片桐卓也の音楽日記をイッキ見

ケルンから生で届けられた「ヨハネ受難曲」


片桐卓也 / 更新日:2020年3月23日


バッハ・コレギウム・ジャパンはこの3月、ヨーロッパ・ツアーを行っていたが、その公演の多くが結局は中止に追い込まれた。そんな中で、公演の予定されていたケルンのフィルハーモニーで、無観客ながら演奏を行い、それをライブ・ストリーミングで中継するという試みがなされた。



 新型コロナウィルスが急速に感染拡大を続けるなか、日本を代表する古楽アンサブルであるバッハ・コレギウム・ジャパンはヨーロッパ・ツアーを行っていた。ポーランド、アイルランド、イギリスの公演は無事開催されたが、ドイツ政府が50人以上の集会などを禁止する措置が発表され、ドイツをはじめフランスで予定されていた公演も中止となった。全11公演中、8公演が中止になったと言う。
 そんな中で、急遽、ケルンのフィルハーモニーでCDレコーディングのセッションと、ライブ・ストリーミングによる中継が行われることになった。ライブ・ストリーミングは日本時間の3月16日午前2時から始まり、4時まで行われた。ライブ・ストリーミングはベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールを担当するチームが参加してくれたと言う。演奏曲目はJ・S・バッハの「ヨハネ受難曲」である。

 本当にガランとした客席にバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーが入って来る。チューニングを終えると、鈴木雅明氏が登場。神秘的とも言える「ヨハネ」の第1曲が始まった。
 回線の状態がやや悪いのか、最初は音が途切れたり、映像が固まったりしていたが、それも次第に安定してくる。コラールを歌う合唱の響きがホールによく響いているのが分かる。あっと言う間に40分ほどの第1部が終了した。そこでちょっと休止して、チューニングを再び行い、第2部へと進む。
 コーラスと独唱のアリアなどの音のバランスが非常に良く、受難のドラマと、それを内面的に受け止めるべき聴き手の心情の変化が見事に重なって来る。第2部は音楽的に極めてドラマティックだが、すべての曲において情熱的に演奏をとらえる鈴木雅明氏の明確な解釈が、パソコンの画面を通して伝わって来る。時間も忘れて、そしてケルンと東京という距離も感じず、音楽に没頭できた2時間が過ぎて行った。
 演奏終了後には、ケルンのフィルハーモニーのスタッフなのだろうか、女性たちが花を持って登場し、鈴木氏とソリストたちに花を贈った。客席、というよりも、画面の向こうにいる私たちに何度も挨拶を送る姿が印象に残った。

 日本国内でも、2月中旬以降、コンサートの自粛が続く。もちろんその中で敢行されたコンサートもあり、そこでは普段は感じられないほどの聴衆の集中力が感じられた。今後の展開も予断を許さないけれど、3月中に予定されるコンサートもある。この期間のコンサートについては、また少し時間が経ってからまとめて書くことにしたいと思う。


フル・オーケストラで聴く小曽根版「ジュノム」


片桐卓也 / 更新日:2020年1月2日


2019年12月11日、東京・渋谷のオーチャードホールで開催された「小曽根真 Christmas Jazz Night」では、小曽根がずっと取り組んで来たモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」のジャズ・アレンジ・バージョンが披露された。スウィングするモーツァルトを楽しんだ。



