(はじ)けるようなタッチで溌剌とした音楽を作り出す一方、歌うべきところは存分に歌心を込める。その奔放さゆえに時に破綻をきたす場面もあり、またオケとのズレも生じるが、それもまたスリリングな魅力としてしまうところに彼の才能があるといえるだろう。日本人には稀な個性派ヴィルトゥオーゾで、そのインパクトの強さから聴衆賞で第1位を獲得したことはうなずける。

審査結果は、尾城がグランプリに輝き、銀賞は森本、銅賞は谷、第4位が山懸という順。4名の中で最も年長の尾城は演奏の安定度と成熟度の点でたしかに一日の長があり、彼女のグランプリ獲得は筆者も十分納得できるが、ほかの3人もそれぞれに自分の音楽を持った逸材で、今後その才能をどのように伸ばしていってくれるのか、楽しみである。四者四様の個性の競演を堪能させられた今年の特級ファイナルだった。それだけに指揮者がもう少しそれぞれのピアニストの息遣いを感じ取って、彼らの音楽にしっかりと寄り添うことができる人だったら、さらに良かったとは思ったが…。

小山実稚恵が満を持して挑んだベートーヴェンのソナタ初録音


寺西基之 / 更新日:2020年8月3日


新譜CD《ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調作品101、第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」》小山実稚恵(ピアノ)[ソニークラシカル SICC19050]



ベートーヴェン・イヤーで盛り上がるはずだった今年の音楽界だが、新型コロナウィルスのおかげで演奏会は次々と中止、様々なベートーヴェン企画もほとんどが実現されていない。しかしながらその中でも注目すべきベートーヴェンの新譜CDはいくつも出されている。小山実稚恵のこの一枚も、ベートーヴェン・イヤーを飾るにまさにふさわしいアルバムである。曲目はピアノ・ソナタの第28番イ長調作品101と第29番変ロ長調作品106「ハンマークラヴィーア」、後期へと向かう時期のベートーヴェンの新しい境地がはっきりと現われ出た傑作2曲だ。

実はこれは小山実稚恵の初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音となる。すでに長い演奏歴を持ち、多数のCDを世に送り出してきた彼女だけに、今回がベートーヴェンの初レコーディングとはやや意外な感もするが(正確には昨年、「エリーゼのために」ほか小品2曲を今では珍しい7インチ(17センチ)・45回転のEP盤用に録音している)、演奏会では折に触れていくつかのソナタや協奏曲を取り上げてきたことからもわかるように、彼女はベートーヴェンを決して敬遠してきたわけではない。たしかに外から見れば、例えばショパンやラフマニノフほどには、あまりベートーヴェンには積極的に取り組んでいないように思えることは事実だろう。だがそれはむしろこの大作曲家の偉大さを認識しているからこそであり、その音楽を時間をかけてじっくりと掘り下げたいという姿勢が、ベートーヴェンに取り組むことへの慎重さにつながっていたと思われる。

彼女がこれまでもいかにベートーヴェンの作品を考察し続けてきたかは、最近音楽之友社から刊行された全2巻の《ベートーヴェンとピアノ》(第1巻〈「傑作の森」への道のり〉;第2巻〈限りなく創造の高みへ〉)に現われている。この書籍は小山とベートーヴェン学者の平野昭との対談集で(もともと〈音楽の友〉誌に連載されたものがもとになっている)、全ソナタを中心としたベートーヴェンのピアノ曲(ピアノ協奏曲、ピアノが入る室内楽なども含む)について、作品ごと作曲順に、平野が学問的な見地から、小山が演奏家としての見地から語り合うことをとおして作品の真髄に迫るというもの。読み応え充分でベートーヴェンの音楽に興味のある人ならば一読をお勧めしたいが、これを読んでも、小山がこれまでベートーヴェンの研究を重ねてきたことは明らかだ。ベートーヴェンがとりわけ重要な存在だからこそ、自らのうちに暖めてきたのだろう。

そして機が熟したかのように、彼女は昨年から東京・渋谷のオーチャード・ホールでベートーヴェンの後期作品を中心とするリサイタル・シリーズ「ベートーヴェン、そして…」をスタートさせた。自身の中で熟成させてきたベートーヴェン解釈をシリーズとして世に問おうという意気込みがそこに見て取れる。それと並行する形でベートーヴェンの初レコーディングもなされたのである。

実際このCDに収められた2つのソナタにおいて小山実稚恵は、強靭さと細やかさを併せ持つ自身のピアニズムを後期のベートーヴェンの壮大かつ深遠な音楽性に結び付けて、自らの揺るぎないベートーヴェン像を打ち立てている。芯のある音ですべての音符を明晰かつ画然と弾き込みつつ、その中で響きのグラデーションを生かして濃やかな表情の変化を生み出しているところがいかにも彼女らしく、がっしりとした造型と細部の彫琢された表現が一体化された名演だ。第28番の第2楽章とフィナーレや第29番の第1楽章におけるダイナミックな広がりとその起伏の中に息づく豊かな感興、第28番の第1楽章でのじっくりとした歩みとフレーズの絶妙な間合いの取り方のうちに感じられる深い思索性など、表現の幅が実に多様で、第29番のフィナーレのフーガでは、どの声部も常に明瞭に引き立てて声部間の丁々発止なやり取りを際立たせ、多層的な音の綾が生み出す緊張に満ちたドラマを見事に引き出している。第29番の第3楽章も、遅すぎないテンポをとることによって必要以上にロマンティックな濃厚さに陥ることを避けつつ、しかもディテールに至るまでの考え抜かれた豊かな表情付けで時間的・空間的な広がりを作り出すことによって、後期のベートーヴェンにふさわしい深遠かつ内省的な世界に肉迫していて、まことに感動的。2曲ともにベートーヴェンの偉大さを改めて感じさせる演奏であり、満を持して録音に取り組んだ小山のベートーヴェンに対する思いが結晶化されたアルバムとなっている。
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