藤田真央、恐るべし 2019年12月7日東京文化会館

藤田真央、恐るべし 2019年12月7日東京文化会館

ピアノのホープ藤田真央がゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団のチャイコフスキー・フェスティバルにおいて急遽代役で登場、初挑戦の曲で見事な演奏を聴かせてくれた。
  • 寺西基之
    2019.12.10
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 演奏家にとって突然代役を頼まれることは、大きなチャンスであるとともに、大変なプレッシャーでもあるだろう。特にすでに日が迫っていて、しかも今までに演奏した経験のない作品の場合はなおさらであるに違いない。このたびそうした急遽の代演をやってのけた若き俊英がいる。今年のチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で第2位に輝いて注目を浴びている藤田真央だ。彼が代役を務めたのはヴァレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団来日公演のチャイコフスキー・フェスティバルでのピアノ協奏曲第2番のソリストである。予定されていたピアニスト、セルゲイ・ババヤンが降板することになり、藤田の才能を高く評価するゲルギエフの指名で数日前に代役を言いつかったという。藤田にとってまだレパートリーにはしていない難曲であり大作である。わずかの準備期間しかない状況での代役受諾は相当の勇気が要ったはずだ。しかしゲルギエフの指名ということで彼は果敢にもそれを引き受け、見事に演奏会を成功に導いた。しかもそつなく何とかこなしたといったレベルではなく、稀に見る名演を聴かせてくれたのである。
 このチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番は有名な第1番に比べてはるかに演奏される機会が少ない。第2番を弾いた経験のあるピアニストに聞いたところでは、この曲は長大であることはもちろんのこと、第1番以上に技巧的な難所が多く、その割に演奏効果があがらないという。実際は、優れた音楽性を持ったピアニストで聴くと、第1番よりもチャイコフスキーらしい叙情味がふんだんに盛り込まれた魅力的な作品なのだが、全体がまとめにくく、並みの演奏家だとどうしても散漫な印象を与えるような曲になってしまうのだ。しかし藤田真央は濃やかな表情のうちに瑞々しいリリシズムを湛えた演奏でもって、この作品の美質を十二分に表わし出した。第1楽章にしても、十分に力感に富んだ打鍵ながらも決して荒々しくならず、たっぷりとした響きの中に情感の潤いを感じさせ、突如とした雰囲気の変転も鮮やかに描き出す。ヴァイオリンとチェロのソロが前面に出てくる点でピアノ協奏曲としては特異な第2楽章では、やや粗削りの感のあった2人の弦のソロに対して、藤田のピアノがしっとりとした歌を紡ぎ、あたかも一編の叙情劇のよう。第3楽章は筆者の個人的好みからするとややテンポが速すぎる気もしたが(これはゲルギエフのテンポだったのかもしれない)、それでも決してむやみに弾き飛ばすという感じはまったくなく、むしろその快速のうちにリズムや旋律に微妙な変化を施して、感興豊かな躍動感を生み出していたところに優れたセンスを感じさせた。筆者がこれまでに聴いたこの作品の実演でも一二を争うすばらしい演奏であり、ましてこれが急な初挑戦であったことを思うと、驚嘆せざるを得ない。今回の代役での名演は、藤田真央が真の実力の持ち主であることを改めて証明するものだったといえるだろう。

 今年(2019年)は彼の才能の様々な面を見せつけられた一年だった。秋山和慶の指揮する東京交響楽団定期演奏会(4月21日サントリーホール)でのジョリヴェの「赤道コンチェルト」の鋭敏で切れの良い色彩感溢れるピアニズム。東京シティフィルのティアラこうとう定期演奏会(7月6日。結果的にチャイコフスキー国際コンクール快挙後の凱旋公演となった)での飯守泰次郎との共演によるベートーヴェンの「皇帝」で示された正攻法の堂々たるアプローチ。ヴァイオリンの金川真弓とのデュオコンサート(11月7日浜離宮朝日ホール)においての、共演相手に時に親密に寄り添い、時に丁々発止にやり合うアンサンブル・ピアニストとしての秀でた能力。こうした優れた音楽的センス、フレキシブルな感性の豊かさは今後のさらなる可能性の広がりを期待させる。才能のある人だけにそれを無駄に浪費するようなことがないよう留意しつつ、これからもさらにいろいろな挑戦を続けていってほしいものだ。
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