 毎年恒例となっているオーチャードホールでの「クリスマス・コンサート」。ジャズ・ピアニスト小曽根真の様々なアイディアが散りばめられたコンサートで、多くの音楽ファンを集めている。今年は、これまでのそのコンサートの中でも、特別に興味深いものとなった。
 小曽根は2003年10月に尾高忠明指揮札幌交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲の傑作である第9番「ジュノム」を共演した。それ以来、クラシックの作品をよく取り上げて来た。その中には、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」の2台ピアノ版の演奏などもあった。「ジュノム」に関して言えば、2014年にはスコティッシュ・ナショナル・ジャズオーケストラと共演し、ジャズのビッグ・バンドのためにアレンジしたバージョンを披露していた。
 そして今回はクラシックのオーケストラのためにアレンジされた編曲版(編曲/小曽根真、オーケストレーション/兼松衆)を演奏した。フル編成のオーケストラにジャズのピアノ・トリオを加えた形で、オーケストラは兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称PACオケ、コンサートマスターには豊嶋泰嗣が参加)、指揮が熊倉優、そして小曽根のピアノに、ベースの中村健吾、ドラムスに高橋信之介というトリオ。
 モーツァルトのピアノ協奏曲の中でもよく演奏される「ジュノム」。その第1楽章のあの弾けるようなテーマがまずオーケストラによって演奏されるが、次の瞬間、それをジャズのトリオが引き取って演奏を始める。オーケストラとトリオが絡み合いながら音楽は進む。オーケストラも、モーツァルトのオリジナルでは管楽器はオーボエ2本にホルン2本という編成だが、今回のバージョンではそこにトロンボーン、トランペット、それに打楽器も加わる。オーケストラには当然のことながら、ジャズのビッグ・バンド的なサウンドの要素が付け加えられていた。第2楽章は、オーケストラのチェロのソロで開始され、そこにピアノが加わって、一種のダイアローグが展開された後に主題に入る。またベースのソロがフィーチャーされる部分もある。第3楽章はより華やかで、活気あるスタイル。自然と身体が動いてしまうような軽快さがあった。
 小曽根自身による各楽章のサブタイトルは、第1楽章が「アレグロ〜スウィング」、第2楽章が「アンダンティーノ〜タンゴ」、第3楽章が「ロンド=プレスト〜ビバップ」というものだ。それぞれの楽章にジャズだけでなく様々な音楽のエッセンスが詰め込まれていた。モーツァルトの作品のオリジナリティを活かしながらも、それを自在により新しい時代の音楽と組み合わせて、ひとつの作品として聴かせてしまう小曽根のアイディアが楽しかった。また、PACオケという若い世代によって構成されるオーケストラ、1992年生まれの指揮者・熊倉が共演者であったことも、このバージョンの演奏を成功に導いたと思う。コンサートの後半には小曽根のオリジナル曲である「Pandora」「Cave Walk」「No Siesta」の3曲もオーケストラとの共演バージョンで演奏された。

 このコンサートの帰り道、思い出していたのは、1980年代のこと。キース・ジャレットとチック・コリアをソリストとしてモーツァルトのピアノ協奏曲が演奏され、話題となった。1985年に開催された第1回の「TOKYO MUSIC JOY」で、キースはモーツァルトの「ピアノ協奏曲第23番」を、チックは「ピアノ協奏曲第20番」を、そしてふたりで「2台のピアノのための協奏曲」を演奏した(指揮は田中良和、新日本フィルが共演。会場は、今はなき五反田ゆうぽうとホールだったと記憶する)。キースもチックも折り目正しい演奏で、拍子抜けしたことを覚えている。退屈だった訳ではないが、ちゃんとクラシックも弾けまっせという証明をされただけで、特に新鮮さを感じることは無かった。キースはその後モーツァルトの協奏曲をECMに残しているぐらいで、真剣に取り組んでいたことは分かったけれど。1990年代に入って、フリードリヒ・グルダにインタビューする機会があった時、グルダは「チックにモーツァルトを教えたのは俺だ」と語っていた。替わりに、グルダはチックからジャズのあれこれについて教わったのだと言う。オスカー・ピーターソンも家に帰ればクラシック曲ばかりを弾いていたらしいから、ジャズ・ピアニストがクラシックを弾くことは別に珍しいことではないけれど、80年代にはまだジャンルの「壁」があったのだなと、おじさんは思ったのだった。




指揮者なしでベートーヴェンの交響曲を演奏


片桐卓也 / 更新日:2019年12月20日


東京・中央区の晴海トリトンスクエアにある第一生命ホール。767席という中型のコンサートホールだが、このホールを拠点に2015年から活動を続けているのが「トリトン晴れた海のオーケストラ」で、2018年からはベートーヴェン・ツィクルスに挑戦している。



 通称<晴れオケ>のベートーヴェン・ツィクルスも早いもので第4回目を迎えた(2019年11月30日)。今回はベートーヴェンの「交響曲第6番 田園」と「交響曲第8番」が演奏された。
 <晴れオケ>は東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターであるヴァイオリニストの矢部達哉が中心となって集まったメンバーによるオーケストラで、規模で言えば室内管弦楽団に分類されることになる。基本的にはファースト・ヴァイオリンが6人で、木管は2管編成。指揮者はおらず、そういう点ではオルフェウス室内管弦楽団などと同じような形をとるオーケストラだ。
 2015年に第1回のコンサートを行ったが、当初はモーツァルトの交響曲などを中心に定期演奏会を開いていた。そして2018〜20年にかけて、計6回のコンサートによるベートーヴェン・ツィクルスが進行中だ。と言っても、すでに8曲の演奏が終わってしまい、残すは2020年6月の「第9」公演だけなのであるが。
 オーケストラ音楽においては指揮者のカリスマ性や音楽的な解釈が絶対条件とされてきて、ベートーヴェンの演奏でも、<誰々の第9>とか<誰々の運命>とか、指揮者をキーとする演奏史が中心となってきた。あえて指揮者なしでそこに挑むことは、なかなかハードルが高い訳だが、<晴れオケ>の演奏はいつも、そうした固定観念を打ち破ってくれる魅力に満ちている。
 今回の「田園」と「第8番」でもそうだった。オーケストラに参加する演奏家ひとりひとりの音楽的な自発性が発揮されていて、細部がとても活き活きとしているのだ。<合わせる>ということを最優先しないで、音楽の流れ、その息遣いをそれぞれの奏者が生み出して行く。それが次第に大きな流れとなり、最終的にベートーヴェンという大河に流れ込む。改めてベートーヴェンの音楽の器の大きさも感じる。中型のコンサートホールなので、個々の奏者の演奏を感じ取ることも出来る。これまでのオーケストラ体験とはかなり違った世界がそこに展開されているのだ。
 残された「第9」では<声>がそこに加わることになる訳だが、それがこのオーケストラとどう絡み合って行くのか、それが楽しみになる公演だった。


話題のソプラノ歌手ランツハマーの日本初リサイタルを聴く


片桐卓也 / 更新日:2019年11月28日


2009年のテアター・アン・デア・ウィーンで、アーノンクールの指揮のもと、ハイドンの「月の世界」に出演し、一躍世界的歌手の仲間入りを果たしたランツハマー。透明感あふれる声と知的なプログラミングで、ヨーロッパでは常に注目を浴びる存在だ。その声に触れたくて、紀尾井ホール(11月26日)でのリサイタルに出かけた。



 最近ではリート(歌曲)のリサイタルを聴きに行くことは、かなり少なくなった。それに、海外の旬の歌手というものは、みんな活動が忙しくて、極東まではわざわざリートを歌いに来てくれないという事情もある。そんな中で聴いておきたいと思っていたのが、ドイツ、ミュンヘン出身のソプラノ歌手クリスティーナ・ランツハマー(Christina Landshamer)のリサイタルだった。アーノンクールに抜擢され、ティーレマンやラトルといった指揮者たちとも共演している彼女。デビューCDはシューマンとヴィクトル・ウルマンを組み合わせたプログラムで、選曲のセンスが優れていることは証明済みだった。日本には2005年と2006年にやって来たが、いずれも「マタイ受難曲」のソリストであり、本格的なリサイタルを日本で行うのは今回が初だ。
 そのプログラムは、パーセル/ブリテンから始まり、コープランドの「エミリ・ディキンスンの12の詩による歌曲集」からの<8つの歌曲>、後半にはJ・P・クリーガーの4つのアリア、そしてシューマンの「リーダークライス op.39」という流れ。前半に英語の詩による曲、後半にはドイツ語の詩による曲、そして、前後半それぞれがバロック時代の作曲家(パーセルとクリーガー)と近代以降の作曲家(コープランドとシューマン)という組み合わせだ。
 これまでの録音や映像から想像されるように、しなかやで透明な声がコンサートホールに広がって行く。発声に無理が無く、ひとつひとつの言葉が綺麗に発音されるので、音楽の流れが自然に伝わってくる。その声に惹き付けられているうちに、あっと言う間に時間が過ぎて行く。ピアノはゲロルト・フーバーだが、彼もランツハマーの声に寄り添いつつ、時に鋭く音の煌めきを演出するので、音楽の時間が澱むことも、途切れることもない。
 個人的にはコープランドの「エミリ・ディキンスンの12の詩による歌曲集」に一番関心があった。この曲を実演で聴くチャンスは日本では滅多に無い。当然だが、ディキンスン(1830〜1886)の詩が素晴らしい。ディキンスンの名前を僕が知ったのは<サイモンとガーファンクル>、いわゆるS&Gを通してだった。たぶん1970年代のはじめ。彼らの3枚目のアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」(1966)の中に収録されている「The Dangling Conversation」(邦訳は「夢の中の世界」)という曲の中に、ロバート・フロストと並んでエミリ・ディキンスンの名前が登場してくる。ポール・サイモンはこのふたりのアメリカの詩人に大きな影響を受けたとも言われている。作曲家のコープランドはディキンスンの詩の中でも、この「12の詩」の中に入っている「馬車(The Chariot)」という詩に霊感を受けたと言われている(この曲の録音はいくつかあるが、バーバラ・ボニーとアンドレ・プレヴィンのコンビの演奏が素晴らしい)。
 見事に構成されたリートのリサイタルというものは、コンサートの後でも色々な刺激を与えてくれることを改めて実感した夜だった。


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